私は、桜が大好きです。


たぶん現代人としては珍しく、手紙とかも好きなんですが

(今は、だいたいメールになってしまって、たまにしか書かないのですが)

便箋を買う時に、桜の柄とかあるとワクワクします☆


私に限らず、日本人って、桜、好きですよね。


一年間のうち、1~2週間しか咲かないのに、

なんであんなにたくさんの桜が植わっているのかなと思います。


日本人にとって、なにか、特別な花なんでしょうね。



桜の散り際に、その潔さと、儚さを感じつつ、

よく思い出す、一つの文章があります。




山本周五郎 天地静大 より、引用させていただきます。



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「散り際をいさぎよくせよ、さくら花の如く咲き、さくら花のようにいさぎよく散れ


------いやな考えかただな。


この国の歴史には、桜のように華やかに咲き、たちまち散り去った英雄が多い、


一般にも哀詩に謳われるような英雄や豪傑を好むふうが強い、


どうしてだろう、この気候風土のためだろうか、


それとも日本人という民族の血のためだろうか。


こんなふうであってはならない、もっと人間らしく、生きることを大事にし、


栄華や名声とはかかわりなく、三十年、五十年をかけて


こつこつと金石を彫るような、じみな努力をするようにならないものか、


散り際をきれいに、などという考えを踵にくっつけている限り、


決して仕事らしい仕事はできないんだがな。」




桜の花言葉は、「精神の美」。


それを大切にしつつ、散り際には毎年、この言葉を思い出し、


こつこつと良い仕事を続けていきたいと思っています。




アストロラーベの理念について、何回かに分けて書いていこうと思ったのですが、

急に思い立って、ちょっと書きたくなったので、別の記事にします。


実は、占い師ではないのですが、知り合いに「なんでも観える系」の人がいまして。

仕事は大工さんなんですけどね。


水原さんのことがニュースになる3日くらい前に、こんなことを言ったんです。


「大谷選手はね、あれは凄い選手だ。でもね、大谷選手にだって、闇っていうのがあるんだ。」って、言ったんです。


何か・・予言みたいでしたね。


その大工さんの言葉を聞き、また、今回のニュースを聞き、感じたことがあります。


それは、光と闇(影)はセットだということ。


コインに裏と表が必ずあるように。


陰と陽、という考え方がありますが、まさにそれです。


2こでワンセット。


今回は、「善と悪」みたいな形になっていますけど、それだけに限らず。


身体を温める食べ物、冷やす食べ物。(夏は冷やすことも必要ですよね!)


前に出て行く人、支える人。投げる人、受け止める人。


今だって、書いている私、読んでくださっているあなた。


みたいに、二個イチでできてるんだと思うんですよね。



このニュースの少し前から、私は、ちょっと違う視点から、大谷選手に対して

本当にかすかになんですけど、違和感というか、心配というのか、感じていました。


あ、ちなみに、私の基本的な立場としては。


野球とか全く興味は無いですが、大谷選手の活躍とか、人格とか、本当に非の打ち所がないほど素晴らしいなと思っていて、まさに100年に一度の、流れ星みたいな大スターだと思っています。


・・それは、そうなのですが。


上のような、コメントを、世界中のあらゆる人がするじゃないですか。


それがあまりにたくさん集まりすぎて、積もり過ぎて、彼は神的な存在になって。

でも、ちっとも偉そうにはならなくて。


なんか、ちょっと心配になって来たんですよね、そんなに完璧な人間っているのか?って。


いや、いるのかもしれません。


でも、もし彼が、本来の自分より、少し頑張って、それを演じているんだとしたら?

少し、背伸びしていたとしたら?


これだけ、神レベルに、みんなから褒め称えられて、期待されて、それに応え続けることに、疲れはしないのだろうかと。



前に、俳優の妻夫木くんの話で、こういうことを聞いたことがあります。


彼は、次から次へと、「良い人」の役ばかりが回ってきたのだそうです。

(確かに、めっちゃそういうイメージありますよね!)


そうやって、「良い人」ばかりやっていたら、撮影の合間とか、演技していないときにも、なんとなく「良い人」で振る舞うようになり、そういう役ばかり続くので、延々と日常的に「良い人」を振る舞い続けるようになっていたそうです。


そうしたら、彼の中の「悪」の部分が、押さえ込まれてしまって出られなくなり、とても苦しくなってしまったのだそうです。


そして、それを彼はどう解決したのか。


自ら頼んで、悪役をもらうことで、自分の中に溜まっていた「悪」の部分を、演じることを通じて、出し切ったのだそうです。


本当に、その時の妻夫木くんは、怖かったらしいですよ。撮影の合間でも、めちゃくちゃ怖くて、話しかけるのがためらわれるくらいだったとか。



そんな闇は、大谷選手の中にはないのだろうか、とも、思うんですよね。


双子だと、似ているようだけど、相反している性格とか、よく聞くじゃないですか。


夫婦でもあると思います。二個イチで、どっちかがしょってるみたいなことも。


そうすると、大谷選手と水原さんって、仲が良かったし、もしかしたら双子みたいに二個イチで、大谷選手が押し込めている何かを、水原さんがしょってあげていたのだろうか、というようにも見えるんですよね。


強い光のあるところには、濃い影ができる。

それは自然の摂理なのかもしれません。


でも、逆に言えば、濃い影のあるところからは、光が生まれるのかもしれません。



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報道では、いろんなことが言われていますが、真偽の程はまだまだ分かりませんが、

見えない世界から見ると、こういう見方もあるのでは、とお伝えしたくて、急遽、この記事を書きました。


この世のあらゆることは、「見方」によって、相当、その姿や印象を変えるものだと思います。


つまり、「思い方一つ」で、それだけで、相当幸せになれるということです。


「どうやったら今の状況から幸せが見つけられるだろう」と思っている方、

一緒に考えます。


気軽にご連絡くださいね。


数年前に、不登校支援の団体をやっていた時に、


カウンセラーの先生に来ていただいて、講座を開いたことがありました。


その時に、この文章が書いているプリントを、


カウンセラーの先生が下さいました。


先生は、ラジオでこれを聞いて、とても感動したとのこと。


その会社に連絡をして、「承諾は頂いてあります」とのことで、講座に参加されたみなさんに、この文章を配ってくださいました。


私も、とても良いなあと思い、それから部屋の壁に何年も貼ってあります。


何度も、これを見ては勇気付けられてきました。


占星術を学ぶようになってからは、


とても「水瓶座的」だなあと思うようになりました。


みなさんの何かしら、お力になれればと思い、シェアいたします。


(この度、改めて、拓匠開発さんには快諾をいただきました。)



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国籍や人種、肌の色、性別、性格。あるいは趣味、感性。


ひとは、ときに互いの感性をきらいあう。


皆と同じに。並列に。横一線。


同調こそが、世界がうまくいく正解だと言わんばかりに、


個性を抑えなくては生きづらい世の中や、


周囲の声に従わなければ生きにくい世の中をつくりあげる。


ならば私たちは、心の声に従う生きかたに、胸を張れる世の中をつくろう。


感情が震え、心が躍る、理屈や建て前ではあらがえない選択。


その先にこそ、人間らしさに満ちた、本当の幸せがあると思うから。


ひとのちがいを、ひとつの大きなちからにする。


その先にこそ、古びた常識の延長線上にはない、


まったく新しい未来が存在すると思うから。


自分を、生きるを、選ぶ。


私たちは、その生き事例となって、勇気を伝えよう。


私たちを選ぶことが、一歩を踏み出す勇気になるように。


自分らしい生き方は、時代でもなく、社会でもなく、


隣の人の顔色でもなく、自分自身の心の中にある。


私たちは問い続けよう。


本音をころした先に、何がある?


本性を抑える必要が、どこにある?


わたしは、こうする。あんたは、どうする?


正解はない。しかし、答えはある。


つまるところ幸せのコツは、理屈ではあらがえないほうを選ぶことだ。


やっちゃえよ。


本能に、感動を。





株式会社 拓匠開発

https://takusho-shinchiku.com/hiraya/


水って、三つの形に変化しますよね。


液体の「水」、固体の「氷」、気体の「水蒸気」。


そんな風に人間のエネルギーも、三つに変化するのだと考えています。



時間



生きている、命がある、ということが、基本のエネルギー。


基本に一番近いものが「時間」。


そしてそれが変化して、「お金」や「モノ」になる。



簡単に説明しましょう。


(人によってはこの設定からはみ出る場合もあるかもしれませんが、あくまでも基本的な捉え方です)


「時間」・・自分の好きなように使える時間、です。


これを、「仕事」という形で、社会や他人に提供した時に「お金」になります。


つまり「時間」を失って、「お金」を得るということです。



「モノ」・・これはサービスも含みます。


「お金」を失って、その代わりに、「モノ」や「サービス」を得ます。



そして「お金」。


みんな、「お金」は一番大事なものみたいに思ったりしますが、

たぶんそれは勘違いだと思います。

「お金」は、この「時間」と「モノ」をつなぐためのかけはしです。

あとで、「何か(モノとか時間とか)」に取り替えるからね、という約束です。

約束は実行されなくては何の意味もありません。

ただの紙切れであり、丸型の金属であり、紙に書かれた数字です。

つまり、何かに変換されなくては、何の意味もありません。


なんか、こういう風に書くと、「ただ持っていても仕方ないから、じゃんじゃん使っちゃえ!」みたいに聞こえるかもしれませんけど、そういう訳ではなくて(笑)。


こういう時代ですからね、貯金なんかもあると安心ですよね。

保険をかけておくとかね。

そういうも、お金が「安心」に変化している形だと思います。

(ただ、溜めても溜めても、老後必要なお金は2000万・・なんて言い出す政治家もいたりして、いくら溜めても不安になるばかり・・なんてことも起こったりして、なかなか難しい問題です・・。)


お金って、大事ですよね。

それがなくては、衣食住もままならないもの。

この社会では、それがなくては、文字通り、生きていけないもの。


けれど、「お金」を得るためには、大事な「時間」を削っている。

人生そのものを削っている。


きっと人生は、「楽しく時間を過ごしていく」っていうことが、最大のテーマなのかなって思うんです。


「楽しく」のために、「モノ(サービス)」が必要なこともあり、そのために「お金」が必要なこともある。

でも「モノ」を取る時に、「時間」は減る。


うっかりすると、「楽しい『家』」を作るために、住宅ローンとか、新車とか、あれこれ「モノ」に気が向きすぎて、「楽しく過ごす『時間』」が、かなり削られてしまう、なんてことも、十分あり得る。


だから、時々、この「時間」「お金」「モノ」の三要素、何かを取った時に、何かが失われる可能性、というのを、ちょっと意識してみて頂けるといいかなと思います。


どういうバランスで暮らしているかなって。


ちなみに、私も博史先生も、かなり「時間」に重心を置く派です^^☆


みんなの空気鑑賞

2024年02月22日



『空気を積極的に読もう』


これが世間一般に流布された考え方なのでしょうね。


『空気をうまく操っていこう!』


これが先日、和香葉先生が提案した発想です。


そこには会話の流れという意味合いもありました。



そして、私が日々実践しているのは『空気鑑賞』です。


そもそも、空気って見えないものですよね?。

見えないものを読めということは、”表示されていない暗黙の何かを分かれよ” ってことだと思うんです。


ふと、「誰メリット?」「誰から指示?」って思うわけですよ。


”みんなのメリット”というのが、ありがちな答えなのかもしれません。

あるいは”立場のある人達のメリット”ということなのかもしれません。


”みんな”とか、”立場のある人”とか、わたし結構どうでもいい派なんですよ。


そういうと、”全体の利害や秩序、権威者の意志を尊重できない人間は、周囲から煙たがられると思うけど、それってデメリットだと思わない?” とかいわれそうですね。



確かに、属する社会や周囲からの評判、立場ある人に評価されることをメリットと捉え、それを追い求める人々にとっては、そうなのかもしれません。


わたしは、その感覚が基本無いんです。


だって、属する集団や権威からの評価・評判、そういうものにメリットを感じる人々というのは、自分の意見を元々あまり持っていないか、持っていたとしても、多数派や強い者が現れると、丸めてゴミ箱へ捨ててしまったりする程度のものでしかないわけで。彼らは常に周囲の動向に流されながら、いわしの大群のような行動原理で動いているわけで、「いわしの一生」を満たすためのものでしかないと思うんですよ。


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別にいいと思うんです。

”空気を読む”ということを「集団原理に従順であろうとすること」と言い換えるならば、それも、その人が選んでいる生き方であり、その人の人生ですから。


色々な人がいますよ、そりゃ。

いわしの大群もあれば、一匹狼のエイ、能天気なマンボウ、臆病なヤドカリなど。


イチ推し(していいのかどうなのか分からないけれど)の空気との向き合い方は、『空気を鑑賞する』です。

映画鑑賞や、美術品を鑑賞するような感覚で、空気を両手にとって、色々な角度から眺めてみる。


ああ、今はこういう空気が流れてるんだあ、ふ~ん。

あれ?、さっきまで白い空気流行っていたのに、今は黒い空気なんだあ。

青い空気に染まっていないと、叩かれちゃう時代なのね。

誰得なんだろう。

あれ、赤い空気どこいった?

あー居た、つぶされてる!(笑)。


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という感じで。


みんなが作っている空気という名の作品を、感心しながら素通りしていく。


日々日々作られ、そして消えて行く『空気』。


それでこそ『空気』


そんな空気の森の中を、風を切って歩いていく。


そんな感じですかね。



昨日の続きになります。



そして、とてもラッキーなことに、


自分の好きなことや、やりたいことがみつかったとして。


そして、それになれたとして。


そこからの悩みというのがあるんですね。



そして、それが、結構、深いらしい・・。



なんとなく、周りの話を聞いたり、自分自身のことを考えても、わかる様な気がします・・。



なりたくて、勉強したり、頑張って、やっとなれる職業ってありますよね。


弁護士、医者、看護士、理学療法士、心理士、薬剤師、教師、などなど。



けど。



頑張って、なってはみたものの。



(なんか、思ってたのと違う・・)


(自分がしたかったのは、こういうことではない・・)



そういうことって、結構、多いようなんですね。



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いくつか実例を出しましょう。



リハビリの先生になりたいと思って、なってはみたものの。


交通事故や、脳卒中からのリハビリの仕事をしていて

(自分のやりたかったことはこれではない)と、気付いた人。


自分のやりたかったのは、スポーツ選手のケガからのリハビリだ!

と気がついて。


でも、それって、まず専門学校から違うらしくて、

学校から行き直して勉強しなおした人がいました。


(それが叶う環境だったということが、ラッキーだったなと思います)



また、学校の先生になってみたものの。


生徒は可愛いけど、職員室の人間関係に悩む方は、かなり多いです。



薬剤師になってはみたものの。


精神科専門の処方をする薬局で、

(明らかにこれは異常だ・・薬漬けにする気だ・・)という処方箋でも

自分にそれを変更する権限がないから、

そのまま処方しなくてはならないという仕事をしていた人。



まあ、いろんなことがありますよね。




占い師だってそう。


博史先生は、若い時から占い師になって、


でもすぐには占い師一本で食べていくことは出来なくて、

バイトしていたりした時代もあったそうです。


それで、だんだんとお客さんが来てくださるようになり、

占い師一本で生活できるまでになったのですが、

それでも、その業界のあたりまえとか、空気感に

毒されてきた部分があったみたいで。


でも、私と話しているうちに、だんだんとそれに気がついてこられたみたいで。


(そのあたりは、「超絶当たる占い師」「超絶当たる占い師、その先へ!」

などに書かれています。)



今は、この業界の「見えない縛り」、「見えない常識や空気感」みたいなものを

ぶっ壊しつつ、「その先へ!」進んで行っているところです。


アストロラーベも、その一環です。(なんせここでは自由に発言できますので!)



話が少しそれましたが。



要するに。



好きな仕事に就いたけど、なんかちがう。



これを、どうするか、という問題ですね。


今、私が考え付く方法としては、2つあります。



ひとつは。


どんな仕事にしても、その仕事の中で、


その人の「裁量」が認められている部分


があると思います。



例えば、教師。


学校の先生って、かなり横並び感が強いと聞いています。


学校にもよるのかもしれませんが。


その中で、「うちのクラスは、こうする!」というのを、強めに出すっていうのも

ありなんではないかと思います。


(それをすると、他の先生との差が・・。空気感が・・)とか思われるでしょうか。


あえて、それをぶっ壊していくっていう(笑)。


いじめられない程度に。

(もしくは、いじめられる覚えとかありませんけど?というような強気さが必要かな?)


私は、学校の先生ではないけれど、ちょっとそれに似たような経験があり。


ぶっ壊してきました、そこの空気感を。


10年くらいかかりましたけど。


常に、常に、アウトコースギリギリの、際どい発言を繰り返して。


「あいつは変人」という感じの地位を掴み取りました(笑)。


おかげさまで、今はその集まりに行くと、私の発言の時には


みんなが「何を言い出すんだろう」というような、奇異と期待に満ちた目で


見られるようになりました(笑)。



まあ、そんな感じで、仕事の中の裁量を、最大限(時に変人と呼ばれても)

自分の方に引き寄せて、クビにならない程度に、好きなように働かせてもらう

という方法があります。




そして、ふたつめは。


それが叶わない場合ですね。


環境を変える


っていう手があります。


職種まで変えなかったとしても。


上の例だと、薬剤師さんがそうかなと思います。


その時には、もう職場を変えることも必要かもしれません。


薬剤師さんなら、他の病院でもいいでしょうし

なんならドラッグストアとかでもいいでしょうし。


看護師さんでも、科によって違ったり、

大きい病院、小さい病院、一緒に働く医師の性格によっても、

かなり違ってくるのではと思います。



だいたいの場合、仕事って、自分ひとりでやっていることは少なくて、


大概、雇われているとか、誰かとチームを組んでやっているとか、


そうでなくても、取引先があったりとか、


何の人間関係もない、という仕事のほうが少ないのではと思います。



(あの時、上司にこんなことを言われたけど、あれはどういう意味だったのか?)


(あの時、部下がああいう表情をしたのはどんな気持ちからだったんだろうか?)


(この件を、あの人に通したいんだけれど、どういう風に話したらいいだろうか?)


そういう系の質問は、博史先生が得意です。


私も観れますけど、私はタロットで、博史先生はサイコロなんで、圧倒的に早いです。


ちょっと事情が複雑だとか、聞いてもらいたいことが山ほどある、


という方は、速さのある占術も使える、博史先生がおすすめです。



もちろん、私のキャラが好きだという方は、大変嬉しく、お待ちしております。



あ、春分まで、二人鑑定も、同一(一人分の)料金で承っています。


日程は限られますが、お気軽にご相談下さいませ^^☆





画像


次にくるのが、向き不向き、ということにも、少し似ていますが、


最近は「好きなことを仕事に!」っていうのが、はやってますよね。


(まあ、自分もそのくちなんですが・・(笑))


ところが、「自分が、何が好きなのか分からない」っていうのがあったりしますね。


このあたりって、もう少し突っ込んで考えるならば、


「自分が好きなことの中で、何か仕事になりそうなものがあるだろうか?」


とも言えるし、


「仕事としてある(成り立つ)ものの中に、自分が好きなことがあるだろうか?」


ということもできるかもしれません。



例えば、好きなもの、と言われて、


釣り、スキー、テニス、日曜大工、ラーメン、手品、空を眺めること、漫画を読む・・


とかあったとして。


それがそのまま仕事になるって、ものすごく天文学的な数字になると思うんですよね。


ないとは言いませんが・・


手品でごはん食べられるって、相当ですし。


ラーメン食べてるところをYouTubeで撮って、それを配信して、


それでご飯が食べられるほど稼げるって、そりゃあ、よっぽどですよ!


だから、「好きなことを見つける」こと自体が難しい人もいますし、


(退職した方で、「仕事人間で来てしまって、無趣味で・・」とか聞きますよね)


好きなことがあったとして、それが収入につながるようなものなのか、


という難しさもある。


多少、収入になるようなものの中で、好きになれるものが見つかるか、


という言い方をしてもいいですよね。


ここが見つかるかどうか。



まあ、ここは、ひたすらトライっていうのもありかなと思います。


好きなことが分からないって、部屋に閉じこもっていても、


あんまり見つかる気がしないので、とりあえず、遊びに行くでも、


ボランティアに行くでも、なんか動いていれば、


その中に、何か見つかってくる可能性は、部屋にこもっているよりは


よほど高いと思います。



出かけた先で、何気なく買ったたいやきに、


「しみじみ美味しいわ~、たい焼きやさん、いいかも」とか。


公園で遊んでる子供を見かけて、


「そういえば、子供と遊ぶのは嫌いじゃなかったな。


保育士の補助とか、学童の先生もいいかな」とか。



なんなら、好きじゃなくてもいいんです。


特に好きな仕事につけない場合、


(好きなことが仕事じゃなくてもいい、という場合も)


少し楽に、というか、楽しく、仕事が出来るようになるポイントって


2つある気がします。



1つ目は、昨日もそれには触れましたが、


特に「嫌いなこと」「苦手なこと」を避ける


ということですね。


消去法になりますが。楽にはなると思います。


例えば、対人が苦手すぎる人は、営業とか接客とかはやめたほうがいいでしょうね。


(人生のどこかの時点で、それが解消・改善されることもよくありますが)


同じことを繰り返すと飽きてしまう人は、工場のラインとかは向いてないでしょう。


逆に、単純作業を繰り返していると落ち着く、という人には向いてますよね。


なんとなく、これは、少し長く生きていると、


自分でもわかるようになるかなと思います。



あと、昨日もお話しましたが、職種だけではくくれない部分もあり。


もっと、心情的なところになりますかね。


同じ事務職でも、書類等の作業系が濃いのか、対人の仕事が多いのか、


また、工場や生産系の仕事でも、大きい職場か、小さい職場か、


事務的なのか、家族的なのか、どういう雰囲気なのか、


そういうことも、案外大事な、働きやすさの要因になると思います。


そういうことも、面接の時に遠慮せずに聞いてみると、


「思ってたんと違う」ということは、減るかもしれませんね。



自分では気付かない、得意なところ、もしくは苦手なところ、


私のやっている「強み診断」で、わかることも多いと思います。


特に若い方で、自分がどういう人間なのか、


何が得意なのか、何で勝負できるのか、よくわからない、という方に


おすすめです。


これも、一律、30分¥3000~という体系の中に含まれますが、


今までやってきた感じだと、おおむね1時間くらいはお時間を頂いて、


ゆっくりお話させて頂くのがおすすめです。


安くはないかもしれませんが、半日~1日働く分で、


より良い、自分を生かせる道を選べると思うと、


それだけの価値はあるのではと思います。



「仕事にまつわる、なかなか深い悩み。」


まだ書ききれませんので、次回に続きます。





仕事、というものは、


いろいろなレベルの人に対して、


それぞれに、悩ましいものなんだと感じます。



まず、レベル1として、「仕事がない」。


これは、一番きついですよね。


収入が無いわけだから。


私の友達で、バイトの面接で30回連続で落ちたという猛者がいますが。


(就職活動じゃなくて、バイトですよ!)


収入がない上に、自分はそんなに価値がないんだろうか・・なんて


悩んでしまったりもしますよね。



そして、仕事が見つかったとして。


レベル2として、「その仕事に向いてない」。


団塊世代の、根性のある先輩は言いますよ。


「その仕事に向いてない、とか、甘ったれたこと言ってるんじゃない!


仕事があるだけありがたいんだ、その仕事に、自分が合わせなくてどうする!」


まあ、それもそうなんです。


仕事はあるだけありがたいんです。


嫌でも何でも、こなせば、お給料はもらえるんですから。


それで、生きていかれるんですから。



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でも、1月17日のブログ、「向き・不向きってあります!」にもあるように、


やっぱり、あるんですよ。・・向いてないよね、って。


私もいくつかバイトをしましたが、事務職は向いてないなと思いました。


だいたい性格が大雑把なんで、書類を作るにも、


「このタイトル、1センチ下げて」とか言われると、


「え?別に間違ってなくて、読めればよくない?」とか思ってしまう(笑)。


で、やっと書類ができて、印鑑を押すのに、


きちんとしっかり押せばいいのに、「ポン!」って押して、


押した印が一部欠けてしまって、最初から作りなおし・・とか。


まあ、他にもいろんな部分で、その、清掃会社の事務は、


向いていませんでした・・。


あまりにも精神的にきつくなり、しまいには出社拒否的な感じになってきて、


最後の方は、通勤している駅で吐きそうになって、


(ああ、もうこれはいよいよ限界だ・・)と思って、辞めることを決めました。


でも、同じ事務職でも、それから20年くらい経って、


政治家事務所に勤めたときには、割と向いてるなと思いました。


そこでは、書類も作りましたが、主に私はボランティアさんとか


支援者とか、あとは電話をかけたりなどが多くて、


事務職と言っても、少し内容が違ったんですよね。


私は2ハウスが天秤座なんで、2ハウスは「稼ぎ方」を表したりするのですが、


対人関係がある仕事が向いているんだろうなと思います。


職種が同じであっても、例えば、事務職の中にもいろんなカラーがあります。


また、一口に飲食と言っても、ラーメン屋さん、居酒屋さん、パン屋さん、アイスクリームやさん、弁当屋さんから、高級レストランまで、いろいろありますしね。


その中で、合う合わないは、違うかもしれませんね。


それぞれの職場で人間関係も違いますし、それも大きな要因ですよね。



なんか、少し話がそれてしまいましたが、


「向いてない」仕事って言うのも、実際、あるよね、と思います。


たぶんそれは、実際にやってみたら、わかると思います。


だから、あんまり「あれもこれも向いてない」とわがままを言うのもよくないですが、


かといって、ひとつやふたつ、「この仕事、苦手だわ」というものに


ぶつかったからと言って、どうっていうことはありません。


その仕事の中の「何が」、苦手なのか、嫌だったのか、


そこをはっきりさせておくといいと思います。



私は、最初にお話した、清掃会社の事務職のときに嫌だったのは、


細かい作業が苦手、というのもありましたが、


それ以上に嫌だったのは、思い返せば人間関係でした。


自分はいらないのではないか、必要とされてないのではないか、


自分のやっている仕事は無駄なのではないか、


そういう気持ちが常に付きまとっていました。


「ありがとう」といわれることが、極端に少ない会社でした。


やっぱり、蟹座って、身近な人に喜んでもらったり、


感謝されたりってことが嬉しくて、それを励みに働いてるような


ところがあるんで、それがないのは、


給料云々以前のモチベーションの問題として非常に苦しい!!


今、思い返しても、やっぱりあれは無理だったろうな~と思います。


だから、そこから転職するときに、職種とか給料はともかくとして、


もう少し人に「ありがとう」っていわれる仕事をしたい、と思ったのでした。


それも、つまづいたからこそ、気がついたことでした。



長くなってきたので、次回に続きます。






昨日、今日と、オンラインの講座を受けています。(全6回)


本当は、1月7日と今日だったのですが、7日は風邪で寝込んでいたので、


昨日は、昨日が期限で消えてしまう、7日の分のアーカイブを見て。


今日は、ライブで2回目を受けて。


10~15時で、途中にお昼休憩が一時間、休憩も2回くらいあるので、

4時間弱なんですけど。


長いような短いような、不思議な時間でした。



講座の名前は、「W Sailing(ダブルセイリング)」と言って、


内容は・・なんだろう・・


詳しくは言わないように、規約で約束してるんですけど、


それ以前の問題で・・なんて表現していいのか、非常に難しい(笑)。


まあ、「情報空間のアルゴリズム」ってことなんですけど、さっぱりなんのことかわからないでしょう(笑)。


私も、2回目まで受けて、ようやくなんのことか分かってきたくらいのもので(笑)。


なんていうのかなあ・・


情報というもの(ネットや本や、テレビ等の文字や音声、画像、というものだけではなく、周りの人との会話とか、体感とか、雰囲気とか、そこから感じるものとか、微細なものも含めて全て)の、扱い方。

それに、知らずに振り回されたり、縛られたりしてることもあるし、もっと自在に使えるんだよ、みたいな話ですかね。


どうしてまた、そんな講座を聞こうと思ったかというと、

いつもメールレターを送ってくださっているコピーライティング講師の

「田中ユキノリさん」という方がいらっしゃいまして、

(向こうは私のことなど全く知らないと思いますが、私はちょっと好きで、楽しみに読ませてもらっているのです)

その方の紹介で、その講座がおすすめです!というご案内があり。


無料だったので、受けてみるか・・と思い、申し込みました。



私、ホロスコープで木星が牡羊座にあるんですけど。


木星が牡羊座の人って、直感で動いて正解みたいなんですよね。

直感で、社会に出て行くみたいなことが良いらしい。


で、なんとなく、それこそ直感で、「これ、聞いてみよう」と思ったんです。



この講座で教えてもらっていることは、すごく抽象的なもので、難しい部分もあります。


けれど、何か大切な事を教えてもらっているんだ、というのは、わかります。



すぐに食べられるインスタントなものではないのです。


むしろ、小麦粉とか、かつおぶし、塩、みたいな、素材なのです。


これを、受け取って、どうしたらいいのか、自分でレシピから考えて、使う感じです。


でも、たぶん、いつか役に立つのだろうという気がします。


いや、もう、すでに自分の中で静かに息づいてきているものがあるような気もします。


自分の土台を支える何かになってくれるような予感があります。




何を教えてくれるのか、よくわからない第1回目の講座で、

それでも「全回、聞いてみよう」と思わせてくれたのは、講師の熱意でした。


なにか、わからない事を話している。


それでも、この先生たちは、無料で、この講座を作るのに時間と熱意をつぎ込んでいる。

それは、何か、使命みたいなものにつき動かされている感じで、

一人の先生は、緊張しているのが伝わってくるけれど、それでも一生懸命に話している。先生たち、話しながらキラキラしてました。


その熱意に打たれた感じでした。


こんなに一生懸命伝えようとしてるんだから、受け取らなくちゃ、って。




時たま、こうやって無料講座とかで「こんなに!?」っていうくらい

教えてくださる先生がいます。


タロット講座、ホロスコープ講座などでお世話になった、かげした真由子先生(通称まゆちん先生)なんかもその一人です。


講座、セミナー系は、上限も無く、つぎ込む人は家が建つくらい、何千万もつぎ込んだりします。


それも、私にはなかなかかなわないことなので、本を借りる、買う、無料講座、もしくは低額の講座を受ける、ということで、学びを続けています。



ある程度、高額な講座でも、「そんなの1500円の本を買えば書いてあるよ?」みたいなものもたくさんあるそうですし、


今回みたいに無料でも、すごく質が高いと思うものもあります。



この、無料でも質が高いと思わせるようなタイプの講座に共通するのは、「高い志」です。


ボランタリー精神といいますか、「これは世の中の為になるものなので、いったん利益は度外視してやる!」というような意志・志です。


そういうものを受け取って、自分は育ててもらっているんだなと感じます。




そうやって育ててもらっている以上、それを恩返ししなくてはならないわけです。


とはいえ、恩を先方に返すすべもないので、「恩送り」ということになります。




なかなかまだ一年にも満たないですし、アストロラーベも、じゃんじゃんご相談を頂くという風には行かないわけなんですが、


でもそれもまたよしということで、まだまだ「恩送り」の時期だと思い、


たくさん皆さんに無料で楽しんでいただいたり、また低額で使っていただいたりして、

今まで、そして今も、いろいろな先生にたくさんお世話になって来たことを、みなさんに今年も還元していけたらいいのかなと思っています。



がんばって、楽しんで、今年も記事を書いて行きたいと思いますので、


どうぞよろしくお願いいたします^^☆



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占い鑑定を始めて約22年が経ちます。

占いというものは、世相を反映するといわれています。

特に昨今、離婚に対する人々の価値観の変化には著しいものを感じます。


離婚届け電話占い


私が占い師を始めた頃は、”旦那と離婚せずに済む方法”とか、”愛人のいる夫と離婚するべきか”といったご相談は常に寄せられていました。どちらかといえば、離婚を”極力避けたい選択”と捉えた上でのご相談です。あるいは、”仮に離婚した場合、新しい伴侶が現れて、再婚することができるか?”ということを占って、離婚する/しないの判断の材料にしたいという案件も多かったですね。


ところが、最近はあまりそうしたご相談は多くありません。

離婚をする前に、自分に新たなパートナーができるかどうかを占うにしても、離婚をするという判断自体は、お客様の意志として固まった上で占い師に尋ねて来られるケースが多くなりました。


そして、”夫といつ離婚できるか?”、というご質問を頂くことが増えてきています。電話占いに来られるお客様のほとんどが女性なので、それだけ離婚を検討している女性が増えているということなのだと思います。


また、離婚後に、再婚したいとまでは”思わない(恋愛はしたい)”と仰る方が増えました。再婚することが、年齢的に難しいだろうと憶測してそう考えているという訳ではなく、”再婚したいという願望自体がない”というケースが増えてきているのです。


再婚を望まない理由が、結婚への幻滅から来ている場合もありますが、特に否定的な理由からではなく、自分にとって心地良く感じるライフスタイルを優先したい、という女性が増えています。


彼女達は、再婚にこだわらず、恋人との愛情あるコミュニケーションの内容を最も重視し、経済的に自立した状態で、自由で活動的な暮らしを求める傾向があります。企業の第一線で活躍している女性、または税理士などの専門職、フリーランスで何十万も稼いでいる女性や起業家に多いです。


ちなみに、そうした前衛的な考え方の女性たちから時折寄せられるお悩みとして、自分の価値観に男性が付いてきてくれない(例えば彼氏は同棲生活や再婚を望んでいる)ということがあります。でも、彼女達は価値観の合わない相手との交渉に時間と労力をつぎ込まないので、価値観が合う男性を新たに見つけ出すことが多く、占い師からのアドバイスをそれほど必要としない傾向があります。


彼女達は分析力に長けていて、問題解決能力も高い為、占いを心の栄養剤のように用いる傾向があります。何かについて深く悩むというより、人生の所々の岐路で、占い師の意見を参考程度に聴きに来るといった感じです。総じてエネルギッシュで意志が強く、明るい性格の方が多いです。


また、これも私の体感的な変化なのですが、ここ十年くらいの間で、”男性(夫や彼氏)に別れを告げられないか不安で仕様が無い”といった感じのご相談は減少しており、逆に「なかなか別れを受け容れてくれない相手を説得する方法」や「いつ別居するのが最善か」といった、お別れの具体的な対策を尋ねてこられるお客様が増えてきています。


(もはや”別活”という造語を作っても良いくらいに。)


こうした変化の原因は何なのか?、色々なケースがあるため、これだとはっきり言える理由は見つかりません。ただ、想像するには、「女性にとって結婚こそが幸せの終着地点である」とか、「離婚は恥ずべきこと」とか、「離婚を考えるということは、身勝手で、我慢強さが足りない証拠なのだ」とか、「離婚をすると生活は大変になる」、といった既存の神話が、現代の女性達にとって、あまり響かなくなってきているのだろうと思います。


結婚をして、子供がいたとしても、人には話せない悩みを抱えている奥様は多くいます。よくあるのは、当事者にしか分からない伴侶に対するある種の絶望感とか、表面的な所からは見え難い根底にある不一致という問題です。熟年離婚や熟年再婚は既に珍しくありません。離婚によって人生の切り替えができたという人もいますし、再婚せずとも充実した恋愛関係を営んでいるという例もあります。


離婚に至らざるを得なくなってしまった背景には、そうなるまでの様々な経緯や苦悩がありますが、”離婚=不幸”という図式では無くなって来ているのです。かつて離婚という言葉に紐付けられていた否定的な社会通念は、もはや通念でさえなくなっており、離婚は人生の軌道修正の手段として認識されつつあるようです。


特に結婚していた間、ずっと共働きで、フルタイムで働いてきた女性の場合、離婚をしても、仕事を継続して暮らして行くことができます。コロナ禍で在宅ワークを得た女性たちもそうです。女性の経済的な自立が、離婚への抵抗感を弱めてきている事もあると思います。また、晩婚化が進んだことによって、働きながら独り暮らしをする女性が増え、結果的に女性にとっての離婚のハードルが下がったということもあると思います。


ただ、子供がいる場合は、子供の年齢と離婚のタイミングを考える女性が多く、それは今も二十年前も変化していない部分です。


一方、ここ十年で、電話占いを利用される既婚者男性が増えて来ているように感じます。そうした男性のお客様からは、”どうすれば離婚に至らずに済むか”、とか、”妻から離婚を申し込まれたが、原因がさっぱりわからない”、といったご相談を受けることが多いです。しかし、奥様が離婚を言葉に挙げる段階にまで来てしまっている場合、それを説得によって思い留まらせることができる例は多くありません。女性は物事に対して現実的、計画的である場合が多いので、「計画実行」の段階に入ってしまっている場合には、情緒的な理由で後戻りする余地は既に無くなっていることが多いのです。


大雑把な言い方をすれば、”妻(女)は、夫(男)の心理を見抜くことができるが、夫(男)は、妻(女)の心理が分からないことが多い”のです。それが男性が妻の離婚願望を大分後になってから知り、気がついた頃には手遅れであることが多い理由なのではないかと思います。にもかかわらず、多くの男性は、余程追い詰められないと人に悩みを打ち明けられない傾向があります。女性の場合は、親や兄弟姉妹、旧友、親友、そして占い師などに相談し易かったりします。男性は、離婚の危機に陥っていることに気付いてから、はじめて、妻が何を考え、何を思ってきたのかを、占いに相談に来る場合が多いようです。


感じ方や考え方の相違は、脳の違いや生理的な違いがある以上、ほとんどのカップルの間に、大なり小なり存在するものだと思います。そのズレを理解し、良い接し方や、向き合い方を探る方法として、「占い」は、女性に限らず、男性にも活用されて行くと思います。


そういう方策を用いても無理な場合、より精神的で深い領域に大きな落差と隔たりがある場合には、離婚という手段が検討されるのかもしれません。その場合は、離婚後の人生計画を含めて占って行く必要があります。


世相の変化は、個々人の意識の変化の顕れなのかもしれませんが、鑑定においては別けて考える必要があります。特に離婚問題は、どこまでも個々の問題であり、置かれている状況も千差万別です。その方の背景と経緯を良く理解した上で占う必要があると思います。


今回は、占い鑑定と離婚について徒然なるままに書いてみました。



この前、ネットで


「死ぬときに後悔すること」


というアンケートの結果を見ました。


死を前にした方たちが、


どういうことについて後悔するのか。


というものです。


(複数ありますので、


私が見た記事について書きますね)



「もっと美味しいものを食べればよかった」とか


「友達と長くつきあっておくんだった」とか


いろいろなものがありましたが



その中でも、一位は。


「もっとやりたいことをやれば良かった。


もっと冒険をしておけば良かった。」


ということなんだそうです!


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私は、前の記事にも書いたと思いますが、


かなり、「やっちゃう!」方です。


やるか・やらないか、で悩んだら、


だいたい、やっちゃいます(笑)。



死ぬ時にどう思うかな~っていうことを


なにかの決断の時にはよく考えるんですが、


きっと「あれ、やるんじゃなかった・・」って後悔するより、


「あれ、やりたかったな、やっておけば良かったな・・」って


後悔すると思うから。


ちなみに、その時に、もう一つよりどころにしている


基準としては。


子供たちにも同じことを言ってるんですけど。


「なにをしてもいい。ただし・・


命に関わることと、取り返しのつかないことはだめだよ」って。


もう、「だめな基準」は、


そのくらいでいいんじゃないかなって思います。



せっかく一度しかない人生なんだから。


(生まれ変わるとしても、この名前ではね)


ぼーっとしたり、迷っているうちに、


今も刻々と時間は削られていってるわけだから。



ちなみに私は、今までいろんなことはやってきましたが


やってきたことについて、深く後悔していることはありません。



良いことばかりしてきたわけじゃないし


人を傷つけたり、失敗したと思うこともあるけれど


その経験も含めての


そこから学んだこともあっての


私だと思うから。


結局、良かったなと思っているんです。



何かをやるのって勇気が要ります。


「ああなったらどうしよう」とか


「こうなったらどうしよう」とか


思いますよね。


でも、「そうならない確率」が97%、って


聞いたことがあります。


これは「上手くいく確率が97%」ってことではないです。


失敗するにせよ、成功するにせよ、


「今、思い描いているあるパターン」から


外れていく確率が97%、ということらしいです。


まあ、ごく簡単に口語で言えば、


「いろいろ考えたって


良くも悪くも、思った通りにはならないよ~


結局、まさかの予想しないところにいくんだよー」


っていうことになりますかね。



だから。


今、もし迷っていることがあったら。


命にかかわることではない


取り返しがつかないことではない


そして


死ぬ時に、やっておけば良かったと


おもいそうなことであるなら。



思い切って、やってみればいいのではないでしょうか^^☆!!





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ドイツでは、「ユーモア」の定義として、


「にもかかわらず、笑うこと」


という定義が一番有名だそうです。



ジョークとユーモアって、似てますけど、


ジョークは、時によっては、


相手のことをちょっとけなしたりとか


そういうことで笑いを取る場合もあるけど、


ユーモアって、どこまでもあったかさがあるもの


ということみたいです。


ベクトル的に言えば、


他人をどうこうって笑うんじゃなくて、


自分のダメさをくすっと笑う感じでしょうか。



ふと、今日のブログのタイトルを


「にもかかわらず、笑う」にしようかなと思い。



「にもかかわらず 笑う」で検索してみたところ


面白い記事に出会いました。


「PHP研究所 「にもかかわらず」笑う」という記事で


「小林エリコ」さんていう漫画家さんが書いてる文章なんですが。


エリコさんはなかなかの苦労人らしく、


小さいころから家族不安定な中ですごし、いじめにも遭い。


仕事に就いたものの、20歳で挫折し、精神薬を300錠近く飲んで


自殺を図ったそうです。


一命は取り留めたものの、


搬送された病院に入院することになったそうです。


そこら辺の話を、彼女の言葉から一部、


引用させてもらいます。


社会から隔離されたこの病院にはいろんな苦労を抱えた人たちがいた。幻聴が聞こえる人、妄想を抱いている人、摂食障害の人。病気が良くなったのに、家族が引き取りたがらなくて、家に帰れない人もいた。

ここに入院している人たちはなんらかの理由で社会からはじき出されていた。そして、この病院で初めて、たくさんの精神疾患の人に出会った。普段なら恥ずかしくて隠しておきたいことを、ここの仲間の前ではあけすけに話すことができた。

「多量服薬する時って、疲れない? 百錠くらい飲んだあたりで『めんどくさい!』って思っちゃう」

そう言うと、入院している仲間が「わかるわ~」と、大きな声を出して笑った

辛い経験や苦しい体験を笑いに変えるのは生きる知恵だ。笑い飛ばすことによって、私は最悪の経験を「大したことではない」と思うことができた。


なんかね、凄い例ですけど、


これって、ユーモアなんだろうなと。


「にもかかわらず、笑う」っていうやつですよね。


私は薬を大量に飲んだことはないのですが、


うつで死にたい願望があった時があるので、


ちょっとだけ、この文章に(なんかわかるわ~)と思ったのです。



私の場合、あの頃のことを、


今、引きで見て、ちょっと可笑しいなと思うのは。


うつで、でも、破壊願望もあって、


家(当時は実家)の台所のお皿とか、卵とか、


めちゃめちゃに投げつけて壊してやりたいという衝動に


何度駆られたか分からないのですが、


その度に、片付けや後始末のことを考えてしまって、


(卵割ったら、あちこちベタベタして拭くの大変そうだな・・


お皿を割っても、細かいのが飛び散って後で危ないし・・)


とか思ってしまって、結局一度もやらずじまい(笑)。


この時の感覚が、「100錠飲んでめんどくさいと思う」みたいな


ところと、ちょっとかぶったんですよね。


伝わりますかね~この感じ(笑)。



あと、エリコさんが文章の中で紹介していた、


北海道浦河町の社会福祉法人「べてるの家」っていう、


精神障害者と共に生きる街づくりを実践している団体があるんですが。


そこでは「幻覚&妄想大会」というのがあって


幻覚や妄想によって引き起こされたハプニングを


文章にして、表彰して、みんなで笑い飛ばすということを


やっているそうです。


「べてるの家 妄想大会」で検索すると


いろいろな賞状が出てきます。


職員さんの、愛に溢れている賞状ですよ~^^☆



あと、「にもかかわらず、笑う」っていうのは


形から入っちゃうのも効果的みたいです。


べてるの入居者さんが、「死にたい、死にたい!」って


なってしまって、自分の頭を酷く叩き始めてしまった時に、


周りの仲間(入居者さん)たちが、


「手にタオル巻けば良いんじゃない?」とか


なんだかんだやったあげく、


「くすぐちゃえ!」ってことになって、


くすぐって、ゲラゲラ笑って、笑い倒させて、


「まだ死にたい?」って聞いたら


「死にたい気持ち、どこかにいっちゃった」となったそうで。


そうやって


くすぐるとか、お笑いとかコメディを見るとかで


形から入るのも、けっこうおすすめです^^☆



コメディで思い出すのは、チャップリンです。


(今は著作権の都合で、彼の映像を


目にする事がほぼなくなってしまい、


とても残念なんですが・・)


コメディって、喜劇ですけど、


喜劇と悲劇って、紙一重なんですよ。


ほぼイコールといっても良いくらい。


なんていうタイトルだったか忘れましたが、


主人公(チャップリン)が貧乏すぎて、


食べるものがなくなってしまい、


靴を煮込むんです。


(靴は革靴だから。革なら動物性だから食べられるかも・・


っていう発想ですね。)


で、靴ひもを、くるくるって、


スパゲティみたいにフォークに巻きつけて


食べようとするんですけど(笑)。


その様子が、なんとも切ないやら滑稽やらで。


笑っちゃうんですよね。


でも、本人にしてみたら、ただの悲劇なわけで。


それをなんで笑えるかっていったら、


こっちは第三者で、引きで見てるからなんですよね。



人生、生きてればいろんな日はあります。


ピンチをチャンスにする、なんて、よく言いますけど、


それって違う言い方をすると、


「にもかかわらず、笑う」ってことかも、と思います。



長くなりましたが、今日のまとめ。


「にもかかわらず、笑う」方法。


1.形から入る(お笑い、コメディー、くすぐるとか)


2.笑い飛ばす


3.引きで見る

(天から見たら、こんな小さいことな~っていう。

もしくは、時間が経ったイメージで、

あの時には私もあんなことで悩んでたのか~みたいな。

時間的に、もしくは空間的に引きで見て、

「悲劇を喜劇に転化して見る」という感覚。)


そして、4つめに。


4.小さい良いことをする。


というのもあります。


大きな良い事をしようと思うと疲れちゃうから。


誰かに、ペットでもいい、


ちょっとやさしくしてあげることで、


絆ホルモンの「オキシトシン」が分泌されるそうです。


そこで、ちょっとだけでも「にこっ」とすることで、


それがめぐりめぐって、ホルモンとして自分の体内に


帰ってきて、元気になるイメージですね☆



季節の変わり目、元気が出ないときなど、


ちょっとやってみていただけたらと思います^^☆





シリーズでお伝えしています。


奈良少年刑務所に収容されていた少年達の詩です。



その後に、私の感想を入れておきます。


(手違いで、その6が消えてしまいました。すみません!)





いつも いつでも やさしくて



ぼくが落ちこんでいるときも

反抗したときも


いつも いつでも やさしくて


そんなやさしい母さんだから

ぼくもやさしくしようっていう気持ちになる


でも ぼくのなかには「俺」がいて


そんな「俺」は時々

なにかに当たりちらして

ブツかって生きたかったんだ

でも


あなたは いつも いつでも やさしくて


だから本気で ブツかれなくて

だから本気で わがまま言えなくて

だから本気で さびしくて


やさしさで包んでくれる母の愛


ぼくはしあわせだけど

その「愛」が「やさしさ」が

ぼくのなかの「俺」を不自由にする


「俺」を母さんのまえで自由にして

本気で手足をバタバタさせたい

いつも いつでも


でも 少しも母さんに迷惑かけたくないんだ

そう そのやさしさの前では


いつも いつでも やさしくて




この詩の後に、編者の寮美千子さんのコメントがあります。



やさしさが、真綿のように人の心を

締めつけることがあります。

何が、ほんとうのやさしさなのか。

自分に問い直し、相手を見つめることの大切さを、

この詩は気づかせてくれます。

刑務所の矯正展の展示で、多くの参観者の注目を集めた詩でした。




ここからは私の言葉です。



私にも3人の子供がいますが、

私はこんなにやさしいお母さんではありません。


それがいいことなのか悪いことなのか

自分でもわからないときもあります。


その、向き合う子の資質にもよる部分もあるかもしれないし

一言にこれは正解、不正解って、簡単にはいえない

ものかもしれません。


時間がたったら、わかるのかもしれません。


だから、ちょっとだけ先の未来を観たい時や、

相手と自分の心のありようはどんな風か、とか、

これからどういう気持ちを持てばいいか、とか。


そんな時に、自分でもタロットを引いてみたりしています。


「まったくそれはそう!」という身も蓋も無いものが

出てくることも、よくありますし、


それか・・見えてなかったな、それは・・

という考えさせられるものが出るときもあります。


誰のためでもなく、

自分自身のために、

占いが出来てよかったと思うことがあります。


まだ駆け出しですけど、

その程度には、結構当たってる感覚がありますので、

どうぞ、今月末までの「30分無料モニター」

お気軽にお問い合わせ下さい^^☆




時間を、味わう。

2023年09月11日

ふと思い立ったのですが、


水曜は心理をしばらくやっていきます、宣言をしましたが。


あと、週1くらいで詩を載せていこうかなあと。


単なる思い付きですが、しばらくそんな感じでやってみます☆



これは、有名な詩なので、


ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。


私は、結婚する友達などに、


よくプレゼントと一緒に渡していた詩です。



占いにこられる方って、


恋のお悩みの方とかも多いのかなと思います。


そんな方、そんな「お二人」のために、


この詩を贈ります。






『 祝 婚 歌 

しゅくこんか

吉野 弘


二人が睦まじくいるためには


愚かでいるほうがいい


立派過ぎないほうがいい


立派過ぎることは


長持ちしないことだと


気づいているほうがいい


完璧をめざさないほうがいい



完璧なんて不自然なことだと


うそぶいているほうがいい


二人のうち どちらかが


ふざけているほうがいい


ずっこけているほうがいい


互いに非難することがあっても


非難できる資格が自分にあったかどうか


あとで疑わしくなるほうがいい


正しいことを言うときは


少しひかえめにするほうがいい


正しいことを言うときは


相手を傷つけやすいものだと


気づいているほうがいい


立派でありたいとか


正しくありたいとかいう


無理な緊張には色目を使わず


ゆったりゆたかに


光を浴びているほうがいい


健康で風に吹かれながら


生きていることのなつかしさに


ふと胸が熱くなる


そんな日があってもいい


そしてなぜ 胸が熱くなるのか


黙っていてもふたりには


わかるのであってほしい






私の中で、一番自分に刺さる部分は、



「正しいことを言うときは


少しひかえめにするほうがいい


正しいことを言うときは


相手を傷つけやすいものだと


気づいているほうがいい」



という部分です。


これはね、本当にそうだなと思います。


しみじみと。


控えめに言っても、十分届くんですよね、


大概の場合はですが。


自分の気持ちがオーバーヒートしてしまって、


言い過ぎちゃったりすることもあるんですが。


我慢したり、諦めたりして、


言わないのも、また、ダメなんですけどね。


そこらへんが、ちょっと難しいんですよね。





あと、いいなあと思う部分は。



「生きていることのなつかしさに


ふと胸が熱くなる


そんな日があってもいい


そしてなぜ 胸が熱くなるのか


黙っていてもふたりには


わかるのであってほしい」



私って、なんだかやたらと忙しい人なんですよ。


芸能人みたいにスケジュールが詰まってるとか、


そういうわけじゃないんですけど、


あれもやらなくちゃだし、


これもやりたいし、


っていうことが、やたらと多くて。


年中、バタバタと落ち着きなく


なにかしらやってる、っていう(笑)。


だから、なんとなくいつも


「忙しそう」ではあります(笑)。


だから、気がつくと、日々が


「時間との戦い」みたいなことになりがち。



けれど、そういう毎日の中でも、


ふっと、こういう時間が


何かの隙間に訪れることがあるんです。


生きてるっていいな。


うれしいな。


なんとも素朴に、ふっとそう思う瞬間が。



子供たちがまだ小さかった時は


今よりもさらに余裕が無くて。


それでも、そんな中でも、


時たま、ふっとそういう時間がありました。


うれしいな。


かわいいな。


もう二度とこの時間は来ないんだな。


っていう。



何かを生み出したり、


作り出したりしているわけではないけど、


そういう「味わう時間」って


生きている中で、かなり大事なんだと思います。


たまにでいいから、きっとあった方がいい。



私の占いも、そういうような、


「ちょっと立ち止まって、見つめる」とか


「深く考えたり味わったりしてみる」というような


そんな時間を差し上げられるものであったらいいなと


思っています。


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先日、実家に帰ったときに、考えさせられることがありました。


私の祖母は7年ほど前に亡くなったのですが、


母と話していて、その時の話になりました。


祖母は92歳で、大往生だったとは聞いていました。


でも、その詳しいところまで聞くのは初めてでした。



入院の10日ほど前には、家族と一緒に、


元気に温泉旅行に行ってきたそうです。



そして、私は何かで調子が悪くなって入院したんだと


思っていましたが、聞いたら実は違いました。



週に何回か、デイサービスに通っていたのですが、


そこの日課で、血圧や脈拍を測るというのがあるらしく、


その時に、異常に脈拍が低かったのだそうです。


40台だったとか?


それで、心配されたデイの方が、連絡を下さり、


病院に連れて行ってくれました。


そうしたら、そのまま入院という事になり。


心臓の機能が弱ってきていたみたいで。


でも祖母は、何も痛くも苦しくもなく、


いたって普通なので、「なんで入院なんだ?」という


感じだったそうです。



それで、母も病院に呼ばれて。


「これはもう、治すには心臓の手術をするしかありませんが・・」


と、お医者さんに言われたそうです。


その時、祖母は92歳。


もう十分生きたと言う感じがあったのでしょう。


そして、どこも具合が悪いわけでもないのに、


今さら、ここから痛い思いをするのも・・と思ったようです。


母も同じように思ったようで、


結局、手術をするのはやめたそうです。


(でも実は、母としては、もっと長く生きてほしいから、


手術もちょっと考えたのだ、と後で聞かせてくれました。)



そうして、たしか10日あまりだったでしょうか。


祖母は実に穏やかに入院生活をすごし、


最後の数日は、母に買ってきてもらった


大好きな桃を、毎日、何口か食べ、


旅立つ前夜にも自分でトイレに行き、


最後までオムツも使わず、


眠る時間が段々長くなり、


本当に眠るように旅立ったそうです。



もう、憧れですね。こういう旅立ち方は。



実は、この祖母の数年前に、祖父を先に見送っていました。


祖母をこんな風に見送ってあげられたのは、


祖父の見送りが先にあったお陰かもしれません。



祖父は、86歳でした。


年を取っても元気で、よく動くまめな人でした。


ある日、インフルエンザにかかって病院に行きました。


その病院で検査をしたところ、


末期の肺がんだと言うことがわかりました。


長年、煙草を吸っていたことも関係あるかもしれません。


でも、全く痛みなどもなく、気がつかなかったのです。


けれど、気がついてしまったがために、


治療が始まりました。


抗がん剤がなかなか合わず、


抗がん剤の副作用も強かったからでしょうか、


入院から13日で逝ってしまいました。


末期の肺がんとはいえ、どこも痛くも苦しくも無いなら、


高齢であるほど、がんは進行しにくいので、


もしかしたら、そのままにしておいた方が


元気で長生きしたのではないかと


後で思いました。


そんな、苦い経験があってからの


祖母の見送りでした。



長寿国のこの国でも、平均寿命を超えて、


元気に生きられて、苦しまないで逝けたら、


これはもう大往生と言ってもいいのではないでしょうか。



けれどこの国では、


普通に枯れていくように死んでいくことは


許されないと言うわけではないけれど


決して当たり前ではなくて。


最後の最後まで、


いやいや、元気になるかもしれない、


という可能性のカードが出される。


元気にならなかったら、寝たきりになるかもしれないけど、


機械をつけて、管を一杯通すことになるけれど、


どのみち、まだ生き続けることも出来ますよ、という。



この誘惑に勝てるのか?


自分で自分の命の終わりを見極められるのか?



この国では、ほとんどの場合、


「自然に大往生」はできません。


自分で選び取らなくてはなりません。



そこで、間違いのない方を選び取れるかどうか?


深く考えると、難しいです。


82歳、平均寿命以上のおじいちゃんでも、


そこで大きな手術をして、


そこから更に10年以上、元気に生きられる人も


いるかもしれないから。



難しい問題だけれど、


感じることを二つにまとめるならば。


「いつ死んでもいい」と思えるくらい、


一生懸命に、後悔なく、


毎日を生きているだろうか、ということ。


そして、


自分に与えられた命はこの辺りまでだ、ということが


おおよそ自分でわかるかどうか、ということ。



もし私が、そんなことに向き合うときには、


真剣にタロットを引いてみるのかもしれません。


占い師としては。


あと何年ということよりも


自分の心と向き合ってみたいかもしれません。


(規約にもありますが、人の生死に関しては


占いませんので、その点についてはご了承下さい)



まだまだ占い師としては経験が浅いけれど、


自分の人生にかぶせてタロットを引くことが多いこのごろで、


そのたびに、「ああ、それ見落としてたな」とか


「見ないふりしてきたものに向き合う時なんだな」とか


考えさせられることが多くて。



占い師になって良かったな~って、


誰のためよりも、自分自身を見つめるために


この技を持ててよかったと


今、感じています。




シリーズでお伝えしています。


奈良少年刑務所に収容されていた少年達の詩です。



その後に、私の感想を入れておきます。





ありがとう



ありがとう ありがとう


命をくれて ほんとうに ありがとう


長い人生 歩み 生き抜くなか


苦しいことも つらいこともあります


命絶つのは 簡単だけど


一番 最低なこと


どんなに辛くても 逃げださずに


前を向いて 歩きたい



だから


見守っていてください 遠い空から


必ず 必ず更生してみせるから



この命尽きるまで


ぼくは あなたたちの子どもだから





この詩を読んで、そうだなと思いつつ、


私は、この詩の反対側のことも考えました。



まず、


「この命尽きるまで


ぼくは あなたたちの子どもだから」


という部分について。


これと同じことを、


私は親の立場で思ったことがあります。


最初の子どもを授かったと分かったとき、


つまり、妊娠検査薬の陽性反応を見たとき、


私は足が震えました。


それは、「ああ、私はこれから死ぬまでお母さんなんだ」


と思ったからです。


万が一のことがあって、子どもが自分より先に


死ぬことがあったとしても、


きっと「今、生きてれば、○歳だね」と言いながら、


きっと死ぬまで忘れずに生きていくでしょう。


そうすると、「この瞬間から、自分が死ぬまで」


お母さんなんだな、と思うと、


なんというか、尊さというか、責任というか


なんともいえない気持ちになって、


足が震えたのでした。


私は生まれ変わりを信じているのですが、


この詩を読んで、お母さんであるのを終えるのは、


もしかしたら、


自分が死んだ時、ではないのかもしれないと思いました。


子どもが死んで、「お母さん」って思ってくれる人が


居なくなった時なのかもしれません。



一番刺さったのは、


「命絶つのは 簡単だけど


一番 最低なこと」


というフレーズでした。


私ももう、命を絶とうかと思ったことがありました。


それはそれで、実は勇気がいるんです。


簡単なことではないんです。


最低といわれようが何と言われようが、


他に選択肢が無いと、思ってしまうこともあります。


あえて説明するまでも無いかもしれませんが、


これは、自ら命を絶った人を責める言葉ではなく、


作者自ら、自分を戒め、奮い立たせるために


書いた言葉だと思います。




「どんなに辛くても 逃げださずに


前を向いて 歩きたい」


これも前向きな言葉だけれど、


時には逃げたって良いと私は思います。


最近、友達が家出をしました。


旦那さんと子どもを置いて、置手紙をして。


旦那さんから私に電話がありました。


「そちらに行ってませんか」って。


初耳だったのでびっくりしたけど、


「置手紙にはなんて書いてありましたか、


死にたいというような感じはないですか」と聞いたら、


「生活が落ち着いたら子どもを引き取りたい」とのこと。


私はしばらく前から彼女が悩んでいるのを知っていて、


たまには相談にも乗っていました。


しかし、非常に事態は複雑で、彼女の気持ち一つで


すっきりと解決に向かうような問題ではなかったので、


今回の家出を聞いたときに、


「その手を使ったか!」と思いました。


今まで向いていた方向(前)じゃなくても、


右でも、左でも、そっちに向かって一生懸命生きるなら、


それが「前」になるんだと思います。




「命絶つのは 簡単だけど


一番 最低なこと」


このフレーズと少し意味が似ていますが、


私にはこういう言葉のほうがしっくりきます。


「死んだと思えばなんでもできる」。


もしくは、私、こんなこともよく言います。


「死にさえしなければ、元気であれば、なんでもできる」。


ちょっとアントニオ猪木風ですが(笑)。



どこかの温泉でこんなような言葉を


見たことがあります。


「でもぼこ道でも 曲がり道でも


道草くっても


どんな道だっていい


歩んだ道が あなたの道」



今日もこれを読んでくださった皆さんが、


それぞれの、いつもの道を、


新しい道を、希望を持って歩んでいけますように☆



何ヶ月か前から、無料動画にて受講してました


「クリアランスメソッド」がついに無料期間が終わりました。


あとは有料コースになります、っていうご案内なんですが、


そりゃあそうだよなーと正直思います。


16回か17回くらいの動画を作るのに、


そのコンセプトをまとめ、動画の台本を書き、


動画を撮って、そこに文字を起こし、


可愛らしいイラストを付け、


こちらのコメントには丁寧に返信を下さり。


そこにつぎ込まれている時間と労力を考える時に、


これ以上は無料でやれないよなと、確かに思います。


そして、「癒し」というなかなかに重いものがテーマなだけに、


(この後の有料動画までは見る予定が無いので、


正直、この後の展開は分からないのですが)


抱えているものの種類や重さによっては


全体への動画だけではなく、個別のフォロー等も


必要になってくるのではと感じましたし。



でも、ここまでの無料動画の範囲で、


大雑把に全部伝えてはくれているみたいで、


ここからは自力で工夫しながらゴールに


たどり着くこともできるといえば、できるみたいです。



で。


その講座の中で教えてくれたものではないのですが。


その講座で教えてもらった感覚、プラス、


今までに読んだことのある話、で、


出てきたイメージなのですが。


なんか、みなさんのお役に立てるかも?という


イメージを思いついたので、お伝えします☆



「魂の視点を、未来の「ある時期」へ送ってしまう」


という方法です。


具体的に「ある時期」というのは、自分で設定してください。


前のブログに書いたみたいに「棺おけの中」でもいいし、


「老後」でもいいし、「定年後」でもいい。


子育て真っ最中で大変なママさんなら、


「子どもが巣立った後」とか


勉強のつらい学生さんなら「卒業した後」とか


今の自分が、なんらかの課題を抱えているものが、


違う展開を迎えるような時をイメージするといいかと思います。


そこへ、魂視点を、先に送ってしまうんですね。


そこから、現在を振り返る。



子育て中のママさんなら、子供がうるさい、言う事を聞かない、


自分の時間が無い、いろいろと抱えている思いがあるでしょう。


けれど、未来に立ってみると、もう子供は家に居ない。


「おかあさん」って話しかけてこない。


「だっこ」って二度と言うことはない。


お弁当を作ることもない。


そういう世界が、確かにあるはずなんです。


そこから見たときに、今(という過去)は、どう見えるか。


どう感じるか。



(あの時、もうすこしやさしくしてあげればよかった)


(あの時、あとで、っていわないで、話を聞いてあげればよかった)


(あの時、少しの時間でも、勉強に付き合ってあげればよかった)


(あの時、もっと抱っこしてあげればよかった)


きっと、そういう思いが出てくるのではないかと思います。



お仕事でもそうです。


今、何らかの、責任と義務とを与えられていて


重いかもしれないけど、


同時に、権利や権限も与えられている。


退職して、それを手放したときの立場から、


今の自分を振り返ってみたら・・?



(それがもう二度とないことだとわかっていたら・・


あの時、もう少し、こうしたのに・・)


そんなこと、あるのではないでしょうか。



その、10年後か、20年後か、30年後かわかりませんが、


そこから、タイムスリップして今に帰ってきていると。


(あの時、ああしてあげれば良かった)を


叶えることが出来るチャンスが、


今、目の前にあるのだと。



そんな風に思ってみることも、


後悔しない(未来から見ての、後悔の種(今)を埋めていく)


生き方のヒントかなと思い、ご紹介しました☆


昨日。「恋閑期」のお話をしましたが。


タイトルを忘れてしまって残念なんですが、


それと同じ本の中に、


今日のブログのタイトルにもした、


「棺の中の自分」から、今の自分を見る。


というお話がありました。



今、これを読んでくださっている皆さんも、


それぞれに、今抱えていること、悩んでいること、


考えていること・・・いろいろあるでしょう。


それはきっと、千差万別でしょう。


けれど、どんな人であっても、


どんなお金持ちでも、地位のある人でも、


世界中のありとあらゆる人に、平等に、確実に


一つだけ約束されている未来があります。


それは「死」です。


どんな人もそれから逃れることは出来ない。


そこへ向かって、刻一刻と、時間を使い込んでいる


私たちなんです。


この、平等な「死」というラインから、


今の自分を振り返ってみる。



私の世界観として、


死んでもまだ魂は、しばらくこの世にいるという


仮定にさせてもらいますね。



(・・・・・・・・


明日は私の葬儀らしい。


でも、この部屋はまだ静かだ。


もう、暑いも寒いも無い。痛いのも無い。


思考も記憶もまだはっきりしているが、


徐々にこれも失われていくのかもしれない。


きっとそうなのだろう。


今のうちに人生を振り返ってみよう。


子供時代、いろいろあったな。


あのひとつひとつが、人生の土台になったんだ。


青春時代、馬鹿だったなあ。


まったく若気の至りだった。


でもあれはあれで、とてもいい思い出だ。


そして、・・・・)


その感じで、棺の中から、今、を思い出してみてください。


もう、指一本動かすことも、


一言も発することも出来ない。


笑うことも出来なければ、泣くことも無い。


おいしいものを食べることも出来なければ、


大好きな人を抱きしめることも出来ない。


懐かしい場所に行くこともできなければ、


冒険をすることもできない。


いいそびれた「ごめんね」も言えなければ、


いつか言おうと思っていた「ありがとう」も言えない。



そんな世界から、今のあなたを振り返ったら、


とってもキラキラして見えないでしょうか。


悩んでても、むしゃくしゃしてても、泣いていても。


それは、生きているからだ。


生きてるからこそだな、って。



生きていればこそ、体があり、五感があればこそ、


いろいろなことができて、たくさんのことが感じられる。


たとえそれが辛いことだったとしても、


時を経て、必ず自分の肥やしになり、自分を支えてくれるものになる。



人が死期を目前にした時に、


何を後悔するのか、というアンケートを見たことがあります。


「もう少し親孝行すればよかった」とか


「あんなに働いてばかりいるんじゃなかった」とか


いろんな答えのある中、堂々の第一位は。


「もっとやりたいことに挑戦すればよかった」


なんだそうです。



ちなみに。


私は、おひつじ座に星が多いせいか、割と


「やっちゃう!」方です。


たぶん、「普通の人はあんまりやらないよね」っていうような


こともやってきました。


多少の痛い思いもしたこともあります。


でも、後悔は無いんですよね!


私、今のところ、自分の人生に後悔が無い!


失敗もあったり、間違いもありました。


でも、それがとてもいい経験だったり、


自分を育ててくれたと思うから、


結局、後悔にならない!


迷った時には、私は、天と、自分の心の深い部分に聞いてみる。


それで、そこに恥じないことならば、やってしまう。


それと、棺の中の自分から見て、やりたいこと、


「やっとくんだった!」と思うだろうなと思うことは、


やっぱり、「天と自分の心」に尋ねてみて、


「よし」と出たら、やってしまいます。



「棺から今の自分を見る」。


これは、「ん十年前に、もっとやりたいこと、やれることあったよね?」


って、未来から自分を見て、


「今、挑戦しなくて後悔しない?」って


自分を少し前のめりにさせてくれるちょっとした魔法です。



いつでも、「今日のあなた」が、


これからの人生の中で一番若いのだから。


人生は、案外あっという間なのだから。


いつでも「Let's try !」の気持ち、忘れずに^^☆


引き寄せの法則。

2023年06月05日

先日の、「日本一ドタバタな受験生。」の話を、2人くらいかな、


友人にしてみたんです。


もう、ネタとして笑ってもらおうと思って。


そしたら、その二人ともに、


「わかばさんが、いつも人を助けているから、


そういう時に助けてくれる人が現れるんですね」って。


・・え?そっち?・・一緒に笑ってもらえたらと思ったんですけど。


でも、身に余るお言葉、嬉しかったです。


そんな評価をいただけるほどかどうかはわかりませんが、


自分自身、そんな風にあれればいいなと思って


暮らしていることは事実です。



改めて振り返ると、そうだな~と思うこともあります。


時々新聞の投稿とかで、


「妊婦なのに席を譲ってもらえなくて悲しかった」


みたいな記事を見たりすることがありますが。


私、割と席を譲るのに躊躇しない方で、


気軽に「どうぞ」とか言っちゃいます。


あ、でも完全に善人な訳ではないんで、


基本的に、妊婦さんとお年寄りが前にきたら、


出来る限り譲ろうとはしますが、


自分の疲れ具合とかによっては、


お年寄りの年齢をはかったりして、


「ま、大丈夫かな」なんてさぼることもあります(笑)。


まあ、そんなこんなの貯金があったのか、


自分が妊婦の時には、あとベビーカーとか子連れの時にも、


本当によく席は譲って頂きました。


妊婦の時に立ちっぱなしで、「譲ってくれないかな~」という


ちょっとしんどい思いをしたことは、


記憶にある限りでは、2回くらいしかありません。



あと、もっと身近な話だと。


私、電車の中では、必ずといって良いくらい本を読みます。


だいたい、世の中の人のほとんどは、


スマホを見ているか、そうでなければ眠っているという


印象があるのですが、


私の座ったところには、私から見える位置に


(例えば、自分と同じ列の座席と、向かい合わせの座席とか)


2人くらい、本を読んでいる人がいるんです。


だから、私含めて3人が近い場所で本を読んでるっていう。


他の席をまじまじと観察したことはあんまりないから、


はっきりとは分からないのですが、


私的には、まあまあ「寄ってる」かなあという感じがするのです。



引き寄せの法則って、あるような実感があります。


おんなじような者同士が出会う。


彼氏は優しい人が良いなと思ったり。


彼女はまめやかな人が良いなと思ったり。


そういう人に出会いたいなら、


まずは自分がそうなるように努力するのが、


一番の近道かなって思います☆



自分自身を見つめてみたい方、


良かったら「内観タロット」、使ってみてくださいね☆