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今日、娘は学校に行けませんでした。
行かなくちゃ!という気は、満々なのに、
なぜか、行けない。
かなり苦しい葛藤をしておりました。
なんてダメなんだ!
自分が嫌いだ!
死ね死ね!(たぶん自分に対して)
などと言って、泣いていました。
久しぶりに、あんなに激しい葛藤を見た気がしました。
「私はみーが好きだよ。
学校に行かなくても好きだよ。」と言ってはみたものの。
いっぱいいっぱいすぎて、届かなかったかもしれない。
登校時間に間に合うように、友達が寄ってくれたのに、
一緒に出られなくて。
でも、泣き顔でも、ちゃんと会って、応対できたのはえらい。
10時ごろ、私が出る用事があったので、
その時に、一緒に出られたら出ようか、と。
でも、やっぱりダメでした。
じゃあ、いよいよ
「たけのこすくーる(私の脳内学校)」(8/23のブログ参照)だな
ということで、そろばんを教えることに。
私、そろばんを小学校の3年間くらい習って、
ほんっとに嫌いだったし、
ほぼ意味なかったと思ってるんですけど、
唯一、2桁の足し引きの暗算ができるようになったことだけは
人生上、有意義だった気がしてるので、それを教えようかなと。
でも、そろばんをやるにも、泣きながらで
なんかもう無理な空気になって、途中でやめて・・。
午後は、ユーチューブを見てます。
本当は私的にはアウトなんですが、今日は見逃してます。
葛藤が強い時って、それだけで疲れて消耗するんですよね。
そんなに苦しまないで、さっとあきらめて
「今日は家でやろ~」とか思えたらラクなのに。
行かなきゃとか、(体育祭も近いし)行きたいとか、
思うんでしょうね。
でも、苦しむのを、こっちが先回りして止める必要もないかなと
思ったりもするんです。
ちょっと変な表現かもしれませんが、
悩む権利も、苦しむ権利もあると思うんですよね。
悩みたいだけ悩んで、苦しみたいだけ苦しめばいい、っていうか。
(自分自身がちょっとそういうところがあるんですよね)
どんどん落ちて落ちて、かなりヤバイところまで行ったとしても、
目の前で見てたら、なんだか可哀相な気もするけれど、
それも人生の貴重な経験かなと。
自分も、博史先生も、ある意味そうなんですけど
生きるか死ぬか、みたいなところまでいった人間は、
ある部分、強いですよ。
もうあんまり怖いものがなくなるんですよね。
あの時を思えば、怖いものってあまりないな、っていう。
逆に言えば、そういう経験って、
したくてするものでもなければ
誰しもが出来るものでもない、というものでもあり。
私の希望としてはですが、
心理職と宗教家。(占い師も)
あと、できれば医者とか弁護士も。
人が、生きるか死ぬかみたいな
重大な事態に立ち会うような職業の人には
そういう経験をしておいてもらいたいと
思ってしまいます。
(望んで出来るものでもないんですけどね)
直接、その経験が、職業に繋がるかどうかはまた別としても、
さんざん、悩んだり、苦しんだりしたことが、
きっと自分を見つめさせてくれたり、
なにか自分を成長させてくれたり、
人の痛みをわかることになると思うので、
きっと器の大きな人になると思います。
だから、君がそうしたいなら
(そうしたくはないのかもしれないが、
そこから抜け出すことができないのなら)
それはそれでいい。
悩め、苦しめ。
それを落着いて見ていられる
自分の器でありたいと思います。