タイトルにしたように、


私、人の顔を覚えるのが苦手なんです。


もはや笑い話ですけど、


仕事(営業)で、戸別訪問に回っている時に、


庭で何かされている方、いらっしゃるじゃないですか。


声、掛けますよね。


「こんにちは~、私、○○の者なんですけど~」


「あー、うちはいいわー、間に合ってるからー」


という、定型の会話がなされ。


で、その近辺をまた、あちこち回るわけです。


(ちなみに私、顔が覚えられない上に方向音痴)


で、さっき会った人に、今度はそのおうちの裏庭で会う。


顔を覚えられないから、「あのー、私、○○のー」


「あんた、さっきも会ったよー」


「あれ~、失礼しました~!!」


なんてことは、何回もありました。


この、「顔を覚えにくい⇒覚えられない」というのも、


グラデーションなんですよね。


自閉傾向の強い人に、顔が覚えられない、覚えにくい、


というのが濃い場合があるようです。


それはどうしてなのかというと。


一つ一つの表情を、それぞれ個別のものとして


はっきりと捉えすぎてしまうからみたいなんです。


前にテレビで、サヴァン症候群(自閉症の人の一部に見られる様態)


の人の書いた絵を見たことがあるのですが、驚きでした。


たった一度しか見たことがない光景を、


電車だったかな、なんだったか忘れましたが、


窓から線路から背景の時計から、あらゆる部分を克明に、


写真に撮ったように細かい部分まで描かれているんですね。


それは、そのように、


写真に撮ったように記憶に刻まれているからです。


まあ、それは一部の人ではあるのですが、


そのような傾向で人の顔をとらえてしまうと、どうなるか。


例えば、芸能人の写真とか見ても、


役によって、笑ったり怒ったりによって、


全然違う顔に見えたりすることってありますよね。


「全然違う人みたいじゃない?!」と言いながら、


何とか頭の中では、「あの人か~、まあそう言われればそうか~」と


統合できるんですよね、一般の人は。


まあ、適当に、いい感じにアバウトに出来てるんでしょう、脳が。


ところが、自閉傾向の人はそうはいかない。


おそらく一つひとつをきちんと捉えてしまっているからかと思いますが、


それがばらばらのものに見えて、一人の人物として統合されない。


だから結局、「顔が覚えられない」、


ひどくなると「顔が分からない」ということになるそうです。


「顔が分からない」って、どういうことなのか、


さすがの「顔が覚えにくい」私にも、ちょっと理解が出来なくて、


よく知っている先生に聞いてみたことがあるんです。


そうしたら、本当に、家族や先生や友達の顔もわからないんだって。


だから、何で見分けているかと言えば、声とか、


体つき(腰周りとか腕とか)で見分けているそうなんです。


(実は2パーセントくらいの人がそうだと言う話もあります。)



そして、たしかその先生から聞いた話だった気がするんですが。


その先生が、どこかの少年院に行ったときのことを


話してくれたんですね。


衝撃の光景を見たのだと。


それは、ある部屋に通された時のこと。


その部屋には、少年院に入っている子達の描いた自画像が


ずらっと並べて貼ってあったんだそうです。


その絵の、かなりの割合が、「顔が無い」。


それは、どういうことか。


つまり、上記に色々書いてきましたが、それです。


「顔が分からない」つまり、「相貌失認」という状態。


それは、自分自身の顔をとらえることができないということ。


つまり、かなり自閉傾向が強い子が、


少年院の中にたくさんいるということ。



ここで強調しておきたいのは、


自閉傾向があるからって、


非行に走ったり、犯罪を犯す、ってことではない


ということです。


ただ、やっぱり、ちょっと育てにくさがある分、


育て方が大事、ってことです。


そして、お家や、学校や、周りの環境により、


おそらく一般の子よりも、


その影響を強めに受けて育つように感じます。



自閉傾向・発達凸凹の子って、


自分自身もそうなんですが、


本当に純粋と言うか、素直と言うか、まじめと言うか。


(自分も、って言ってるからちょっと恥ずかしいのですが(笑))


世間のごまかしとか、いい加減な感じとか、


そういうのに適応できにくいんですよね。


「王様の耳はロバの耳だ!」とか言っちゃうタイプ(笑)。


だから、本来的に、彼らのほうが正しいんではないかと


思うようなことすらあります。


ただ、それではこの複雑な世の中を渡りきることが出来なくて、


揉めてみたり、何かに巻き込まれてみたり、


そして犯罪や非行に走ってしまったり。



奈良少年刑務所に入っている少年たちの


書いた詩集も読んだことがありますが、


本当に純粋で、無垢で、胸が打たれました。


もしかしたら、彼らを犯罪に追い込んでいった、


周りの方が、なにか悪かったのではとすら思わされました。



発達凸凹の人、あまりそうではない人。


違いはあるけれど、お互いにないものを足しあえたら、


きっと素敵なものや、素敵な世界が、


もっともっとできるようになるのにと思います。


またそんな話も発信していきますので、


良かったらご覧になってみてくださいね☆