太陽に向かう効能

2024年01月06日

ここ数日、和香葉先生は、石川県の震災支援物資の支度をしながら、お風邪をひいてしまったので、お家で療養しています。

私はほとんど手伝えませんでしたが、避難グッズとして自宅に備えておいた大型の厚手のブルーシートと、中古ですが、他にも幾つか丈夫なブルーシートがあったので、一緒に荷物に含めて頂きました。

石川県は今の時期とても冷えるため、施設のなかの床が冷たいのだそうです。


和香葉先生の人脈は広く、福祉や行政に通じたお知り合いが何人もいらっしゃいます。

こういう時、和香葉先生が切り込み隊長となって、ご自身の人脈と連携して即行動に取り掛かるところが凄いなあと思います。


私は珍しく早起きをして、久しぶりに森林のなかで気功をやってきました。

この時期の朝日の雰囲気がとても好きです。

元極功法の一番最初の動作を、朝陽に向かってやっていると、身体全体が太陽の輝きと温かさに包まれるようで、恍惚とした快感に浸ることができました。

この感覚は、太陽を背にしたり、横から朝陽が差し込んだり、という別の角度では味わえないものです。太陽に向かって気功を行うだけで、そうでない時と比べて遥かに大量の気が流れ込んで来る感じがしました。普段は家の中でやっていますが、やはり気功は屋外の自然のなかでやるのが一番効果的だと思います。


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今さっき、週末に通っている工務店のご主人のお宅で気功の手当てをさせて頂きました。ご主人は、心臓の血管の手術をもうすぐ受ける予定なので、少しでも気功がお役に立てたらと思っています。


その前に皮膚科で保湿剤を処方してもらったり、散髪にも行ったので、ほとんど時間が無かったのですが、市民の憩いの森のような公園で、10分間だけ練功してから伺いました。


時間のあるときは、1時間ほど自宅で元極功法の8通りの動功をしてから行きます。

全然ない日は、youtubeで中国人の気功の先生が紹介している、簡単な動功をやります。それすら時間が取れないときは、ひたすら手を擦り合わせたり、両手を向かい合わせて、気を感じるということをします。


いつものようにソファに横になって頂き、神沢瑞至先生の著書に書いてあるやり方で、頭や耳のあたり、胸腺、そして全身へと45分間ほどのあいだ両手をかざして行きます。わたしは、自宅で猫たちに気を送る際に、両手を相手に向けて、肘を曲げ、腕全体を動かして、延々と円を描く方法をとっています。神沢先生のように、片手で小刻みに振動させるような動作にはまだ慣れることができません。ゆったりと大きく両手を使うやり方が慣れていて、自分的には気が出力されているのを感じ易いです。


今日は調子が良かったです、というのは、”気の出力”を実感しながら行うことができたという意味です。具体的には”ジ~ン””ジュワ~””ジリジリジリ~”という擬音がぴったりな、ある種の心地よい痺れ感、あったかい痺れ感が、動作に合わせて手の平の肉の内部から湧き出てくる感覚があります。


旦那さんが「この前と比べて、あったかいね」「これは、なんか出てるよね」「明らかに、なんか出てるよ」と、仰っていました。それが自分側の体感とシンクロしていたので、やはり、10分だけでも簡単な気功の動作を行うだけで、かなり効果が得られるのだなと思いました。


「おじさんね、あんたは生まれつき、こういうことに向いてると思うんだ」「これを続けてたら、あんた、相当有名になるよ」なんて嬉しいお言葉を頂いて、心なしか私の方まで元気が充実してぽかぽかした感じで帰ってきました。


「おじさんとあなたの相性がいいのかもしれないね」とも言っていました。たしかに、おじさんの身体に両手をあてると、あたたかくて重厚な気が出ているのを感じることがあり、それを感じると、こちらからの気も入りやすくなるような感じがしていたので、「お互いの気が合っているのかな?」「何かが反応し合っている?」というのは感じていました。


「それと、あんたは、免疫力が強いっていうか、身体が強いよね」「おじさん、見ててわかるんだよ」と言われました。たしかに十年に一回くらいしか風邪を引かないので、身体は強いのかもしれません。


気功師というレベルになるには、相当な研鑽が必要だと思いますが、少しづつ、気を感じ取るセンサーが芽生えてきているような感じがします。小さな森林公園でも、やはり樹木が生えている空間は、気がたくさん発散されているように感じます。フィトンチットの効果もあるのだと思いますが、実際には「気」も吸い込んでいるはずだと思いました。


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最近、お風呂に入りながら両手の間に気を流す練習をしています。


youtubeのある動画で、”気は水中を流れない”と教えている解説者がいたので、実際どうなのだろう?と思ったことがきっかけです。


気功のイメージ法として、”湯船に浸かっているような気持ちで、両手を向かい合わせて”といわれることがあります。私が尊敬している太田光信先生もHPや動画でそのように指導されていたと思います。


実際、湯船に浸かっているときを想像すると、誰でも心身の緊張が緩むと思います。それならば、実際に湯船に浸かった状態で気を練ってみれば、気が良く流れるかもしれない・・・と考えました。


結論から言うと、気はお湯の中を流れます。

あっけなく流れます。

(常温の水や流水の中では試したことがないので分かりません。)


お風呂によって血流が活発になり、身体が火照っていることによる相乗効果もあると思います。


両手の気感についていえば、湯船の中は、空気中の時よりも気を強く感じられることが多いです。いわゆる気の風船を触っているような触感は、お湯の中では感じられませんが、ジリジリと痺れるような、微弱な電流が流れているような感覚が生じます。


ただ、両手が濡れている状態で、按摩法の要領で手と手を摩擦する作業をやってもその効果は得られにくいです。按摩法をやりたい場合は、空気中で按摩法をしてから、そのままゆっくり湯船の中に両手を入れてやればいいと思います。


手を摩擦しなくても、お湯の中でリラックスして両手を向かい合わせてしばらくすれば、気は自然と流れて行きます。肩と腕をだらんとして、両手を静止させて、自然に任せていたら気が流れます。


私は、人が湯船に入っている時の姿勢や状態には利点があるように感じていて、セルフ気療に応用できないかと考えているところです。


気功療法を受けた日は、入浴を控えたほうが良いというのは、神沢瑞至先生のご著書に書いてあります。おそらく、気功で病気に対処する場合は万全を期すべきだから、そのように指導されているのではないかと思います。気功治療を受けなければならない程の不調や病気を抱えている方の場合、当日の入浴は避けたほうが無難なケースが多いのかもしれません。


気功の世界で、入浴中に気を流すということについての是非が議論されたという話をあまり聞かないので、そもそも私のような発想自体が珍しいのかもしれません。


単に「気を流す」ということに焦点を当てた場合、お湯の中で血行が良くなっている状態(気血の巡りが良好な状態)で気を流すということには、一定のメリットがあるかもしれないと私は考えています。


気功の方法を知らなくても、人体の中に気は常時流れていると思いますし、入浴をして身体を温める行為自体、毛細血管を開いて気血を流す行為ともいえます。


人は誰でもお風呂で癒されようとするときに、腕や肩を揉みほぐしたり、さすったりしていると思います。それは、気の流れを促そうとする無意識的な動作なのかもしれません。


また長風呂が苦手で、すぐにお風呂から出たくなってしまう人にとって、セルフ気療という別の目的があれば、ゆっくり湯船に浸かることもできると思います。


体調や病状にもよると思いますが、適切な判断ができれば、お風呂でリンパマッサージをしたり、ツボを押したりすることの延長線上に、湯船でセルフ気功というのがあっても良いのではないかと思うのです。


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今は自分の身体で実験をしていて、徐々にその効果も出始めています。この方法については、研究を続けて行きたいと思っています。


小室博史


外気功の施術

2023年10月22日

今日は、和香葉先生のお知り合いで、工務店を経営されている男性 Yさんに、外気功の施術をさせて頂きました。健康面では、心臓、血管系にお悩みがあるということで、リスクも少なくない手術を受けるべきか悩んでいるという状況の方です。過去に何回か癌を経験されていますが、若者を育成することを生き甲斐にされている精力的な方です。


神沢瑞至先生の「気療~気の力による健康回復」を参考に、応接間のソファに仰向けになって頂き、頭部(脳)から気を送り、胸腺→下丹田→足の順番で、約1時間、外気功を行いました。


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頭のてっぺんに手をかざして気を送り始めたところ、頭全体があたたかいと仰いました。1分も経っていなかったと思います。その方は、気に対して敏感なようで、頭の左右、胸腺など、手をかざした場所に、「赤ちゃんが近付いて来たときのような温かさを感じる」と仰っていました。


気功の思想の源である道教では、赤ん坊の状態が人間の理想像とされているので、内心、嬉しかったです。

私は赤ちゃんを育てたことがないので、ちょっと感覚は分からなかったのですが、和香葉先生はすごくそれが分かるそうです。Yさんによると、私の外気功の体感は、赤ちゃんが近くにいるときのような優しい温かさなんだそうです。


なんでも、Yさんは、和香葉先生と同じ宗教の別の先生から、ある時期に、息を吹きかけて病気を治す業を受けたことがあり、そのときの感覚にも似ているそうです。


そして、その業を受けたときの不思議な体験談を聞かせて頂きました。

なんでも、その業を受けた日は、夜眠る際、瞼の裏が眩しく感じてしまうのだそうです。最初、電気を消していないのだと思い、奥様に「電気を消してくれ」と言ったところ、既に電気は消してあるといわれて、真っ暗な部屋なのに目を閉じても瞼の裏が明るいということに気がついたそうです。

そして夜が明けるまで、そのままずっと明るかったそうです。


その体験を、息を吹きかける業を施術してくれた先生に話すと、そういうものなんだといわれたそうです。そして、同じ業を施術しても、感じる人と、感じない人がいるのだそうです。


「張志祥傅 元極学 混沌初開法」(李大川 編訳)58頁によると、

”第二に、竅穴の修練には、三つの次元、即ち元気次元、元光次元、元音次元があります。元気次元では、痺れる、熱い、躍動する、膨れるなどの感覚が出ます。元光次元では、竅穴を内視したら、光(黒→青→黄→金色の点)と影像(山、川、動物、人物など)が見えます。元音次元では竅穴に音が聞こえます。”


と書いてあるのですが、もしかしたら、その先生が息を吹きかけて行う業は、元光次元で、何らかの影響をYさんの竅穴(額のあたりにある「玄関」など)に与えていたのかもしれません。


その業は、その宗教の開祖が2人の高弟(ひとりは女性、ひとりは男性)に対して個人的に伝授されたという話は知られています。でも、それ以外の弟子に伝えられたという情報はなく、その二人から更に次世代に伝授されたという話も聞いたことがありません。今の時代に、同じ業ができる伝承者がいたとすれば、かなり凄い話なんです。開祖から極少数の弟子にしか渡されなかった秘儀ですからね・・・。

でも、既にその先生は亡くなられて、お子様もいなくて、家も既に無くなっていたという事でした。


今まで、愛猫にはよく外気を送っていましたが、人にはやったことがありませんでした。やっぱり人間のほうが、リアルタイムで体感を説明して貰えるので、気功の訓練になると思いました。


Yさんは気功自体にご興味があるということなので、心臓・血管系に良いと言われている気功の実践法など、次回は教えて差し上げたいと思いました。


これから週に一回くらいのペースで、Yさんのご自宅に通って、気功の施術をさせて頂けるので、外気功の修練に繋がると思うので有り難いです。Yさんの健康状態、持病の血管の状態が改善に向かうことを切に祈ります。




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遡ること800年以上前に生まれた太一道に起源を持つ元極道の継承者、張志祥先生のテキストを座右の書として、元極功法の独習を続けています。


最初は、慣れない動作に身体が順応するのに時間がかかりました。この功法では、功訣といって漢詩のような文章を心の中で念じ、それを意識で身体の特定の竅穴(きょうけつ、ツボみたいなもの)に送り込むことを要求されます。この功訣の意味も、しっかりと理解し意識化されていなければなりません。


暗い部屋でも見れるように、功訣を太い字でノートに書き写し、何度も見返しながら、暗誦しました。ちょうど、百人一首の詩句を読み上げるような感じで、和訳された功訣を朗読することで、覚えることができました。いきなり黙祷で覚えるのは難しいです。


この功法では、ここで息を吸うとか、吐く、といった細かな指示はほとんどありません。自然な呼吸で行うことになっています。でも、結局ゆっくりとした動作に合わせて、ちょうど良い順序で、呼吸したほうがやり易いということに気がつきました。それは動作によっても違います。リラックスした状態を維持したまま、気を取り入れて集めたり、身体の経絡(気の通り路)に流して行く為に、ベストな呼吸の仕方を探る必要がありました。


そこで、身体の前面(第一次元)、身体の背面(第二次元)、身体の中心(第三次元)という三つの「次元」ごとに、ある動作をやっていく際、各次元で10回その動作を反復するように決めました。そうすると、どこで吸うべきか、吐くべきかを吟味しながら練習できるからです。八式の動作を完了するのに、都合2時間かかります。


覚えることも、意識しなくてはならない注意点も多いため、それくらい反復してゆっくり覚えないと、間違って覚えてしまう危険性もあると考えたからです。例えば、ある動作で、功訣を送り込む竅穴や、手足の経絡の裏表などを間違えてしまわないように、しょっちゅう確認しながら練習しました。


私は、筋トレを日課としているのですが、練功に時間がかかるので、筋トレが疎かになりました。筋力は衰えて、筋肉も細くなると思ったのですが、どうやら元極功法は、動作は静かなのに(イメージ的にはラジオ体操をスローモーションでやっているような感じ)、身体の深部の筋力を鍛える効果があるようです。筋トレをさぼっているにしては、身体が引き締まる感じがします。


それと、身体で実感したことは、体幹や左右のバランスが、最善の状態に整って行くことです。湧泉という足裏の竅穴を地面に安定させ、身体の中心に垂直に伸びた中脈を意識すると、自然と身体にとって最善のバランスで立って歩くことができるようになります。八つの動作をこなしてゆく過程で、身体の前後左右の筋肉のバランスが調和されて行くのだと思います。


元極功法を始める少し前から、神沢瑞至先生のテキストを読んで、愛猫に気を送る練習をしたり、空勁(相手に触れることなく、眼から出る気の力で相手を転がしたりする)の達人である太田光信先生が紹介されている、両手に気を感じるエクササイズをやっていました。太田先生の船橋の道場に通いたい気持ちもあります。


最近、元極功法の練習をしていたら、猫に気を送る練習や、両手に気を感じる練習をしたときに、より強く気を放射する感覚を得ることができるようになりました。

調子が良い時は、電流が流れているようなビリビリ感があります。

ただ、際限なくビリビリ感が強化されてゆくわけではありませんでした。始めた当初に比べると功法に馴染んで来たにもかかわらず、気感(気を感じる感覚)はむしろ弱くなっていく感じがしました。


その疑問の回答と思われることが、テキストに書いてありました。


”練功の初級段階では、功訣が心身を洗浄し調整して、エネルギーを発してくるのです。それから、竅穴内の極化を経て、下黄庭に落ち込みます。それは「動」から「静」に帰する過程です。それによって、エネルギーが強い状態から弱い状態に変わって行きます。竅穴に帰すると、「動」も「静」もなくなり、練功する前とほぼ同じです。ですから、気感がだんだん弱くなるのは、練功のある段階のまとめと言えるので、心配することは要りません。続けて練功すると、新しい運行が始まって、もっと高い次元に達することができます。” (張志祥傅 元極学 混沌初開法 李大川 編訳 213頁)


この本は、入手できる数少ない元極功法の具体的な指南書ですが、なかなか他の気功の本には書いていないような、貴重な教えが沢山書いてあり興味が尽きません。


あまり根詰めても続かないかもしれないので、最近は、1時間で完了できるように、各次元ごとの動作を4回と決めて行うようにしています。(あまり時間がかからない活発な動作の時は、いっぱいやります。)それでも一通り終わると心地よく、気力が充実した感覚になります。


練功に相応しい時

2023年10月05日

『張志祥傅 元極学 混沌初開法』205頁「第十章 練功秘要」によると、


”宇宙であれ、人体であれ、一つの変化周期の中で、陰陽の調和のレベルがある規律によって絶えず変っています。天の時を把握して、宇宙と人体の運化規律に基づいて練功すれば、倍の成果をあげられます。”


ということで、練功に良い時節は、一年の中では旧暦の1/1、3/3、9/9 、そして24節気(春夏秋冬に各6節気)。


一ヶ月の間では、旧暦の1日(朔月いわゆる新月)、3日、13日、15日(望月いわゆる満月)。


時間帯では子(深夜0時)、卯(早朝6時)、午(正午)、酉(夕方6時)の刻ということです。


そして、その効能を次のように解説しています。


上述の日と時刻は、みな陰陽がもっとも極化した、正気が上昇するときです。それらのときに練功すると、体内の三元の運行のリズムが大自然の運行のリズムと調和し、効能があげられます。それによって、体の内外を調和させ、多くの天地の気を吸収させ、体内の邪気(病気)を払い除けることができます。体を強壮にして功力を増強することができるばかりでなく、本性を昇華させ、道徳の修養を促進することもできます。” (206頁)


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私が興味深く感じたことは、一ヶ月の中の朔日(新月)、月齢三日目、月齢十三日目、望日(満月)について、天地が交合し、陰陽が調和する時であると説かれている点です。


世界中の宗教儀礼や、修行や瞑想のなかで、月の周期が重んじられていることの潜在的な理由なのかもしれません。


特に私は、魔女の祭祀を行ってきた者として、新月や三日月、満月の日に、祭儀や魔術儀式を行うことの意味を、元極学からも見出せるような気がしています。


スピ系の人たちが、新月や満月の意味を、色々と後付け的な感じで解説しているのを読む機会があります。それもある程度説得力があり、日本人の自然観や宗教観にとって、受け入れられ易いものが多いと感じています。というか受け入れられ易いように、そういう解説を持ってきている感じもあります。


一方で元極学はあくまでも、宇宙の摂理を体系化したものなので、人種も文化も関係なく、時代も流行も関係なく、”そもそも宇宙はそういう風にできているんだ”という感じに聞こえるんです。オカルトやスピリチュアリズムよりも、科学に近い学問だと感じています。


例えば、新月には新しいことを願ったり、何かを始めるのに適切であるとか、満月にはすでに成就した願い事を振り返って感謝しましょう!みたいな言い回しが、スピ系や占星術の界隈でよく語られていますよね。


それはそれで良いと思うんですが、私の体感としては、満月の夜に、普通に、単純に、心願成就の願い事をしても全然問題ないというか、むしろ古代からヒトはそうしてきたんじゃない?、というのが率直な感想です。


だから先の練功に相応しい時節についての記述を読んだ時に、ああ、やっぱりそうなんだーって思ったんです。


要は陰陽が調和しているから、願い事が天に届き易いというか、実現し易くなるということだと思うんです。


こうした陰陽五行の知識も、願い事とか、魔女のおまじないとか、日常生活の場面にも応用できると思うし、同じ宇宙&地球にいるわけだから、できて当たり前なのかなと、思うわけです。


ドクダミを食べながらこれを書いています。

今日は摘んできたドクダミで薬草風呂にして入浴しました。

全身の疲労や邪気が洗い流されるようで気持ちが良いです。


昨日からの口内炎ですが治ってきました。痛みもひいて、患部の炎症も弱まってきたようです。直ぐに抗ウィルス薬を飲んだことが良かったのだと思います。ドクダミもおそらくウィルスの勢力を抑え込んでくれていると思います。ドクダミのエキスは、患部に直接触れても問題なく、そのまま飲み込んで消化できる点が良いです。ただ食べ過ぎると高カリウム血症になってしまうので、量は加減しています。昨晩寝る前に、両手を色々な角度、位置に置いて、患部にセルフ気功治療を施しました。手の距離、角度によって、患部に気が効率よく照射されるにはどうすれば良いか実験しました。その結果、幾つか気付いたことがあります。


1 身体から手を遠ざけると、その手から照射される気は、広がる形で浸透する。身体に近付けると、手から照射される気は、集中的になり、範囲は小さくなる。例えば顔全体に気を送りたい場合、手を一生懸命動かしながら全体に気を流しても良いのですが、手の位置を顔の中心に設定して、肌の表面からあえて遠ざけることで、頭部全体を気で包み込むことができる。


2 舌の裏側に患部がある場合、効果的に気が入って行く場所は、顎の下の柔らかい部分(犬や猫がゴシゴシすると喜ぶ場所)です。花が開いたような形を作って、顎の裏側にあてがい、上に向かって気を照射すると良い。舌は気を敏感に感知するので、気が届いていることを体感できる。舌を通り抜けた気が、更に上顎の方向にそのまま伸びて行くのがわかる。


3 舌に向かって効果的に気が入るもう一つの場所は、顔の前面から照射する方法。映画やテレビのドラマなどで、生徒が教科書で顔を隠しながら横にいる友達とコソコソ話したりするシーンがある。あんな風に教科書を開いて立てた時の様に、両手を顔に向けて並べ、広い「面」を作った状態で、鼻から下の顔全体にまっすぐ向けて気を送る。唇、顎骨、歯茎、舌などを全体的に通り抜けながら気は流れ込んで来る。この角度からの気は、唇、頬の裏、舌など、複数個所に症状がある場合に良い。


4 もう一つ発見した舌に気が流れる方法は、写真か絵で表示しないと上手く伝えられないが、右手を顔の左側のおでこのあたりに庇(ひさし)のような形において、顔の上から下に向かって気を流し、舌の右下付近にその気を届かせる。それが終わったら、手を変えて、左手を顔の右側のおでこのあたりに庇形において、顔の上から下に向かって気を流し、舌の左下付近にその気を届かせる。何故かはわからないが、気が良く届いた。



気功の可能性

2023年09月06日

今月は和香葉先生が電話やオンライン(zoom または skype)による30分無料モニター鑑定を9月30日まで実施していますので、占星術やタロットによる鑑定にご興味のある方は是非、お気軽にお問い合わせ下さい。


先日から、気功についての記事を投稿しています。十代中頃からヨーガを独学で実践し、高藤聡一郎氏の気功関連の書物を参考に、気を練ったり、呼吸法を頑張ってみたりしていました。ヨーガを行うと、体内のプラーナ(生命エネルギーのようなもの)の流れが良くなる感覚は確かにあるのですが、”気を感じる”ということになると、最も気の感覚が鋭敏だった小学生の頃に比べると、中学生以降、明らかにそれが鈍くなっていて、気を練る感覚を取り戻せずにいました。


ここ数年、特に猫と暮らし始めた6年前から、猫の健康維持や病気の回復に、気功が使えないだろうか?と思う場面が何度かありました。そして、TVで何度も特集されたことがある、動物を次々に眠らせてしまう脅威の気功の達人、神沢瑞至(かんざわただし)先生のお書きになった「気療~”気”の力による健康回復」を手元に置いて読み、同書に書かれた練習法を実践して、手のひらから気を発する感覚を徐々に思い出して行きました。それがここ2年くらいでしょうか。


飼い猫にありがちな病気、皮膚炎とか口内炎、免疫力の低下による風邪、腎臓や膀胱などの泌尿器系の病気に対して、人間から気を当てて、健康回復の効果を現せたなら、うちの子も長生きできるかもしれないし、色々なペット動物たちの助けにもなれるかもしれない。そんな思いがあります。


それで、外猫や近隣住民の飼っている猫の不調に対して、実験的に気療を試す機会があり、飼い主が亡くなって市営アパートに取り残された雌猫の原因不明の脱毛症に対して、できることを一通りやった上で、遊びながら気を当てるということを1ヶ月間ほどやっていました。


その子は長毛種の若い黒猫で、一年前に見た時は特に病気もしておらず、全身フワフワだったのです。その後、いつからなのかは分りませんが、首から下の毛が剥げてしまい、皮膚には湿疹のような赤い点々が見えて、痒そうにうめいては自分の歯で毛を噛んで、毛をむしりとっているような状態でした。膝の裏などはまるで人間のアトピー性皮膚炎のように、痛々しく出血している状態でした。実際、アトピーの可能性もありました。その家に出入りしていた市役所の人や、福祉施設の人たちは、まるで豚みたいだと思ったそうですが、猫に詳しい人はいなかったようで、それが病気なのか何なのか、誰も分らなかったそうです。私は見た瞬間、奇病だと思いました。まるでバリカンで刈ったように、首から下の毛がなくて、顔だけはフサフサして、プードルのような姿になっていたのです。


ダニやノミ、シラミなどの感染も疑いましたが、ダニにしては耳や鼻や目のあたりに一切異常がありません。シラミの場合は、毛の表面に白い粉がふいたように見えるはずなのですが、その子は黒毛なので目立つはずなのにそれが全然ありません。ノミも見当たらず、ここまで全身性の皮膚炎になっていることと結びつきません。毛穴に住みつく毛胞虫の可能性は残っています、ダニにも色々な種類があるので、その可能性も一応考え、二種類の駆虫剤を施し、部屋を清潔にして、清浄な水と質のよい餌を与えました。


その子の健康療養として一定の効果はたぶんあったと思います。遊んであげてストレスを軽減した効果もあったかもしれません。そして毎日二回、各20分位、なので一日40分間、気を当ててあげたことの効果もあったかもしれません。一ヵ月その子のケアのために通って、その後、家で保護することになり、自宅に連れてきたのですが、その頃にはうっすらと新しい毛が生えてきて、毛を引っこ抜く行為も、発疹もほとんど消えていました。その後、どんどん毛がフワフワになって行き、何事もなかったように、モコモコ猫に戻りました。駆虫剤しか施していないので、元々何らかの寄生虫が関係していて、それに駆虫剤が効いたのだとしたら、気功は関係ないと思いますが、脱毛症の原因が寄生虫関係ではなかったとしたら、愛情を注いであげた効果と、気功の効果もあったのかもしれません。


「もしかしたら、気の効果もあったのかもしれない。」少し手ごたえというか、気功を猫の健康に役立てることが、できるかもしれないという思いがわいてきました。実はうちの猫に対しては、時々気を当てているのです。それは主に眠らせるためです。気を当てると、猫たちは毛づくろいをして、あくびをして、そして眠ることが多いです。ただ、猫という動物はしょっちゅう寝ている動物なので、気の効果なのか分り難いところはあります。それなのに何故やっているかといえば、猫が興奮して暴れたり、やたらと食べものを要求して食いしん坊モードになっているときに気を当てて、おとなしくなったり、眠ってくれることがよくあるからです。普通はなかなかそういう事は珍しいのですが、気を当てた場合は、そんなに珍しくありません。結構な割合いで寝てくれます。しかも一旦それで寝た場合、何時間も熟睡しているようなことが多いのです。居合わせた人間に気が触れてしまった場合などは、その人も猫と一緒に眠くなってしまうこともありました。一度、食卓で椅子に座っていた弟の身体に気が当たってしまった時に、弟が大きなあくびをして、「俺まで眠くなってきた、寝るわ」といって寝てしまったことがありました。


でも、私は小学生の頃、今よりはるかに気を出せる体質だったのです。手から気を出して、それをポヨポヨとした、さわれる物体程度の硬さに感じられるまでに、濃密に練り上げることができました。当時はそういうものだと思っていたのですが、成長するに従い、気の感覚が衰えていったのです。あの時の不思議な感覚を思い返すと、左右の手を向かい合わせた状態で、50センチくらいの空間をあけていても、片手で小さな円を描けば、もう片方の手のひらには、グニュグニュと棒状に突っ張った気の先端部があたり、それを呼吸と意識を使って、長く伸ばしたり、短く縮めて圧縮したりすることができました。”あれくらいに気を出せれば、きっと気療的なことができるはず・・・”と思うのです。


それで、先日「元極功法」の記事を書きましたが、この功法を2、3週間やった結果、毎回ではないけれど、上記のレベルの濃密な気を練ることができたのです。

「あ、これこれ!この感覚だ!」今まで、その感覚を回復したくて、適当な気功をピックアップしてやっても、駄目でしたが、全然思い出せなかった微妙なコツのようなものを、ついでに思い出すことが出来、更に小学生の頃にも感じられたことはない、静電気を帯びたように両手や腕同士から気がほとばしるゾワゾワ~、バリバリ~みたいな感覚まで、この功法を実践した後で気を練ると得られたのです。

長い時間がかかるので、面倒ではあるのですが、それでも他のオーソドックスな気功の型をやるよりも、はるかに手のひらから発する気の出力が高まる感じがします。


先日ご紹介した気功に関するTV番組の話に移りますが、あの、血プリン病という難病の宣告を受けて寝たきりの状態だった39歳の女性が、張志祥氏の独特な気の技法を受けて、その場で歩けるようになった映像が私に衝撃を与えました。医者も匙を投げるほどの難病から解放された女性のあの驚きと感激の表情に思わず感動を覚えました。張老師の貫頂の様子を捉えた映像はyoutubeに幾つも無いので、何度も繰り返し観ています。


子供の頃の「気・体験」をずっと引きずっていた私にとって、この功法はその外見的な地味さとは裏腹に、なにかとてつもない鍵、解決の糸口となるかもしれないと感じています。本当は信頼できる先生について習うべきなのですが、日本では教えられる先生もほとんどいませんし、張老師の伝授していたものをそのまま純粋に教授して頂ける先生でなければ意味がないので、書物を頼りにゆっくり腰を据えて修練して行く予定です。


気功気療の愛読書電話占いアストロラーベ


愛読の気功テキスト


小室博史


元極功法

2023年09月04日

最近、気功にはまっています。気功といっても、公園でご老人たちが和気藹々と楽しんでいる健康体操のような気功とは少し趣が異なります。私が現在取り組んでいる行法は、800年前に遡る道教の一派「太一教」(たいいつきょう)に由来する学問のなかで伝えられたある種の気功法ともいうべきもので、深遠で神秘的な精神修養です。気功法のなかでも、道教、仙道(内丹)、仏教の要素が濃い種類の気功になると思います。

興味を持ったきっかけは、この動画を観たことでした。(うる覚えですが、子供の頃にTVで観たような気がする)


「本物の気功師 奇跡の治療法」



太一教は、一悟真人と尊称される、蕭抱珍(しょう・ほうちん。1067~1166)という開祖が伝えた教派です。萧抱珍は、北宋の第五代皇帝 英宗(えいそう)の治世、治平(元号1064~1067)4年の旧暦3月24日、汲県(現在の河南省衛輝市)で生まれたそうです。萧抱珍の教団は、女真族の金王朝 第三代皇帝 熙宗(きそう)の治世、天眷(てんけん/元号1138~1140)の頃に、「太一道」として創設されたそうです。萧抱珍は、戦乱の為に困窮する民衆を救うために、放置された屍を葬ったり、疫病や災害を避ける呪術を行い、またたく間に数万の信者を得て、金王朝の宮廷から信頼され伝道したといいます。


太一教では、正一教の前身である「天師道」教団の慣例を模倣し、歴代祖師は、開祖の姓「蕭」を名乗りました。

初代 蕭抱珍 「一悟真人」位1141?-1166

二代 蕭道熙(しょう・どうき)「重明真人」位1166-1186

(萧抱珍の弟子、韓寿の息子、韓道熙) 五代皇帝金世宗(せいそう)の信任を得る。世宗が「万寿碑」の建立を命じたため、名声を博した。信者は、三東省、河北省、東北地域一帯に広がった。

三代 蕭志忠(しょう・しちゅう)「虚寂真人」位1186-1216

(萧抱珍の弟子、王守謙の息子、王志忠)

四代 蕭輔道(しょう・ほどう)「中和真人」位1216-1252

五代 蕭居寿(しょう・きょじゅ)「貞常真人」位1252-1280

六代 蕭全祐(しょう・ぜんゆう)「純一真人」位1280-1318?

七代 蕭天祐(しょう・てんゆう)「崇玄真人」位1318- ? 

ウィキペディアの「太一教」によると、”第7代目以降には、次第に正一教や全真教に吸収されて行った。”とあります。また、広岡 純 著「元極功入門」(学研)によれば、”7代目頃から衰微し北方から揚子江流域に移って布道していたが、その後民間に散逸したといわれる。”とのこと。


今、私が二冊の書物(一冊は学研から出ている「元極功入門」もう一つはその元になっている「張志祥伝 元極学 混沌初開法(李 大川 編訳)」から学んでいる、張志祥老師が公開された功法は、民間に散逸した系統にあたります。民間に流布した太一道はあまり広がらず、肉親の間で口伝心授(ことばで伝え、心で悟る)の形で継承されていたということです。


蕭抱珍が開いた太一教は、「太一三元法籙」(たいちさんげんほうろく)という書物に基いて教理を説いたそうです。張老師の著書によれば、”元来、「太一三元法籙」の三元は、天・地・水の三官を信仰することを指し、それは早期の天師道からの信仰です”とあります。蕭抱珍は、天師道(教)から三元法籙を継承し、そこから更に「太一無字真経」を悟ったそうです。


普善禅師という禅僧が、太一教の、「太一三元法籙」と「太一無字真経」を継承し、そこに内丹派の要素(体内の気を巡らせて、不死の霊薬その他の神秘的な効能を示す何ものかを作り出す行法)を取り入れて「元極道」を開いたそうです。そして普善禅師は、「太一無字真経」を「元極無字真経」に発展させたそうで、これが十字真言と呼ばれる、「アン・ジン・ミー・ピー・ジー・パー・ヤー・イン・ホア・ディン」という音声であり、元極功法で特に重視される、訣(けつ/真言のようなもの)になります。


その普善禅師に師事した張老師の先祖から、張老師の曽祖父→祖父→母親へと三代に継承され、張老師は母親からこの口伝の教えを学び、幼い頃から修練に励み、母親からの紹介で親戚の叔父さんに師事し、その叔父さんから更に、徐 道長 という名の山奥の古廟に住む先生を紹介されて修行したそうです。


張老師は民間に伝承された「元極道」(遡ると、天師道の影響を受けた12世紀に興った道教一派の「太一道」)の四代目の祖師です。

張志祥老師の生い立ちと「元極学」の完成、その発展には、目を見張るものがあるのですが、そのことについてはまた別の機会に投稿します。

ということで、今回は、私がハマッている気功についての紹介でした。


元極功法の書籍


P.S.


なんだか歴史の授業みたいな記事を書いてしまいましたが、伝統ある学問や宗教については、やはり正確な歴史をおさえて置きたいという思いがあり、長文になってしまいました。

怪しい宗教に取り込まれたりはしていませんので、ご安心下さい。

私個人は怪しい人かもしれませんが(否定できる自信がありません)、当店では、特定の宗教への勧誘などは一切行っておりません。


小室博史