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毎週水曜あたりに更新してます、『強み』シリーズです。
1月は体調を崩したりで、しばらくお休みになってしまい、すみません!
今回は、『自己確信』です。
特徴としては、
・心の奥深くで、自分は絶対にできると思っている
・自分の考えは自分だけのもので、人からアドバイスを受けたとしても、
結局は自分で決めて、自分で責任を取るのが正解なのだと思う
・他人の主張に安易に左右されることはない
・この資質により、しっかりとした芯を持つことで、
外からの攻撃に耐え、自分の進路から外れないようにしている
ということです。
行動アイディアとしては、
・自分の考えや見方を伝えて、人を説得する仕事向きです
(特に指令性や活発性もある場合)
・リーダーやセールス、弁護士、起業家向きです
・プロジェクト立ち上げなど、多くの意思決定が求められる場面で力を発揮します
・独立心の高い性質があなたを一人にさせるかもしれません。
そうなったら必ず、人から見えるように前線に立つか、あなたについていくことで、いかに利益があるかを人に諭すことができる人とパートナーを組んでください。
(戦略性、コミニケーション、未来志向の人など)
・戦略性、慎重さ、もしくは、未来志向の高い人とパートナーを組みましょう。
彼らはあなたが責任を負っている目標を査定してくれます。
一度目標を定めると、それを達成するまで働き続けるあなたには、
彼らの助けが必要です
・並外れたハードワークと長時間労働は、あなたの仕事に対する情熱と自身のたまものです。他の人たちも同じだと思わないようにしましょう。
・野心的な目標を設定してください。遠慮なく手を伸ばしましょう。
他の人たちには非現実的で達成不可能なことであっても、あなたにとっては胸躍るものであり、(特に重要なことですが)わずかな勇気と運で達成可能なことなのです。この資質によって、思いもしないようなことを成し遂げることがあります
私も博史先生も、かなりこの「自己確信」は高めでした。
起業家には向いてるんですね~。
アストロラーベも、まだ軌道に乗るところまで行きませんが、
それでも、どんなに山奥でも、本当においしいお蕎麦屋さんには、
県外からも人が訪ねてくるように、
きっと私たちが「いいもの」を提供できれば、
それをほしいと言ってくださる方はいると思うので、
コツコツと積み上げていこうと思っています。
上記の言葉を借りれば、
「(特に重要なことですが)わずかな勇気と運で達成可能なこと
なのです。この資質によって、思いもしないようなことを成し遂げることがあります」
っていうことなので。
わずかな勇気を出して。
そして、運が味方になってくれるように、心を正して。
そうして、
思いもしないようなことを成し遂げるっ!
来月もがんばります^^☆
よろしくお願いいたします☆
12星座の中でも、個人的には、「水瓶座」が、どうにもまだとらえにくいのです。
その理由はいくつかあるのですが。
まず、「水瓶座」の知り合いが少ない。
ごく近い関係の人に1人。
あと、遠い知り合いくらいの人に3人。
しかも、ごく近い関係の人が、かなりみずがめ座っぽくない。
(ホロスコープで観ると、太陽(みずがめ座・人生の目的)の位置が、
なかなか発揮されにくい場所にあるので、そのせいかもしれません)
それで、「水瓶座の人ってこう」というイメージが、すごくつかみにくいのです。
さらに、それに輪をかけて。
いろんな本を読むのですが、
「相性大全」だったかな、はっきりとした書名は忘れてしまったのですが、
それが、洋物だったんですね。(海外の本の翻訳ですね)
そこに描かれている「みずがめ座」が、凄い!
「奇人変人図鑑」なのか?!と思わせるくらいの凄さ。
いくらなんでもそりゃないだろーレベル(笑)。
星座がどうこうとか関係なく、なっかなか見ないよ、日本で、こういう人!っていう(笑)
で、しいたけ占いの、「しいたけ.」さんの本を読むと、
どうも「みずがめ座」の雰囲気が、そういう「奇人変人」とは全く違う。
どういうことなんだろう、これは?
と思ったんですよね。
みずがめ座の支配星は天王星で、天王星は、「改革や革命・革新、ひらめき」という
ようなものを司っているので、割と、洋物の「奇人変人」的なイメージの方が
それに近いと思うんですよね。
国が違うだけで、みずがめ座の質って、そんなに違ってしまうのか?と。
「相性大全(?)」と、「しいたけさんの書いた本」を比べてみても、
ここまで違いがあるのはみずがめ座だけなんですよね。
で。
思ったんです。
これは、「日本」という国の、「環境の問題」なのでは?と。
この日本という国で、かなり同調圧力の高いこの国で、
一応は、個性が大切とか言ってるけど、
コロナのときなんて、外をマスクしないで普通に歩いているだけで
(近くに人はいないのに!)
みんなに白い目で見られちゃうようなこの国で、
革新、改革・・つまりは、現状に対して「それって違くね?」と
発信していくのがテーマであるみずがめ座の人たちは
まだまだ自由に羽を伸ばせないでいるんじゃないだろうか、と。
「しいたけ.」さんって、非常に細かく人間を観察してるので、
おそらく「しいたけ.」さんの描く、日本人の「みずがめ座」って、
かなり本質的なところを捉えているんだと思います。
「しいたけ.」さんの描く「みずがめ座」は、
かなり葛藤が強く描かれています。
それは、日本人だから、日本という国だからなのではと
思ったんですよね。
私はみずがめ座ではないけれど、第1ハウス(その人自身を表す)に
天王星が入っていることもあって、
(つまり、私自身が天王星(改革・改新)の人ってことですね)
みずがめ座っぽいところがあると思います。
もう2年以上前になりますが、長男が進路を決めようとしていた時に、
あちこちの大学から資料を取り寄せていたことがあります。
その時の、資料の中に、写真入りの、とても素敵なキャッチコピーを
見つけました。
気に入りすぎて、今も部屋に貼ってあります。
時々眺めては、元気をもらっています。
造形大学だったかな?
ほんとにわからなくて、申し訳ないのですが、
その文章だけ、ご紹介いたします。
『こんなものがあればいいのに。
世界がこうだったらいいのに。
誰しもが思う願望。
でもその多くはカタチになることなく、
忘れ去られる。
想いをカタチにするって、難しい。
思い通りになることなんて、ほとんどない。
出会うのは歓びより、苦悩、歯がゆさだ。
でも、そんな人たちを、私たちはすばらしいと思う。
なぜならその人は、他の「誰か」を生きてないから。
人間の可能性をあきらめていないから。
決められた常識やルールにしばられず、
「わたし」として立ち向かい、
想いをカタチにしていく人。
これからの社会に必要なのは、きっと、そんな人たちだ。
あなたは、どうだ。
何だって、できるはず。
だれかで終わるな。 』
どうですか、本来のみずがめ座っぽい匂いがしませんか。
みずがめ座のみなさん、どうですか?
血が騒ぎませんか?
私はみずがめ座ではないけど、上記のように、
濃い目に「みずがめ座成分」を持ってますので、
一緒に世界を塗り替えていきましょ~^^☆!
血管の手術が無事に成功し退院されて約一ヵ月になる工務店のYさんのところへ伺い、気功の施術の練習をさせて頂きました。
いつも、応接間のソファに横になって頂き、気を送りながら、小一時間ほどの間、色々な世間話をします。
Yさんによると、健康で長寿な人は、とにかく血が綺麗なのだそうです。
医者は血液検査のデータを見れば、その人がどんな病気になり易いか、健康で長生きできるかどうか、おおよそ推測できてしまうのだとか。そして、お相撲さんやマラソン選手は血液が綺麗(健康的)な人が多いそうです。昭和天皇が晩年病気になったときに、お相撲さんたちが血液を献血して治療に用いられたのだそうです。気功や東洋医学の世界でも「気血」は非常に重視されているので、共通しているのだと思いました。
Yさんは長年に渡って住宅や寺社の建築、修繕などに携わって来られた職人さんです。当然ながら材木や樹木には造詣が深い方です。
やがて森林浴の健康効果について話が及んだときに、お水を美味しく頂くことができる面白い裏技を教えて頂きました。杉や松、ヒノキやヒバといった、香りの良い樹木を見つけて、長さ20センチ、直径10センチほどの丸太を切り出し、その片方の円形の面にドリルで窪みをあけるのだそうです。つまり、「原始的な木のマグカップ」を作り、そこに水を入れて一晩置けば、樹の香りがする美味しい水ができるのだそうです。樹木の香り成分が含まれているので身体にも良いということです。
木の種類はほとんど何でも良いそうで、樹木に少し傷をつけて匂いを嗅げば、精油の香りがするから、そういう木を選ぶと良いということです。山から切り出された丸太などがヤフオクで千円くらいで売られていますので、そういうのを使ってもできるかもしれません。
山岳地方などでは、水道を引くことが難しい場所で水を確保するために、川の水を汲んで溜めておき、この樹木のマグカップに入れて飲むのだそうです。樹木の内部は、ばい菌や生物が入り込み難いので、清浄なのだそうです。そして、Yさんのご経験によれば、樹木が沢山生えている地域というのは、その近隣の地下水も綺麗なことが多いのだそうです。
湧き水をそのまま飲めるような国は、世界的にも珍しいのではないかと仰っていました。でも、その日本の清水にはペットボトルのミネラルウォーターとしての商品価値があるため、北海道など、水源の豊かな土地の広大な敷地を、外資系企業が買い漁っているらしいです。国民の共有財産であり、貴重な生活資源でもある天然水が、海外の民間企業の売り物になってしまう懸念があります。
一部の都道府県で既に行われている水道の民営化によって、水道代が高くなり、生活用水を得るために人々が困難を強いられることも起こり得ます。政府は、国民全員に低料金で安心して飲める水を供給する責任があると思いますし、それは国費で完璧に実施され続けるべきであると思います。
その水道を民営化するということは、国民の生命がかかっている水を、利益を追求する企業たちの市場原理の領域に投げ出してしまうということです。生きてゆくために不可欠な飲み水を「商品」として扱うことを許してしまうということであり、とても危険なことだと思います。
水、電気、ガスといった生存に不可欠な資源は、たとえ物価に変動があったとしても、安定した料金で、なるべく低い料金に抑えられているべきであると思います。それは、国民が人間らしい生活を送るための福利厚生の第一の基盤だからです。
消費税の増税によって一般庶民は自由に使えるお金がどんどん減り、大企業ばかり優遇される弱者冷遇の悪政がこの国の景気を停滞させていると思います。
国会議員の中には、海外の水道会社と強力なコネを持つ人間がおり、水道利権によって暴利を得ようとしています。国の天然資源までもを自己の利益のために利用するような人間たちが、この国の指揮系統の上位に居座っているようです。
私は、掲示板の「切る祈願」では、掲示板に投稿された願い事が叶って行くことをご祈念していますが、最後に社会的なことについても祈願するようにしています。国政に私利私欲の商魂を持ち込む不埒な政治家たちが居なくならない限り、この国は衰退するだろうと考えているからです。
人々の集合無意識が、”このままでは日本は亡びる、私達の生活や将来が、彼ら(政治家)の政策の良し悪しによって大きく左右される”、という(当然の)事実に気付き、日常の延長線の話として、政治の世界に人々の関心が向けられるようになることを個人的に切願しています。
ある意味では、投票する行為もまた、人々の思い、つまり”思念”が込められているわけで、投票こそは最も現実的な思念の伝達といえます。
清浄な水は、健康な人生を歩むために、誰にとっても必要なもの。
今回、Yさんに教えて頂いた方法を私もやってみたいです。
そうして、自然からの恵みのありがたさや素晴らしさを、後世に伝えて行く事ができたらとも思っています。
「占いって怖いですか?」
この問いに、まず私自身が答えましょう。
「はい、ちょっと怖いです(笑)」
一応、占い師ですからね。
信じてますからね、占いってものを。
「こうなりますよ(なる可能性が高いですよ)」って、
出てくるわけじゃないですか。
それを、信じてく方向なわけじゃないですか。
どうしますか、子供の将来は?って占って、
「グレます」って出たら(笑)。
で、「どうしたらまぬがれられますか?」って占って、
「まぬがれられない」とか出たら、どうしますか。
もう、気が重いですよ。
もし、それが仮に外れていたとしても、
いつもそれが頭から離れなかったら、
無意識のうちにそっちに引きずられていく可能性が高くなります。
そもそも、未来とか、相手の気持ちって、わかんない方が楽しくないですか?
それでも、場合によっては知りたいこともあって、
やっぱり占ってみることもあるんですけど・・。
基本的には、この占いに対する感覚って、博史先生も同じような感じです。
なんでもかんでも占いに頼って決めたりしないです。
でも、リスク回避とか、ここぞ、という時には使います。
占いの凄さと、同時にその怖さも知ってるからかもしれません。
凄い(強い)ということは、パワーがあるということ。
そしてそれは、時に怖いことでもあります。
ここをどういう風に使いこなすかというのが、占い師の腕の一つなのかもしれません。
それで。
ちょっと話がずれましたが。
私たち占い師でも、
「これは別に占いたくはないよね」っていうことって
結構あるんです。
「別に、普通に相談するだけでいいですよね」っていう。
だから、試しに、勉強として、
よその占い師に占ってもらおうかと思うこともあるんですが、
正直、何を占ってもらったらいいんだか、ちょっとネタに困る(笑)。
このサイトには、おそらく、別にそこまで占いが好きなわけではない、
という方も、たくさん遊びに来てくださっているのかなと思います。
そういう方はなおのこと、
「別に、占いって言っても、何を占ってもらったらいいんだか・・」
という方が多いのではないかと。
だから、占い師ですけど、占っても占わなくても大丈夫です!
普通に、相談だけでも大丈夫です^^☆
そして、そのスタンスは、博史先生も同じです!
だから、「占い、な~」っていう方も、どうぞお気軽に☆
そして、話しているうちに、「あ、これだけ占ってみてもらいたいわ」とか
思うことがあれば、途中からでも全然大丈夫ですので、占いもできます☆
最近、インスタも始めまして、そこの自己紹介には、
電話(オンライン)占い アストロラーベ
いろんなことを占える!
なんなら何も占わなくてもいい!
心のすり傷の消毒と絆創膏☆
って書いています^^☆
まあ、こんなゆるい感じでやっていきますので、
これからもよろしくお願いいたします!
次回の掲示板祈願(結び繋ぎ)は、2月12日(旧暦3日)に実施します。
満月の翌日にあたる今夜は、欠け行く月の周期にあたりますので、恒例の切る祈願を実施します。祈願の時間は深夜0時頃になると思います。
掲示板に投稿された皆様の切願が成就することをお祈りいたします。
小室博史
昨日の記事の、続きのような話になります。
そういうものだと思わせる。
というのは、昨日書きましたが。
逆に、
「そういうものだと思われる」
という、良くない方のパターンがあります。
それが、
ルーティンという罠
です。
子供たちが小さい頃、用事で子供たちをつれて電車に乗ることが
月に3~4回ありました。
子供たちは自販機を見ると、「あれ飲みたいな~」とか言ってくるんです。
なんとしても!という感じではなく、心の声が口に出た、くらいの感じで(笑)。
特に理由も無いけど、「べつにいいよ~」っていう感じで、
買ってあげたとしましょう。
ジュースも色々ですけど、計算しやすいから、仮に150円としましょうか。
子供3人と、自分も買う。これで600円。
一回そういうことがあると、子供は次も期待します。
その自販機の前を通るたびに、「あれ飲みたいな~」と言ってくる。
それを何回かやっていると、ルーティンみたいになってくる。
子供たちの中では、ここの自販機の前を通ったら買ってくれるものだ、
ということになる。
そうすると、月に4回として、600×4で2400円。
もし、行きだけではなく帰りも買ってあげたとすると、4800円。
かなりな金額ではないでしょうか?
今、自販機を例に取りましたが、いろいろなトラップがあると思います。
昨日の例で言えば、買い物に行った時には(たくさん?好きなだけ?)
お菓子を買ってもらえるのだ、とか。
あのショッピングモールに行った時には、必ずミスドに連れてってくれるんだ、とか
必ずサーティーワンに連れてってくれるんだ、とか。
あの通りを通った時には、必ずクレープやさん(たこ焼きやたい焼きなど、なんでも当てはまります)に寄ってくれるんだ、とか。
思い込まれると、ルーティンになります。
別に、それが悪いというわけではありません。
親もそれが楽しみで、「そこにお金を使うんだ」という意識をちゃんと持って
そうしているなら、それはそれでいいと思います。
ただ、なんとなく、すごく行きたいわけでもないのに、
なんか、習慣としてそういうことになっちゃったから、ということで
なんとなくやっていることがあるとしたら、
それはもったいないので、見直したほうがいい気がします。
子供はいろいろと期待してくるものなので、一度そういうことがあると、
あっというまにルーティンになりがちです。
そういう時に使えるのが、前回もお伝えした「特別」っていうワードです。
基本的に我が家では、出かけるときにはそれぞれマイボトルを持って、
ということをかなり徹底して来たので、自販機のお世話になることは
相当少なかったのですが、それでもたまにはありました。
一番多いパターンとしては、夏の非常に暑い時期に、
行きと、行った先で全部飲んでしまい、帰りにのどがかわく、というパターン。
そういう時には、
「今日は暑いから、このままだと熱中症になりそうだから、特別ね」と
そういう感じで使ってました(笑)。
もし、どうしてもほしいというわけではないけど、
なんとなく、こういうパターンで、ルーティンで使っているものがあれば、
例えば、マイボトルとか、おにぎり持参とか、ちょっとだけ我慢するとか、
そういうほんの少しの工夫で、月に数千円、浮くかもしれません^^☆
何か参考になれば幸いです☆
時折、スーパーとかで見ますよね。
小さい子が、「買って買って、買って~!!」って
泣き喚いて、じだんだを踏んでがんばっちゃってる光景。
あれ、やらせないために、いくつかコツがあるんです。
(ちなみにうちはやられたことがありません^^!)
1、そういうものだと思い込ませる。
まず、うちの場合は、特に長男の場合は
「買い物に行ったらお菓子を買ってくれるもの」だと
思っていなかった、というのがあります。
当時は経済的に厳しすぎて、お菓子を買うということが
ほとんどなかったのです。
(長男も、私達の大変さを察していてくれた部分もあると思います)
一番下の長女の時には、若干の余裕はありましたが、
それでも、「お菓子はひとつだけ、100円までのものね」と
決めていました。
だから、うちの子達は「そういうもの」と思っているので、
それ以上、泣いて頑張るとかはありませんでした。
これはご家庭によって事情は違うと思いますが、
あるルールを作っておいて、「そういうものだ」と思い込ませるのは
かなり有効だと思います。
親が、その時々に気分で、沢山買うとか買わないとか、
不規則であると、要求すれば買ってもらえるのかな?と
思われやすくなると思います。
2、「特別」という枠を作る。
とはいえ、毎回そのルールに従ってばかりでは苦しい時もありますよね。
今回は特売だから、少し多めに買っておきたい!とか。
大人の事情もあったりして(笑)。
そういう時は、なんらか理由をつけて、「今日は特別」と伝えます。
「昨日は、運動会で頑張ったね、だから今日は特別ね」とか、
「明日は、お友達が来るから、ちょっと特別な日だから、大目に買うね。」とか。
でもこれも、あまり頻繁に使ったり、
小さすぎる理由で買ったりすると、
「今日は何か特別なことないの?」とか
「昨日も漢字の小テストで100点取ったけど、特別じゃないの?」とか、
頻繁にねだられるようになりますので、ご注意を(笑)。
3、泣かれても買わない。
これは、「結局、どういうことをすれば、ほしいものが手に入るのか」という 子供側からの視点で考えます。
暴れたり泣かれたりすると、周りの目もありますし、
ついつい負けて買ってしまいそうになります。
しかし、それで買ってしまうと、
「頑張って泣きわめくと買ってもらえるんだ」と、子供は学習します。
そして、要求をかなえるにはそれが効果的だと思い、繰り返すようになります。
逆に、どんなに泣かれても買わない。
無視する、引っぱって外に連れ出す。とか、買わない、とか、
なんらか、その子にとっておもしろくない展開になれば、
「これはやってもダメなんだな」と学びます。
ここは、子供との勝負のしどころですね。
☆おまけ
しつけの最初からやっていただくと効果的です。
一度、癖がつくと、なかなか直りにくいこともあります。
その癖を直すには、直しやすい時期というのがあります。
学年が変わる時や、お誕生日などです。
「もう一つお兄さん(お姉さん)になるんだ」という自覚が
本人に芽生えるので、その時がチャンスです。
そういう時には入りやすいです。
「もう赤ちゃんじゃないから、かっこいいお兄さんになろうね」とか
何か、本人の心に響くような言葉を使って、きちんとお話してあげてくださいね。
何か参考になれば幸いです~^^☆
「不登校が治る!」みたいなサイト、ありますよね。
ある意味、商売敵なんですけど(笑)、私も当事者なので、つい見てしまったりして(笑)。
で。
たしか、うろ覚えなんですけど、
「不登校のお子さんの親御さんに共通するもの」みたいな話の中で。
「~でなくてはならない」という気持ちが強すぎる。
って、あったんですよね。
例えば、「高校はある程度のランクのところに行かせなくてはならない」とか、
「大学もできるだけ行かせなくてはならない」とか。
そういう感じで「~せねばならない」っていう気持ちが強すぎる人が多いです、
そんなような書かれ方をしていたように思います。
で、私はそれを読みながら、
「私、そうでもないんだけどな~」って思ったんですよね。
私の持ってる枠って、あるはあるけど、相当低いんですよね。
「高校は、~高校、って名前が付くところならどこでもいいから」
「学校は、基本的には行こう。遅刻しても早退しても保健室でもいいから。」
「宿題はやろう、できれば」
「明日の学校の準備をしてから寝よう(当日の朝じゃなくて)」
学校のことはそのくらいかな。
学校以外のことでは、
「習い事は、できるだけ行こう」
「お米は毎日研いでね」
「スマホは22時までね」
そのくらいです。
ゆるくないですか?
もはや、「ゆるゆる」じゃないですか?!
しかし、うちの「みー」は、これもできないのです、なかなか。
宿題だって、そんなにあるわけではない。
30分もあれば終わるんじゃないのかなあ。
しかし、やらない!
宿題に関していえば、
まずは、
「宿題、やった~?」
から始まり。
「早めにやっちゃえば~、あとゆっくり遊べるから~」
とか。
「おやつ食べながらでもやれば~」とか
「ご飯の前に10分でもやれば~」
とか、
「いつやるの?」
とか、
様々にパターンを変えながら、10回くらい言うんですよね。
でも、まあ、まずやらない。
・・この際、宿題はもうやらんでもいいです。
明日の学校の準備は、してから、寝てほしい。
朝出る時間になって、もう出ないと遅刻なのに、
「理科の教科書、知らない?」とか、ほんとやめてほしい。
まあ、そんなこんなで
怒鳴ったりするようなことはほとんどないものの、
手を変え品を変え、言い方を変えて、
いろんなことを、それぞれ10回くらい言ってたりするわけです。
学校に行くことに関してもそうでした。
「どう?行けそう?」
「おなか痛いの治った?」
「10時ごろにはいけそうかな?」
とか、いろいろとパターンを変えて、やはり10回くらいは。
けれど、先日の、不登校占いのところにも書きましたが、
そういう態度が、共依存的だったのかな、と。
だから、枠の大きさで言ったら、超「ゆるゆる」なんですけど、
その枠の固さがが、かなり固かったのかな、と。
つまり
「ゆるいんだから、このくらい守ってね、絶対」
っていう感じだったのかな、と。
そしてそれは、形として現れてくるときに、
「口うるさい」っていうことになっていたのかもしれないと思いました。
それで、思ったんです。
枠は、大きさだけではなくて、固さも問題なのかなと。
(私、「口うるさい」かも・・)と思われたら、ちょっと気をつけて。
私と同じことをやっている可能性もあるかもしれません。(⇒共依存的)
私の場合、たまたま、最近、朝早く出る仕事が入りまして。
それに加えて、たまたま、(時々チラシ配りの仕事が入るのですが)
チラシ配りの期限が迫ってきていて、その翌日も、朝からチラシ配りに出まして。
2日続けて、みーの見送りはせず、パパに、
「後はよろしくお願いします!」ってお任せして、私は登校時間には
家を出てしまっていました。
そうしたら、2日とも、ふつうに学校に行ったんですよね。
・・これは・・と思い、
昨日も今日も、私はチラシ配りで早くから出てしまうようにしたら、
みーは調子よく学校に行っています。
ただの偶然ではない気がするんですよね・・ここまでくると。
親離れ、子離れ、ということ。
枠の大きさ、固さ(⇒口うるささ)ということ。
どこから、どうやって、手を離したらいいかということ。
きっと、どの子、どの親、どのパターンでも同じではないと思います。
十人十色かと思います。
一番大切なことは、「観察する」ということである気がしています。
いろんな専門家がいろいろなことを言っても、
やっぱり一番近くにいる親が、一番わかっているような気がします。
それでも、近くで見ているからこそ、近すぎて見えにくくなることも、
知らずに何かにはまっていることもあるので、
そういうときには、外からの目を参考にすることも必要かもしれません。
そして、「願う」こと、「祈る」ことも、何かのきっかけになるかもしれません。
そこから偶然のようにして起きてくること、そのことから得られる反応、
そこでもやはり「観察」が大切になります。
明日は獅子座の満月。
明後日、アストロラーベでは、博史先生が、「切る祈願」を行います。
もう終わってほしいこと、切り替えたいこと、手放したいことなど、
ぜひ、掲示板に書き込んでみてくださいね^^☆
このところ何件か、叶いましたよ~!という嬉しい書き込みも頂いています☆
昨日、とあることがありまして。
そのことから、直接誰かに何かを言われたわけではないのですが、
「もっと、きりっと、締まっていかなくては」と感じたのでした。
締まって、というのは、あれですね。
野球とかで、キャプテンがグラウンドのみんなに、でっかい声で叫ぶ、
「しまっていこうぜ~~!!」
っていう、あれですね。
気を引き締めていこう!っていうことです。
自分でも、あれやこれな~と思い当たるところはあるのですが、
一番に「これかな」と思ったのは、「みー」のこと。
結局、みーが、学校に行くか行かないかで、
「どうなの?」「行けそうなの?」「何時ごろなら行けそう?」
「おなか痛いの?」「まだ治らないの?」
とか言って、自分の神経が、相当、そこに割かれてしまうんですね。
もう、午前中いっぱい、下手したらそれ以上の時間まで、
自分の気持ちがそこに振り回されてしまうんです。
それが、一番の「ツボ」だな~と思いました。
で、私、実はなんでもかんでも占うタイプじゃないんですけど。
今回のことは、ちょっと占ってみようかなと思いました。
それで、ある実験も兼ねて、博史先生にも協力してもらい、占ってみることにしました。
普通、占いっていうのは、占い師が相談者の方に頼まれたことを、占い師一人で占います。
けれど、確かまゆちん先生は、「相談者の方にも一緒に占ってもらう」というスタイルを(場合によっては)取っていたんですよね。
それ、やってみようか、っていう。
具体的には、博史先生にタロットをやってもらいました。
で、シャッフルする時に、博史先生も、私も、一緒に、占いたい内容を念じて。
そして、私が、「ストップ」 と声を掛けます。
そしてその先は、博史先生が占っていく、というスタイルです。
これがうまくいくということが体感としてわかると、
相談者さん自身に占いに参加してもらうことが可能になるわけです。
で。
出た結果は。
・みーの今の気持ち(学校に行きたくない原因)
ソードの8(正位置) 考え過ぎ・自縄自縛。
・みーの学校に対する気持ち。
ペンタクルのエース(正位置) 前向き。学びたいと思っている。
・みーが学校に行くようになるかという展望(あと2ヶ月の、小学校)。
ワンドのナイト(正位置) 行くようになる。
・私が彼女に何をしてあげればいいかというアドバイス(2枚)
恋人達(逆位置) 調和しなくていい⇒ 合わせなくてもいい
カップの6(逆位置) 大人への目覚め
ということで。
自分としても、かなり納得のいくものでした。
現在、確認しやすいものとしては、
みーの、学校に行きたくない原因と、学校に対する思い、ですが。
行きたくない原因は、まさしく彼女がそういうことを、先日言ってました。
学校に対する思いとしては、「勉強が追いつけるようになりたい」と
言っていたので、合っています。
学校に行けるようになるかという展望については、そうなってほしいと願うばかりですが、ちょっとここ数日、上向き加減です。
遅刻もしないで行けていたりします。
そして、私に対するアドバイスが、なるほど・・と。
実は、ここ数日、たまたまではありますが、私の予定が忙しくて、
朝早くに出なくてはいけないこともあったりして、
みーの送り出しも出来ず、「あとはパパ、よろしくお願いします!」って感じだったりしてたのです。
逆にそれがよかったのかも・・と。
博史先生に、
「みーちゃんももう6年生だし、学校に行っても行かなくても、
宿題をしてもしなくても、それはあなた自身に返ってくることなんだよ、
という、少し突き放したような姿勢を取るのがいいのかもしれませんね.。」
と言われたことと、リンクしました。
みーのことが心配で、かわいくて、気になって、私があれこれと構うから、
だから、みーも、余計に(無意識的に?)私の気をひくのかも、と。
共依存っていうのが、あるんですけど。
アルコール中毒の旦那さんと、その世話をする奥さんとかが典型的な例として語られるんですが。
世話をする方と、される方が、お互いにその関係に依存している、という状態ですね。
アル中の旦那さんが、奥さんに依存してるのは目に見えてわかりやすいですよね。
「酒を買うから、金くれ」って、形としてとてもわかりやすく依存している。
じゃあ、奥さんの依存ってなんなのか。
アル中から立ち直りつつある旦那さん、もう半年も一滴も飲まないで頑張ってるのに
(アル中はほんのわずかでも飲んだら、元に戻ってしまうそうです)
そこで、奥さんが「よく頑張ったらたまには・・」とか言って、飲ませてしまったりする事があるそうなんです。
この時に、奥さんの中で、(無意識的に?)何が起こっているのか。
その奥さんは、「だんながアル中なのに、おくさん、ほんとに頑張ってるよね、偉いよね、なかなかできることじゃないわ。」とか、周りに言われてたりします。
それで、だんなが元に戻ってしまうと、
「アル中の旦那の世話をしている、偉い奥さん」という立場がなくなってしまうんですね。
それで、その立場を復活させる為に、旦那さんにまた飲ませてしまうそうなんです。
その「関係性」に、奥さんのほうも依存してるんですね。
こういう状態を「共依存」って言います。
知識としては知っていたし、実体験としても、ある程度理解していたと思います。
でも、無我夢中で取り組んでいる渦中では、
知らず知らず、それに近い状態に踏み込んでいることがあるんだろうなと、
改めて、自分自身で感じました。
親離れ、子離れの季節に、移り変わりつつあるのですね。
(ちなみに、共依存の場合は、依存させている方(世話をしている方)が
解決の鍵を握っていると言われています。
上手に、距離感を取ることで、相手も改善していくことが多いようです。)
私は、タロットの、未来を見せてくれるところもですが、
こういう「自分の気づかなかったところ」に気がつかせてくれる感じが好きです。
今回は、いける!という感じがしましたが、
相談者の方と共に占ってみる、という実験については、
まだ自分的には、体感として、積み重ねていく必要があると思いますので、
またコツコツと重ねてやっていきたいと思っています。
革命
「え?それ、どういうこと!?」
君とつき合うようになってから
何度口にしたか分からない この台詞
普通の人が言わないことを
1日に3回くらい 君は言う
君が毎日 普通にやってることは
普通の人がやらないことで
「それってすごいことだよ?」と言うと
「そうなのかな?」って 自分でびっくりしてる
そんな僕も 君と話が合うっていいう時点で
やっぱり変わった部類らしい
「遺伝子って音楽を奏でてるらしいよ!」と
目を輝かす君
「数字には個別に色がついているらしい」と
つぶやく僕
どうやら周りの人は 付いて来られないらしい
根拠はないけど 自信はあるんだ
僕たちなら 何か 生み出せる気がするんだよ
ガレージでパソコンをいじりながら
世界一の会社を創り上げた
あの二人のようにね
きっと世界に 革命を起こせる
そんな気がしてるんだよ
2024年1月20日から、新しい料金大系に改訂いたします。
電話鑑定、オンライン鑑定、占い付きオンライン人生相談、オンライン二人鑑定の料金が変更されます。
〔変更点〕
・占い鑑定や人生相談については、「3回目のご利用から後払いも可」とさせて頂いておりましたが、お客様にとっての利便性を考慮して、2回目から可能とさせて頂きます。
初回ご利用時のみ前払いでお願いいたします。(護符や祈願については、これまで通り前払いとなります。)
・占い鑑定と人生相談の料金の改訂をします。最短鑑定時間が20分間から30分間に変更され、延長料金については1分単位ではなく10分単位に変ります。「オンライン二人鑑定」については2024年3月20日までは占い師一人の鑑定と同じ料金で可能です。
・初回ご利用時のみ使用できる「初回割引き5,000円」
〔電話鑑定、オンライン鑑定、占星術ワーク、占い付き人生相談、二人鑑定〕
この度、全ての鑑定系のサービスの料金体系を同一化します。
・予約制(お問い合わせメールフォームからお願いします)
・最短鑑定時間 30分(3,000円)~
・鑑定の延長 1,000円/10分 (延長は10分単位となります。延長を希望された場合に、結果的に10分を要さなかった場合でも、10分としての延長料金を頂きます。)
・詳細は「小室博史の鑑定」「鳴海和香葉の鑑定」を御覧下さい。
〔初回割引き5,000円〕
初回ご利用時の料金が、5千円分まで割引き対象となります。占い、人生相談、アストラガロマンシーの託宣、護符、祈願などに適用されます。
例えば、初回時に占い鑑定で4,000円分のご利用を頂いた場合は、5千円に収まっているので、初回時の料金が発生しません。占い鑑定を行った時点を「初回ご利用時」とみなし、その場で別の何らかのメニューをお申し込み頂ければ、1千円分をそのご利用分に適用することも可能です。
※ この割引サービスは、ポイント贈与とは異なりますので、1千円分を保存しておいて後日ご使用頂けるわけではございません。ポイント制は管理が大変になってしまうので、このような形にさせて頂きます。
この度、アストロラーベの鑑定料金を大きく改訂することに決まりました。
今まで、小室博史の電話・オンライン鑑定は1分160円となっておりましたが、1月20日からは、1分100円に改訂します。
そして、最短鑑定時間は、これまでは20分鑑定でしたが、30分間と改訂し、延長は10分単位とさせて頂きます。(詳細は後日、あらためて告知します)
改訂の最大の理由は、私達は、電話鑑定のデメリットである、お客様と鑑定士が共に「時間を気にしながら話してしまう」ことによる弊害をできるだけ減らしたいという思いを、サイト発足当初から抱いてきたからです。
例えば、鑑定料金が高い占い企業の場合、お客様が料金の加算を心配して、会話の途中で受話器を一方的に切ってしまう現象は、ありふれた光景です。
「もう少し時間があれば、もう少し心にゆとりが持てれば、最後に丁寧にお話しておきたかったことがあるのに・・・」という残念な場面が過去に何度もありました。
時々、お客様たちはタイムリミットを気にしたり、料金が膨らむことを気にするあまり、相談に集中することができなくなる事があります。人間らしい言葉のやり取りは抜きになってしまい、ただ効率よく、できるだけ短時間で、スピーディーに箇条書き的に知りたい、という発想になり易く、占い師もお客様も、双方とも相手の個性や人格に触れることができないまま、占い師は一先ず急いでいるように見えるお客様には、占いに出ている情報だけを結論的にお伝えし、説明も表面的な感じで終わってしまう、という事が起きてきます。
これでは、占い鑑定の理想的なあり方、つまり深い対話から生まれる理解や信頼、適切な助言、丁寧な解説は適用しづらくなります。時間的に無理だからです・・・。
これは、電話占い業界の全くもって残念な現実なのです。
現在、私は大手占い企業に所属していますが、鑑定料金は一分260円で、そのうち、私の報酬は65円です。お客様がお支払い下さった260円のうち195円は企業の人件費や土地代、広告費などの諸経費に充てられているはずです。
正直にいえば、私は個人事業のサイトのほうでは、100円でも十分に採算が取れます。そもそも65円のギャラで働いているわけで、むしろそれよりも多いわけですから。それでは、どうして今まで160円にしていたかというと、電話占い業界の一般的な相場から著しくかけ離れているように感じられると、「誤解」されてしまうリスクがあることを過去の経験によって知っているからです。
鑑定料金があまりにも安いと、「この占い師はアマチュアなのではないか?」とか、「あまり売れていない人なのでは?」という誤解を招いてしまうリスクがあるからです。その程度ならばまだしも、「怪しい宗教に勧誘されたりしないだろうか?」とか、そっちのほうに誤解されてしまう可能性もあります。
鑑定料金の相場が高額なのは、おそらく、電話占い業界と占い師たちが、”高ければ高いほど人気があってよく当たる占い師なんですよ” という暗黙のメッセージを、各店舗のHPや女性誌の広告欄で発信し続けてきた結果だと思っています。
当然、企業は「特別な先生」や「神レベルの先生」を設定することによって、効率よく利益を上げようとする思惑から、料金と能力が正比例の関係にあるかのような表現、売り込み方をしてきます。
そういう事が蔓延しているため、良心的な鑑定料金に設定することが、必ずしも良い結果を招くとは限らないという現実を見てきました。だから、これまでは、相場よりも若干安めのライン(160円)に設定していました。
でも、率直にこういう話をして行くことで、もしかしたら、占い業界のタネ明かしが進み、電話・オンライン占いが、一般的に高額なのは、スタッフを何十人も雇用し、宣伝費をつぎ込まないと競走に勝てない企業の都合に起因するものであり、個人経営の占い師であれば、その何分の一の料金であっても、ある意味、適正な設定なのだ、という認識が広まって行くかもしれない、と考えました。
皆が今の「相場」にあわせるから、「相場」が変化しないのであり、誰かが相場を無視し始めれば、時間と共に、既存の相場は、絶対的なものではないのかもしれないという感覚を持つ人が増えるかもしれません。そうなった時、おそらく大手企業の鑑定料金は変らないかもしれませんが、フリーランスの占い師たちの相場感は変ってくるかもしれません。
かつて、私が個人で運営していたサイトでは、一分100円でした。電卓で鑑定料金を計算する際に計算し易いという利点もあります。ただ、人間の心理というものは、不思議なもので、料金が相場に比べて大幅に安かったとしても、1分ごとの課金を意識すると、どうしても気持ちが焦って落ち着かない感じになってしまうものなのです。せっかく相場を度外視した価格でご提供しても、延長料金のシステムが一分単位だと、やはりどこか気持ちのゆとりは奪われるわけです。
私達は、ネットも電話占いも無かった時代の易者の訪問鑑定とか、今でもたまに見かけますが、1件何千円、あるいは、1時間いくら、といった料金設定の良さを見直そうということになり、落ち着いて会話をするためには、やはり30分は必要だよね、という話になり、延長も1分刻みで計算するよりも、10分単位のほうが、お互いに会話に集中できると考えました。
”安かろう悪かろう”と誤解されるリスクをあえて冒しますが、本質的に占い鑑定に必要な精神的なゆとりを確保することを優先したいのです。
そして占い業界全体に蔓延している、”高かろう当たるだろう!”という馬鹿げた風潮を何とか塗り替えて行きたいわけです。
別に安いわけじゃなくて、フツーなんですよ、うちは個人だから。
と、多くの占い師が言える世界になれば、占いはもっと身近で利用し易いものに変って行くと思います。
知り合いの、若い子の話です。
プライバシーに触れないよう、設定を少し変えてお伝えします。
彼女は20代前半。
現在、YouTuberを目指して、歌やダンス等を投稿中!
それではなかなか稼ぎにはならないので、バイトもしています。
高校時代、初めてやったバイトは、レストランの厨房だったそうです。
でも、なかなかメニューが覚えられなかったり、人間関係も悪かったりして、
わりとすぐにやめました。
その後、いくつかバイトはしたものの、勤め先が潰れてしまったりなど、
なかなか思うように続かず。
数ヶ月前から、また、レストランの厨房のバイトを始めました。
もちろん、前回とは違うお店ですけど。
それを聞いた時には、なんでだめだったのに、前と同じ職種?と思ったのですが、
そこらへんはあまり詳しくは聞いていないのですが、お店の前を通りかかって、
バイト募集の張り紙があり、時給もまあまあだったので・・ということみたいです。
たぶんだけど、前にだめだったのは、どちらかというと、職種が向いていないというより、人間関係がダメだったからだ、という印象が、彼女の中にあったからでしょうか。
まあ、それで、数ヶ月勤めてはみたのですが、やっぱりダメだったみたいで。
やっぱり人間関係がメインではあったものの、「次は飲食はやめる」と言っていたので、やはり職種的にも向かなかったのでしょう。
飲食、大変ですもんね~。特にランチとか、混雑する時間は!
私も、ちょっとだけ個人の小さなレストランで働いていたことがありましたが、ウエイトレスが私一人だったので、注文受けから、運び、片付け、手が空いたら皿洗いなど、全部一人だったので、忙しい時間は本当に忙しかった!
ごく簡単ではあるけれど、コースみたいな感じのメニューもあったので、スープが先で、メインで、デザートで、みたいな、運ぶ仕事の隙間に、他の注文は入る、お客様が座ろうとしている席が片付いていない、みたいなことで、しまいには小走りで走り回る感じで、店長に「走らない!」と注意されてしまいました。
それが私の初めてのバイトでした。なつかし~。
すみません、話がそれましたけど。
そんなわけで、大変と言われる飲食ではありますが、やっぱり好きな人は世の中にはいるもので。
だからわざわざ自分でお店とか出す人も、次々に出てくるわけですよね!
あの忙しいのが、テンションが上がる!っていう人も、たぶんいるんだと思います。
そういうわけで、まあ、かなりのことが、向き、不向きっていうのがあるわけです。
その彼女の話を聞いていると、彼女はそもそも、食べることにそんなに関心が薄いようで。
自分ではほとんど料理はしないし、台所に立つのも、インスタントコーヒーを入れるときと、カップラーメンを作るときくらい、っていうもんだから、たぶん、「調理」っていうもの自体に向いていないんだと思います。
長い人生ですから、これから変わっていく可能性は十分にありますけどね。
とりあえず、現状では、向いていないでしょうね。
彼女のホロスコープを見せてもらったことがあります。
彼女は5ハウスにたくさん星が集中しています。
5ハウスは、恋愛とか、趣味とか、楽しいこととかの部屋。
そこに星がいっぱい入っているということは、どうしても興味関心がそこに集中していくわけで・・。
そりゃ、趣味のYouTubeで稼ぎたいなと、思うでしょうね、という感じです。
しかし、やっぱりなかなかYouTubeって、現実にはねえ・・。
で、別の何か、って言った時に、5ハウスって、「子供」とかも指すのですよ。
彼女は、妹がいるのですが、その妹が連れてくる友達ともじょうずに遊んであげるんですね。
遊んであげる、というより、むしろ、一緒に楽しく遊べる、という方がいいかも。
それって、立派な才能だと思うんですよ。
小さい子が嫌いな人は、ほんとに嫌がりますからね。
だから、私は彼女に、「学童の先生とか、どう?」って薦めてみたんです。
そしたら彼女、先日、ぱりっとスーツを着て、面接に行きました。
バイトの面接だけど、スーツ!
彼女の気合っていうか、「新天地が開けますように!」みたいな思いを感じました。
学童の先生、楽しくできるといいなあと思います!
5ハウスの星々が、彼女の人生を照らしてくれますように!!
ホロスコープをみると、仕事の適性などもわかります。
就職や転職などの際にも、参考になると思いますので、
お気軽にお尋ねくださいね~^^☆
今日も学校をお休みした、みー。
そうだ!と思い立ち、今読んでいる「発達心理学」の本の、
ある項目を見せました。
それは、「自我の発達」という項目。
乳児期、幼児期、遊戯期、学童期、青年期、前成人期、成人期、老年期・・
それぞれの年代での、発達における課題と、その課題を解決できなかった時に陥る危機、というのが一覧表で見やすく書いてあります。
ひとつひとつここで説明すると、あまりに長くなりますので、
今日は、みーと話した部分だけになりますが。
「学童期・8~12歳ごろ」
っていうあたりで。
「ねーねー、みー。見てごらん。
あなたは秋生まれだから、12歳がもう少しあるけどね、
12歳ごろまでに発達として獲得しなければならないものっていうのがあってさ。
それが獲得できなかった時に、陥る危機っていうのも書いてあるわけ。
でね、ここ見て~。
学童期、12歳ごろまでに獲得すべきものは、「勤勉」。わかる?勤勉。」
「わからん」
「勤勉っていうのは、こつこつ真面目に努力することだな」
「ああ~・・(ちょっと、あちゃ~的な感じで)」
「で、それを獲得できなかった時に陥るのが、これだ。劣等感。
劣等感、わかる?人と比べて自分はダメだ~ってやつな。」
「なるほど・・(ちょっとしみている感じ)」
もうね、これは、本当に彼女の課題なんですよ。
彼女は、天秤座なんですけど、天秤座の支配性は金星なんですけど、
アスペクト(星々の作る角度)を含め、金星が効き過ぎてる感じの子なんです。
もうすこし日本語で分かりやすくいうと。
金星って恋愛とか、楽しいこととか、芸術とか、そういうことを司る星です。
彼女は本当に、楽しいことが好きで、芸術的な感覚があって、
絵を書いたり、歌やダンスが上手だったりするのですが、そこに自分の気持ちを乗せるのが非常に上手い!
出し物等で舞台に立ったりすると、それだけで存在がキラキラしている。
(親の欲目と思うかもしれませんが、それだけじゃないんです。うちには3人子供がいますが、ちょっとそのあたりは、みーは、特別なんです。博史先生も彼女の舞台でのダンスを見たことがあり、「一番新人なのに、センターの踊りですよね」って言ってくれたことがあります。)
なんていうのかなあ、「センスの塊」みたいなところがあります。
逆に言うと、「センスだけで生きてる」という感じが・・(笑)。
センスがあるのはいいことだけど、それだけじゃあさすがになんにもならないよ・・
というのが、母の心配でして。
やっぱり、センスだけじゃなく、「コツコツと努力してモノにする」ということが伴わないことには、なかなか、何をやってもね・・。
そういうわけで、「毎日米を研ぐ」ということを、やってもらうことにしたわけです。
(できないときもありますが)
もはや自分でやったほうが早いと思うときもありますが、それでも5回でも10回でも、
毎日、「みー、お米研いで~」と、ブロークンレコード法で繰り返すわけです。
それは、ひとえに、どんなささやかなことでもいいから「続ける」ということを、彼女の身につけてあげたいと思うからなんです。
さっきの会話に戻りますけど、
「だからね、私が毎日あなたにお米を研いでって言ってるのは、
この「勤勉」を身につけて欲しくて言ってるわけ。はじめっからそのつもりなわけ。
・・わかった?」
「・・なるほど」
みーは、センスのある子なんで(こういう話でも肝心なところをつかめる)、
たぶん私が何を言いたいのか、伝わったと思います。
今まで私が、ばかみたいに繰り返して言って、やらせてきたことが、
(その時々に何度も説明したつもりなんですが)、たぶん、あの表を見て、
具体的に「なるほど」って思えた部分があったのではないかと思います。
これからは、「勤勉さ、大事だぞ~。欠けると劣等感になるぞ~」って言おう。
たぶん、何回か繰り返して言ってると、
「お母さんがそうやって言い過ぎることが、子供の劣等感を強くするわけ!」とか
言い返されそうなんですけど(笑)。
彼女、時々、「あ、それはそうだわ」というような、ちゃんと理屈の通ったことを言うんですよね。
それで、そういう時は、私は素直に、「あ、それはそうだ。ごめん。」って、
ポキッと折れます(笑)。
この折れっぷりは、自分でも好きなところです。
昨日の、学びの花が咲く瞬間、っていう話にも似ていますが、
子供に(相手に)話が伝わる瞬間、っていうのもあるよね、という話でした。
何か参考にして頂ければ幸いです^^☆
お正月もののテレビで、たまたま水晶玉子さんの星占いを見ました。
星座別×血液型別で、・・つまり、牡羊座にも、A、B、O、ABって4種類いますよね、
って見て、その調子で12星座全部やって、48種類を作り、
その48種類を、年間の運気の良い順にランキングする、というものです。
私、たまたま年末に、今年(2024年)の各星座の運勢というか、こういう事がテーマの年になりそう・・
というのを、一覧でまとめてみたので、余計に、なるほど・・と思いながら見ていました。
ある程度、星占い(星読み)をやった人でなければ、今日の運勢とか、今週の運勢とか、今年の運勢とか、どうしてそういう風に言えるの?ということがわからないと思います。
今日なのか、今週なのか、今年なのか、向こう3年なのか、見たい時期の長さによって、基準としてみる星は違ってきます。
月は最も早い移動をするので、今日の運勢は月で見ています。
一年、という単位の時には、メインで見るのは木星です。約1年で、ハウス、というものを一つずつ移動していくので、そこでテーマが変わるわけです。
なんにもわからなくて、その番組を見ていたら、(たぶん世の中のまだほとんどの人がそうだと思うのですが)、なんでこの星座良くないの?とか、なんで愛情運がいいとか言えるの?とか、なんで仕事運がいいの?とか、全くわからないと思います。
もしかしたら、くじ引きとか、水晶球を見て、そう出てるからそうなのかな~なんて思う人もいるかもしれません。
でも、星占い(星読み)って、ロジカルなんですよね。
しっかりと理論があって、かっちりシステムがあるんです。厳然たる法則というか、ルールの上に乗っかってる理論なんですね。
そのルールの中で、どういう言葉を選んで伝えるか、という事に関しては、言語的なセンスが問われますが、読んでいるのは「星の動き」なんで、理系の話ですから、元々は非常に理論的なんですよね。
木星というのは、福の神みたいな星です。幸運を連れてきてくれると言われています。
ホロスコープというものを見ていただくとわかるのですが、円盤が、12このピザのように分かれています。
その円の(だいたい)内側のほうに、数字が振ってあります。円の左から1ハウスが始まって、下を通って反時計回りに、ずっと順にぐるっと一周して、12ハウスまであります。
その、ホロスコープの中の牡牛座に、今、木星が入っています。
この状態を、「牡牛座にとっては、1ハウスに木星が入っている」といいます。
自分の星座を1として数えて、反時計回りに数えるので、牡羊座から見ると2ハウスに木星が入っていることになります。
双子座から見ると、隣ですけど、反時計回りに数えるので、ぐるっと一周して、12ハウスに木星が入っているという事になります。
まあ、そんなわけで、各星座ごとに、木星が「自分から見て」何番目の部屋(ハウス)に星が入っているか、というのが違うわけですね。
そして、何番目か、ということで、その木星が持ってきてくれる幸運のテーマが違う、ということになるんですよね。
2番目の部屋だと収入がアップしそうです。
5番目の部屋(5ハウス)にあると、恋愛とか、遊びとか、クリエイティブ運が良くなります。
7番目の部屋だと、対人関係運が良くて、パートナーが見つかるかも。
そんな風に、ひとつひとつ、その星座ごとに今年のテーマが違います。
ちなみに、今年の、って言っても、木星が5月26日に牡牛座から双子座に移動するので、そこを区切りに、上半期と下半期でテーマが変わってきます。
そういうシステムを知っていて、その番組を見ていると、楽しいんですよね。
仕事運がいいのは、10ハウスに木星があるからだな、とか。
その中でも、A型が特にいいのは、真面目に仕事に取り組むからだろうな、とか。
山羊座は上半期が木星5ハウスで、恋愛運がいいのはわかるけど、その中でも特にB型が良いのは、きっとノリがいいから思い切って行動できるからだろうな、とか。(実際にB型が一番だったかはわからないのですが)
くじ引きとか、勘とか、そんなのではなく、ちゃんと理屈があって、48種類のものがランキングされているんだろうなということを、すごく感じて、面白かったです。
(それも、占い師の感覚によって、きっとランキングも違ってくるだろうと思うところが、理系なのに文系っぽいおもしろさなんですけど)
それが、ほとんどの人にはわからないだろうけど、自分にはわかるという楽しさ(笑)。
まあ、星読みをやってる人は沢山いますから、実は相当多くの人が、私と同じように思ったりしながら、テレビを見ていたんでしょうけど(笑)。
たまたま、「あ、この程度には、自分、わかるんだ」という機会を与えてもらい、嬉しかったのです。
何かを学んでいると、行き詰まる瞬間もあると思います。
どこまでやっても果てしないような気がしてみたり、どれだけ伸びているのか自分でもわからなくなったり。
でも、「閾値」っていうものがあるようです。
赤ちゃんが、ある日、突然しゃべり出すじゃないですか。
それまでは何にも言葉を話さなかったのに。
ずっと大人たちの言葉を聞いて、自分の中のダムにためていて、ある日突然、そのダムがいっぱいになって、口から言葉になってこぼれてくる。
今日は「あ」が言えた、明日は「い」が言える、明後日は「う」・・とか、そういうのじゃない。
植物の発芽も、桜の開花もそう。
あるところまで、ずっと溜めていて、何の変化もないように見えて。
ある「閾値」を超えたときに、ばっと花開く。形になる。成果が見える。
そういうような形の変化って言うのが、あります。
私自身も、そんな希望を持ちながら、星読みや心理の勉強など、
こつこつと楽しみながら続けていきたいと思っています^^☆
昨日、今日と、オンラインの講座を受けています。(全6回)
本当は、1月7日と今日だったのですが、7日は風邪で寝込んでいたので、
昨日は、昨日が期限で消えてしまう、7日の分のアーカイブを見て。
今日は、ライブで2回目を受けて。
10~15時で、途中にお昼休憩が一時間、休憩も2回くらいあるので、
4時間弱なんですけど。
長いような短いような、不思議な時間でした。
講座の名前は、「W Sailing(ダブルセイリング)」と言って、
内容は・・なんだろう・・
詳しくは言わないように、規約で約束してるんですけど、
それ以前の問題で・・なんて表現していいのか、非常に難しい(笑)。
まあ、「情報空間のアルゴリズム」ってことなんですけど、さっぱりなんのことかわからないでしょう(笑)。
私も、2回目まで受けて、ようやくなんのことか分かってきたくらいのもので(笑)。
なんていうのかなあ・・
情報というもの(ネットや本や、テレビ等の文字や音声、画像、というものだけではなく、周りの人との会話とか、体感とか、雰囲気とか、そこから感じるものとか、微細なものも含めて全て)の、扱い方。
それに、知らずに振り回されたり、縛られたりしてることもあるし、もっと自在に使えるんだよ、みたいな話ですかね。
どうしてまた、そんな講座を聞こうと思ったかというと、
いつもメールレターを送ってくださっているコピーライティング講師の
「田中ユキノリさん」という方がいらっしゃいまして、
(向こうは私のことなど全く知らないと思いますが、私はちょっと好きで、楽しみに読ませてもらっているのです)
その方の紹介で、その講座がおすすめです!というご案内があり。
無料だったので、受けてみるか・・と思い、申し込みました。
私、ホロスコープで木星が牡羊座にあるんですけど。
木星が牡羊座の人って、直感で動いて正解みたいなんですよね。
直感で、社会に出て行くみたいなことが良いらしい。
で、なんとなく、それこそ直感で、「これ、聞いてみよう」と思ったんです。
この講座で教えてもらっていることは、すごく抽象的なもので、難しい部分もあります。
けれど、何か大切な事を教えてもらっているんだ、というのは、わかります。
すぐに食べられるインスタントなものではないのです。
むしろ、小麦粉とか、かつおぶし、塩、みたいな、素材なのです。
これを、受け取って、どうしたらいいのか、自分でレシピから考えて、使う感じです。
でも、たぶん、いつか役に立つのだろうという気がします。
いや、もう、すでに自分の中で静かに息づいてきているものがあるような気もします。
自分の土台を支える何かになってくれるような予感があります。
何を教えてくれるのか、よくわからない第1回目の講座で、
それでも「全回、聞いてみよう」と思わせてくれたのは、講師の熱意でした。
なにか、わからない事を話している。
それでも、この先生たちは、無料で、この講座を作るのに時間と熱意をつぎ込んでいる。
それは、何か、使命みたいなものにつき動かされている感じで、
一人の先生は、緊張しているのが伝わってくるけれど、それでも一生懸命に話している。先生たち、話しながらキラキラしてました。
その熱意に打たれた感じでした。
こんなに一生懸命伝えようとしてるんだから、受け取らなくちゃ、って。
時たま、こうやって無料講座とかで「こんなに!?」っていうくらい
教えてくださる先生がいます。
タロット講座、ホロスコープ講座などでお世話になった、かげした真由子先生(通称まゆちん先生)なんかもその一人です。
講座、セミナー系は、上限も無く、つぎ込む人は家が建つくらい、何千万もつぎ込んだりします。
それも、私にはなかなかかなわないことなので、本を借りる、買う、無料講座、もしくは低額の講座を受ける、ということで、学びを続けています。
ある程度、高額な講座でも、「そんなの1500円の本を買えば書いてあるよ?」みたいなものもたくさんあるそうですし、
今回みたいに無料でも、すごく質が高いと思うものもあります。
この、無料でも質が高いと思わせるようなタイプの講座に共通するのは、「高い志」です。
ボランタリー精神といいますか、「これは世の中の為になるものなので、いったん利益は度外視してやる!」というような意志・志です。
そういうものを受け取って、自分は育ててもらっているんだなと感じます。
そうやって育ててもらっている以上、それを恩返ししなくてはならないわけです。
とはいえ、恩を先方に返すすべもないので、「恩送り」ということになります。
なかなかまだ一年にも満たないですし、アストロラーベも、じゃんじゃんご相談を頂くという風には行かないわけなんですが、
でもそれもまたよしということで、まだまだ「恩送り」の時期だと思い、
たくさん皆さんに無料で楽しんでいただいたり、また低額で使っていただいたりして、
今まで、そして今も、いろいろな先生にたくさんお世話になって来たことを、みなさんに今年も還元していけたらいいのかなと思っています。
がんばって、楽しんで、今年も記事を書いて行きたいと思いますので、
どうぞよろしくお願いいたします^^☆
魔女テレパシー祈願の応用で、今回も月の満ちる時に結び繋ぎの祈願を行いました。当サイトの掲示板から願い事を投稿して頂く事で、この祈願のエネルギーを受け取ることができます。(こちらの掲示板の祈願は無料です。どなたでも投稿して頂けます。)
当店では、個別の祈願(有料)も受け付けております。
魔女集会の司祭であった小室博史が、ご依頼内容に適った祈願を念力を込めて行います。
〔祈願代行 1万円/1件〕
〔3回同時お申し込みの場合 24,000円/月に一度-計3回の祈願〕
〔長期的祈願 9万円/月に一度-計12回の祈願〕
掲示板の結び繋ぎの祈りの間に、願い事をコメントしてください。
本日、皆様の願い事の成就を祈願させて頂きます。
小室博史
このところ、社会派の記事を連発してしまいましたが。
その間に、新学期も始まっております。
去年の暮れ、そして正月明けと、ご丁寧に2回にわたり、
わたくし、寝込むレベルの風邪を引きました・・。
ようやく昨日、今日辺りから、「復活」という感じです。
新学期の初日も、私は具合が悪く。
主に腰が痛かったんです。
2回目の風邪は、咳がよくなって来たと思ったら、代わりに腰が痛くなってきて。
なんとなくこれは、「去年一年の疲れだろうな・・」と感じていました。
そんなこんなで、新学期一日目は「行く」と、みーは言ってましたので、
あとは「パパ、よろしくお願いします」ということで、私は「病人です」という感じで寝ておりました。
いつもは、パパもお仕事があるので、多少、みーに声を掛けたりはするものの、あとは出勤モードになって、自分のペースで好きなように動いて、「あ、もう時間だから。行かないと間に合わないから、あとはよろしく~」みたいな感じで出かけるのです。
パパもお仕事が大変なのはわかっているので、有難いと思ってるし、みーのことも私が、というのは仕方ないと思ってはいるのですが、でもちょっとだけ、
「仕事さえしてれば、あとは子供のことはおおかたよろしく~でいいんだもんなあ。気楽でいいなあ。」と思ってしまうこともあります。
(「仕事さえしてれば」っていうだけでも大変なのはわかってはいますが・・)
でも、この日は、パパも、私が寝ているので「自分が送り出さねば」というガッツリ自覚モードになってました。
で。
せっかくなので、私はがっつり「病人モード」になって、パパにお任せして、客観で観察をしていました。
パパ、最初は穏やかに、みーに声を掛けるものの。
なかなかみーが動かないので、なだめたりすかしたり、ちょっと厳しい声を掛けてみたり。
パパは私よりも気が短いので、だんだんとイライラしてくるのが手に取るようにわかりました。
そのうち、明らかに怒ってる感じの調子になってきて、
「学校休むんだったら、一日スマホ禁止だ!」と。
で、ついでに、パパは、みーにはスマホのロックの解除の暗号を教えていたのですが、「もう、それも変えるから!勝手に使えないようにするから!」とかいって。
あ~、それ3年位前にやってほしかったわ~、と思いました(苦笑)。
観察してて思ったのは。
やっぱり、子供が学校に行く行かないに付き合うのって、本当に大変なんだなということ。
自分が渦中にいる時には、なかなか客観視ってできないものですが、ちょっと離れたところから見たときに、「いや、これは大変だわ~」と改めて感じました。
みーは、2学期、21日休んだのです。そして、55日登校しました。
21日のうち、すぱっと気持ちよく朝から「家で勉強する」と休んだ日もあれば、
登校した55日の間にも、行くの行かないのとさんざん大変な思いをしてなんとか行った日もたくさんありました。
大変だった日は、一体何日あったのでしょう。
たぶん、40日程度なのかなあ?
この、客観で見ていて、なかなか大変そうなこのやりとりを、私は2学期、40回近く、おそらく繰り返したのだろうと思うと、そりゃ、腰が痛くなっても仕方ないかなと思いました。
あ、ちなみに腰痛の原因って、8割以上の人が不明なんだそうですよ。
そして、実は隠れ原因として、「ストレス」っていうのが、かなりあるようなんです。
(おつかれさま、自分~)と思いました。
そして、全国の不登校児のお母さん(お父さん)にも、「本当にお疲れ様です~」って思いました。
不登校、本人も大変ですけど、親も大変ですよね。
時々、疲れちゃうのも仕方ないです・・。
たまに嫌になってみたり、問題を横に置いてみたり、棚にあげてみたり、ちょっと忘れてみたり。
やっぱり向き合ってみたり、考えてみたり、話したり、聞いたり、学んだり、なにかやってみたり・・。
それでいいんじゃないでしょうか。
うちも、私が寝込んで、子供たちに言っても誰も洗ってくれないから、台所のお皿がたまりにたまって、過去最大の山になって。
たまりきったところでパパが洗ったら、1時間もかかったっていう・・。
もうねー、自分の子育てを反省しましたよ。
こういう子供たちを、自分は育ててしまったんかい、と。
お皿の洗い方も、すすぎ方も、拭き方も、教えたのに、何がいけなかったんだろう、って。
けど、「腰痛いわ~、頼むわ~」と、まためげずに言ってみたら、やってくれましたね、お皿洗い。
なんだ、やればできるじゃん!
そう、だいたいのことは、たぶん「やればできる」。
逆の表現をすると、「ほんとはやればできるのにやらない」(苦笑)。
では、なんで「やらない」のでしょうか?
それは、「結局は、親がやってくれる」と思っているからだと思います。
だから、それに対するひとつの方法として、
「お母さん(お父さん)、もう歳だからさ~戦法」というのがあります。
まあ、今回みたいに「病気だからさ~戦法」でもいいと思いますけど、
これは「どうせ元気になるんでしょ」という向こうの甘い期待があります。
演技でいいんです。
「お母さん、年だから物忘れひどくて」とか
「これ、大変すぎて、一人でやると腰が痛くて」とかいって、
(自分がやらないことには仕方ないんだな)と自覚してもらう。
話には聞いていましたが、再度それを思い出して、
「あれな。確かに大事かも。」と、今、かみしめています。
「YDK(やればできる子)」をお持ちの、現在お困りの親御さん、
よかったら「歳だからさ~戦法」、使ってみてください^^☆
リアルに、老け込んじゃダメですよ。
あくまでも、たまに使う演技で(笑)!
これは、うちの猫の『ちびくろ』です。
とっても食いしん坊なんです。
ブロッコリーや、小豆、ポテトチップス、パスタの麺、ラーメン、お蕎麦などが大好きで、人間の食べるものは、チョコレートとわざび以外は何でも食べます。
もちろん、炊いたご飯も食べますし、カレーやシチューだって好きです。
お菓子類では「ばかうけ(青海苔味)」というお煎餅が大好物です。
香辛料やネギ類は良くないと一般的にはいわれているんです。
でもうちの猫たちは、唐辛子入りのスパゲッティをほうばり、柿の種をバリバリ食らっても、全然ピンピンしていて、元気そのものです。
今、6歳なのですが、3歳くらいまでの間は、キャットフードだけを食べていたんです。その頃は、よく膀胱炎になったり、皮膚炎になって、しょっちゅう病院に通っていました。猫を飼うって、こんなに大変なのか、こんなに医療費がかかるのか・・・、と悩ましい日々を送っていたんです。
ところが、今のような(ハチャメチャな)食生活に切り変わってから、持病だった歯肉炎も綺麗になおり、体調を壊すようなことは滅多になくなりました。風邪ひとつ引かなくなりました。
以前、病院の待合室で順番待ちをしていたとき、同じく猫を飼っている女性が隣に座り、こんなことを話していました。
『猫は餌が大事だっていいますけど・・・』
『昔はよく野良猫にはネコマンマを食べさせていて』
『味噌汁をごはんにぶっかけて、かつお節をちょっと入れただけの餌でね』
『それでも、20歳くらいまで、みんな長生きしてたって、わたしの親世代の人たちは言うんですよね・・・』
たぶん、昔はまだ野外にネズミがいたので、それを主食にしていたのだとは思います。でも、たしかに塩分の多い、味噌汁を毎日のように飲ませていたわけですよね。それでも、20歳くらいの長寿な野良猫はごく普通にいたというのです。
動物医学の世界は、たぶん何かを見逃しています。医療現場で観察されていることと、実際の猫の暮らしの現場では、見えることが全然違っているのだと思います。
人間はおそらく、動物たちのことを、あまりよく分かってはいないのだと思います。うちのちびくろはキャットフード以外に、色々な食べ物を毎日喜んで食べています。それがこの子の健康の源になっていると思います。
こういう大きな自然災害の時によく出てくる話題として、
「緊急事態条項」という話があります。
聞いたことありますか?
よくわからん、という方には、
「非常事態宣言」とか「戒厳令」みたいなもの、というと
少しイメージ的につかみやすいかもしれません。
よく、大規模災害のときに、「政府に権限を集中することで、より機能的に・・」云々
というような言われ方をしますが、
まあ、昨日おとといあたりで書いてきたように。
今現在でも十分にできることはあるのに、それをやらないポンコツ政府なんで。
(自然災害以外も例を挙げれば、年金とか預けても、ろくに記録も何もつけていなくて問題になったでしょう?)
そんなポンコツな人(組織)に、さらに大きな権限を与えたら、ろくなことにならないのは、明らかでしょう。
ここはまず、プロに語って頂いた方が、文言や解釈の間違いもなくていいと思うので、
「日本弁護士連合会」の出しているクリアファイルから、引用をしたいと思います。
絵も可愛くて、内容も高校生に話している風でわかりやすいので、ぜひ読んでみて下さいね!
kenpo_pmf_202311_2( .pdf / 4.4MB )
文中にもありましたが、「緊急事態条項(のようなもの)」を利用して
人々が酷い目にあった歴史が、世界のあちこちであります。
日本だったら、治安維持法ですね。
参議院の請願から一部引用しますね。
治安維持法の犠牲者は、戦前の天皇制の下で主権在民を唱え、侵略戦争に反対したことを理由に、弾圧され多大の犠牲を受けた。治安維持法が制定された一九二五年から廃止されるまでの二十年間に、革新政党、労働組合、農民組合などの活動家を始め平和主義者、知識人、文化人、宗教家まで逮捕者数十万人、送検された人七万五千人、そのうち拷問により虐殺され、また獄死した人々は約二千人にも上った。
とまあ、こんな感じです。
あと、ドイツのヒトラーの独裁も、同じ類の「緊急措置権(大統領緊急令)」が乱用されて、始まったんです。
いっぺん、和香葉語訳してみましょう。
緊急事態条項が使われるって、こんな感じ。
「今ね、緊急事態だから!
話し合ってる暇とかないから。
上で全部勝手に決めちゃうけど、いいようにするから、大丈夫だから!
いっときなんだから、いうことを聞いて!
人権とか自由とか、わがままいわないで!
場合によっては、あなたの土地も建物も、勝手に使わせてもらうけど、
みんなのためなんだから、つべこべいわないで、我慢して!」
っていうような、法律ですわ。
一見すると、「まあ、そういう瞬間があっても仕方ないんじゃない?」とも思えますよね。
でも、これって、「ノールールで好きなようにさせてもらいます」っていう法律で。
これを使う人の「人格と判断」に、全ての運命がかかっているのです。
これ、実は穴だらけなんですよ。
「いいようにするから」って、どんな風に?
誰にとっての、「いいように」?
「いっときなんだから」って、いつまで?
いつまでかは、誰が、どうやって決めるの?
「みんなのため」って、どういう「みんな」?
「お国の為」とはどうちがうの?
「政府のため」とか「一部の偉い人のため」とかじゃなくて?
また今年も、「改憲」の議論が出てくるかもしれません。
その時に、こまごまと、重箱の隅をつつくような話にもなるでしょうが、
一番大事なところだけ、おさえておきましょう。
憲法というのは、(暴走する可能性のある)強い権力を抑えておくためのものです。
「権力」という猛獣を、暴力化しないように閉じ込めておく「オリ」としての機能が「憲法」なのです。
そして、私たち一般市民の、自由とか幸せを守ってくれるものです。
それが、絶対王政を倒して、民衆が自由を手にして、
自分達だって上に好きなようにはされないんだ、っていう強い意志のもとに、
長い長い歴史をかけて育てられてきた思想です。
自民党の出してきている改憲案は、それの逆をいくものです。
いかに「上」に権力を集中させるか、ということに意識が向かっています。
そのために、個人の自由や幸福は後回しで良いという思想なんですよ。
「いやいや、そんなことはないですよ~」って改憲派の方は言います。
「基本的人権、とか、ちゃんと改憲案にも書いてあるじゃないですか」って。
でも、よく見ると、「なんで今までのと違って、ここ、削ってあるんだろう?」
っていうところとか、いっぱいあるんですよね。
そこらへんは、「取りよう」かもしれません。
「解釈」っていうか。
けれど、法律というものを仕事にして、その解釈を日々さんざんやって来ている
その道のプロ、「弁護士」さんたちが、
こういうファイルを作って、個人的にもたくさんの弁護士さんたちがいろいろな活動をして、「改憲は危ないよ!」って、必死に発信をしている。
そのお話には、一度、素直に耳を傾けるべきものがあるだろうと思います。
私の親しくさせていただいている人にも、その活動に何十年と費やしてきた、弁護士さんがおられます。
まさしく「信念の人」です。
また近く、お話を伺いに、訪ねてみたいなと思っています。
昨日の記事をご覧になっていない方は、そちらから御覧下さい。
昨日の記事の続きで、まあ、そういうわけでして。
議員に限らないですけどね、いざっていう時に、その人の人間性が出るんだと思うんです。
で、昨日記事にあげた、自民党の松本尚(ひさし)さんの場合、
あんなに「ドクターヘリを普及しました!」
「全国に磐石な緊急医療体制を!」とか言いながら、
現在、石川県に
ドクターヘリが飛び交ってるって全然聞かないんですけど!!
そして、
そのことを要望しようとしても、
10回かけても電話も出ないんですけど!(留守電にもならないんですけど!)
ま、要するに、そういう人な訳です。
票を入れたのは、千葉の人ですけどね。
でも、千葉の人でも、票を入れた人で、親や親戚や友達が、被災地にいる人は、
「ドクターヘリどうした?」と思ってるんではないでしょうか。
いや、そんな話は忘れてしまったでしょうか?
非常時のときに、上の人がどういう指揮をとるかって物凄く大事です。
(もっといえば、非常に備えて、そういうことを綿密に考えておくことも大事です)
それが、たくさんの人の命にかかわります。
そう、他人事ではなくて、あなたの、私の、命に関わる話なんです。
政治家に、どういう人を選ぶかっていうのは。
このところ、いろいろ書きました。
陸がダメなら、海があるだろうとか、空があるだろうとか、
パラシュートとかドローンとか、何かしら手を考えるべきだろうとか。
それを追っかけるようにして、動きがあるような感じもしますが、
もちろん、これを見て動いているのではないと思いますよ。
っていうか、私ら凡人が思いつくようなことは、それよりずっと先に、
頭が良いと言われている政治家や官僚等の人たちが、
どんどん思いついて行動に移してくれなくてどうするんですか。
「それはまだ思いつかなかった!」とか
「さっき思いついたことだけど、もう実行されてるのね!」とか
そういう速さがなくては、私らがやったほうがましでしょう。
他の国では、ここまでポンコツな国ばかりではないです。
やっぱり、やる気がないとか、私利私欲にまみれてるとか
そういう政治家が多すぎるんだと思います。
何度も書いていますが、完璧な人なんていません。
当然、政治家にも完璧な人なんていません。
だからって、「誰に入れても無駄」っていうのは、絶対に違います。
あたりまえだけど、電車でたまたま隣に座った人と、あなたって、別人でしょう。
どう考えても同じではない。
性格も違えば、持っている能力も違う。
どちらも、完璧な人間ではないけど、確かに違いがあり、向き不向きがある。
政治家も同じです。
そして、初めは良いことを言っていても、腐ってくることもある。
だから、こういう非常時に、どういう良い動きをしたか、もしくは悪い動きをしたか、
あるいは何もしなかったか、というのをよく見ておくといいです。
なぜなら、それが
自分たちの命に直結することだからです!
どうぞ、いろいろと今、観察しておいて、
「ましな方」に、選挙の時には投票してくださいね。
棄権は、「ましじゃない方」に有利になりますからね。
(統計上、そういう結果が出ていますのでね)
もう少しましな「上」の人が、この国を動かしてくれるようになることを、
切に願ってやみません。
そして、それは、そのまま
国民のみんなが、もう少し考えて、
「少しでもましな人」に投票出来る様になりますように、
という願いでもあります。
昨日の記事の続きです。
昨日の記事の最後に、
「人命救助が優先なので、救援物資の受け入れを止めます」
という石川県からの声明が出ました
と書きましたが。
そもそも、それが変だと思うわけです。
それは、陸路が、道路の寸断等で通りにくくなっているから、
トラック等の物資の搬入で、救急車が通れない、っていう話ですよね。
陸がだめなら、空があるじゃないですか。
半島なんだから、海だって、船だってあるじゃないですか。
ヘリコプターって、なんのためにあるんでしょう。
まさしく、こういうときのためではないですか?
ヘリで初めて救援物資を届けたのが1月4日。
孤立地域からヘリで38人を救助したのが1月6日。
遅すぎませんか?
自衛隊は、命令があれば即出動するものでしょう。
だから、指揮がなっていないという事でしょう。
うちの地区で当選した自民党の衆議院議員、松本尚(ひさし)さんは、元医師で、
「ドクターヘリを全国に普及しました!」というのを、全力でウリにしていました。
そして、彼のHPには、展望として、
「国民の生命と財産を守るため、大自然災害や感染症パンデミックに対する国の危機管理体制を磐石にする」
とあり、また、「政治を志した私の思い」として、
「救急医として、災害時医療を牽引してきた者としてこの状況を考えるとき、国政を通して非常時にも強靱で復元力のある医療を確立させることで国と地域に貢献したいと考えるに至りました。」
とあります。
しかも、彼の出身は石川県金沢市。金沢大学を出ているので、石川は長い時間を過ごした故郷のはずです。
やるなら今でしょ!今しかないでしょ?!
と思いますよね。
で、
「今こそ、ドクターヘリを結集して、ガンガン石川で飛ばしてくださいよ!
自衛隊のヘリで、荷物も運んでくださいよ!」
って言おうと思って、事務所に電話してみたんです。
昨日から、今日にかけて。
時間を置いて、地元事務所に5回。国会事務所に5回。計10回。
誰も出ません。
20回くらいコールしても、秘書に転送もされませんし、留守電にもなりません。
ネットでホームページを調べている時にたまたま出てきた情報なんですけど、
松本さん、安倍派から、「もち代」として50万もらったとかで、
なんか問題になっているらしいです。
(2023.12.15の産経ニュースの記事)
それで、支援者とかから、苦情の電話とかが来るのがいやで、電話に出ないんでしょうか・・。
最悪、留守電くらいにはしておくべきでは?
あんなに「皆さんの為に!」って選挙の時に言っていた人が、全く人の意見を受け付けない態度を取っているんですよ。
そして、「防衛大臣政務官」という役職ももらってるんですよ。詳しくは判らないですが、一般の議員よりも、何か実権を動かすことができそうじゃないですか。
どうした、ドクターヘリは?
ここで、もうわたしのできることはほぼ尽きたなということで、
最後に親しくしている市議会議員さん2人に、以下のような内容のメールを送って、
お願いをする事にしました。
(前文略)
それにしても、ほとんど全てが、陸路の寸断という問題になっている気がするんですよね。
何のためにヘリがあるんでしょうか。田舎なんだから、畑とか田んぼとか、降りられるところはたくさんあるのでは?学校のグラウンドとかもあちこちにあるでしょうし。
ヘリが降りられなかったら、パラシュートで荷物を降下させるとか、アルミブランケットや風邪薬等の軽いものなら、ドローンという手もあるのではないでしょうか。
なんなら半島なので、海路という手もあるかもしれません。
ドクターヘリもいっぱい飛ばせばいいのにと、ここの自民党の松本ひさし事務所に、
昨日から10回電話してみましたが、出ないし、留守電にもなりません。
全てが後手後手で、あと少しでも、もう少しでも、という気が感じられません。
人命救助は大事ですが、物資が滞ると、寒さや飢えで体調を崩す人が出ると思うので
やはり両方が必要だと思います。
そのためには、やはり陸路以外の方法を開いていくべきだと思います。
もう私には、これ以上何か出来る気がしないので、もし何か筋がありましたら、動いて頂けますよう、お願いいたします。
ここまで書いて。
本当にやりきったなあという気持ちになりました。
本当は、例えば、ネットで呼びかけて署名を集めるとか、
何か方法はあるといえばあるのかもしれませんが、
今もやっと起きてこれを書いている状態なので、
この状態の中でやれるのは、さすがにこれが限界です。
でも、「今、自分に打てる手は全部打った」というのは
清々しい気持ちになるものです。
別に、被災地支援のことに限らないですけど、
何かに取り組む時に、
「限界までやったわ~」と思ったときに、
それが本当に限界か?と、
もう1センチでも2センチでも、なにか進めないか?
ほんの一つでも、思いつく手はないか?
ちょっとそんなことを思ってみていただけたらと思ったのです。
私、これは、って思うと、このくらい食い下がるくちなので(笑)。
で、ついでにいうと、
私、ちょっとサーモスタット機能(温度調整)が壊れてるみたいで、
気がつかないうちに限界を超えていることがたまにありまして、
今回の風邪もそれかなと思っています。
今日もそれなりに頑張ったので、もう寝ます(笑)。
おやすみなさい・・。
昨日、なんとか支援物資が揃い、
風邪で寝込んではいましたが、一日分の気力を振り絞って、
「神様、これだけ無事に済まさせてください」とお願いをして、
手紙を書き、物品リストを書き、宅急便の送り状を書きました。
そして、大きなブルーシート4枚をビニール紐で結わき、
大きなダンボールにガムテープで封をして、昨日はそれが、私の仕事の全てでした。
以下、手紙です。
わずかばかりですが物品をそろえることができました。
気持ちばかりですが、喜んで頂ければ幸いです。
皆さんほどの大変さではないと思いますが、私も40年余りの人生の中で、
病気でもうだめかと思うこともありましたし、人間関係等で八方ふさがりになり、
自ら命を絶とうと思いつめたこともありました。
他にもいろいろと波乱万丈な人生ではありましたが、今は本当に生きてきて良かったと、
全ては意味のあることとして現在につながっているように感じています。
とにかく、一緒に生きていきましょう。
これからも気にかけて参ります。どうぞくれぐれも、お体を大切になさってください。
物品リスト
ブルーシート2畳用 19枚 ・ 3畳用 6枚
それ以上の大きさ 4枚
ゴミ袋45L 200枚 ・ 30L 150枚
レジ袋 200枚
軍手36双
ガムテープ9個
アルミブランケット25枚
ウォータータンク20L 1個
荷造り紐 250mを3個
ラップ小 55mを5個
紙コップ、紙皿、約20枚ずつ
飴 7袋
自己満足かもしれませんけどね、やったな、という感じがします。
近くのホームセンターに、大きなダンボールをもらいに行って、
抱えて歩いて帰ってくるときに、思ったんですよ。
「自分の『生き方』の問題なんだよね」って。
人が何と言おうが、それが結局役に立とうがたつまいが、
自分はこうありたい、という、その気持ちに沿って動けたかどうか。
動くと見えてくるものってあるんです。
今回も、いろいろなことを感じました。
また後ほど、そんなお話もできればと思います。
あ、ちなみに、今、石川県からの要請で、
「人命救助が滞っている為、石川県への物資の搬入を一時止めます
(個人も、団体も)」
とのことです。
また随時状況は変ってくるかと思いますが、今の時点での情報をお伝えしておきます。
ここ数日、和香葉先生は、石川県の震災支援物資の支度をしながら、お風邪をひいてしまったので、お家で療養しています。
私はほとんど手伝えませんでしたが、避難グッズとして自宅に備えておいた大型の厚手のブルーシートと、中古ですが、他にも幾つか丈夫なブルーシートがあったので、一緒に荷物に含めて頂きました。
石川県は今の時期とても冷えるため、施設のなかの床が冷たいのだそうです。
和香葉先生の人脈は広く、福祉や行政に通じたお知り合いが何人もいらっしゃいます。
こういう時、和香葉先生が切り込み隊長となって、ご自身の人脈と連携して即行動に取り掛かるところが凄いなあと思います。
私は珍しく早起きをして、久しぶりに森林のなかで気功をやってきました。
この時期の朝日の雰囲気がとても好きです。
元極功法の一番最初の動作を、朝陽に向かってやっていると、身体全体が太陽の輝きと温かさに包まれるようで、恍惚とした快感に浸ることができました。
この感覚は、太陽を背にしたり、横から朝陽が差し込んだり、という別の角度では味わえないものです。太陽に向かって気功を行うだけで、そうでない時と比べて遥かに大量の気が流れ込んで来る感じがしました。普段は家の中でやっていますが、やはり気功は屋外の自然のなかでやるのが一番効果的だと思います。
今年は、元旦から石川の大震災。
2日には飛行機の炎上事故。
なんとも不吉な感じというか、一体今年はどうなっちゃうんだろう・・・と、なんとなく不安になっている人が多いかと思います。
神様とか、特に信じていなくても、これは何かのメッセージだろうか・・と感じたりしている人も、少なくないのではと思います。
博史先生とも、ちょっとそんな話をしましたが。
この震災で思い出すのは、やはり2011年の「3.11」の震災のことです。
あの時の規模は、印象としては、今回の100倍くらいだったでしょうか。
津波も物凄かったし、死者も物凄い数だったし、原発なんかも、爆発したら首都圏まで壊滅で住めなくなるんじゃないかって、本当に、「日本列島ダメになるかも」という恐怖がありました。
「頑張ろう東北」というのを合言葉にして、紅白歌合戦でも、その他の番組でも、「絆」ということをとても強く打ち出して、「この震災で学ばなくてはならないこと、変らなくてはいけないことがある」という空気が、濃くなったときもありました。
あの時、あの震災をきっかけに、日本という国は、根底から、変らなければならなかった、生き直さなくてはならなかったのだと思います。本当は・・。
けれど、何一つ変らなかった。
もしかしたら、もっと酷くなったのかもしれません。
計画停電で、時々電気が止まるようになり、電気の有難さを知った。
もう少し節電しても、世の中ってまわるんじゃないか?とも気が付いた。
原発って、何かあった時には、本当に恐いものだと知った。
都会の便利さの為に、地方に原発というものを背負わせているのだと改めて感じた。
そして、あんなに何度も繰り返された「絆」というキャッチフレーズも虚しく、この国の孤独死は増えているし、小中高校生の自殺も増えている。
コロナというのが、人を分断したというのはあるかもしれないけれど、それにしても。
人間というものは、個人で見たときも、失敗や挫折から何かを学び、その学んだことを糧として、変化をして、成長していくものであると思う。
そうであってほしいし、自分もそうでありたいと思う。
国も、そうなのではないでしょうか。
あの、3.11というもので、日本という国は、国民は、何に気が付いて、何を学んで、どこがどう変ったのだろう。どう成長したのだろう。と思うのです。
何も変ってないのではないかと思うのですが・・どうでしょうか。
「あの3.11の時に、何を感じたのか、何を学んだのか、思い返せ。しっかりしろ。」
日本人全体に対して、そんなメッセージが込められているように感じるのは、私だけでしょうか。
テレビを見ていると、とても悲しくなります。
元旦の、いいお天気の、とても穏やかなおめでたい空気の中。
今年はどんな年になるかね~なんて話している最中に起こった、大地震と津波。
どんな思いだっただろうと思うと、こっちまで胸が潰れるような思いになって、涙が出てしまいます。
けれど、あえて厳しい、現実的な事を言えば。
テレビの前で、知らない誰かが可哀想がって涙を流してくれたって、被災者の人たちにとっては、何の足しにもならないわけです。
それよりも、実際に、「今晩、窓に穴があいちゃって寒くて眠れないからどうにかしてほしい」とか、「お腹がすいて食べるものがない」とか、そういうことを、「現実的に」どうにかしてほしいわけです。
だったら。
テレビを見て、一緒に悲しくなってないで、小さくても何か動いたほうが、役に立てるわけです。
そういうわけで、昨夜から今朝にかけて、我が家の子供たちにも理由を話して、ちょっとずつお年玉からカンパしてもらい。近所の友達数人にもカンパしてもらい。
もちろん自分も少し足して。
そうしたら、約2万円ほどになりました。
現地から、「寒くて眠れないので、雨風をしのぐブルーシートがほしい」というラインを頂いていたので、半分以上をブルーシートに使いました。
ホームセンターに行って、2畳用と3畳用、買い占めました。(大人買い!)
全部で20枚くらい買えたのかな?
あとは、軍手を30双ほどと、保温アルミシート25枚。ガムテープとビニールテープをいくつか。
お金って、凄いなと思いました。
2万円弱のお金で、たぶん数十人の人が、今よりもいくぶんましな環境に住めるようになる。確かに、誰かの役に立つんだろうという実感が、実際の「物」を目の前にした時に感じられました。
3.11の時にも、さんざん救援物資は送りましたが、その時のボランティアとして活躍していた知人から、後で聞いて、反省したことがあります。
よく、「送って欲しいものリスト」みたいなものを見かけますが、私は、あればなんでも、いろいろなものを、細かいものまで一つの箱に入れてしまっていたんですね。
でも、現地では、人手もなくて、その仕分けが物凄く大変なんだって。
だから、できればだけど、「一箱全部、ビニールシート」とか、そういう送り方のほうが助かるんだそうです。
とはいえ、うちも企業でもないし、お金持ちでもないんで、なかなかそういうことは厳しいのですが、できるだけ、こまかいものではなく、できるだけ10個以上のものたちを入れる、というように心がけて、今回は送りたいと思っています。
自分の美学的には、「こういういいことしました!」的なのって、かっこわるいなと思ってるんですよ、ほんとは。
言わずにやったほうが、かっこいいじゃん、って。
でもね。もし、こうやって「とにかく行動するのだ!」っていう姿勢が、これを読んでくださる、誰かの勇気になることがあるとすれば。
かっこわるいかもしれないけど。
やるか、やらないか、って言ったら、「やる方!」を選んでいきたいので。
それでもって、書いてみることにしました。
このご時世、いつ何時、誰の身に何が起きるかわからないじゃないですか。
あれは、いつかの自分かもしれないわけじゃないですか。
保険じゃないですけどね、その時に、誰かにたすけてもらえたらいいなっていうのも、正直あります。(あつかましいんですけど(笑)
自分のやってきたことって、天の帳面についているというのか、引き寄せの法則じゃないですけど、結局はめぐりめぐってくるものだという感覚があります。
まあ、一生、やってあげる側で、やってもらうことがなかったら、それが一番幸せなのではないかと思いますが。
もう、一人の人間にできる事なんて、本当にわずかなんですけど。
それでも、胸を痛めているだけじゃなく、できることが、少しでも確かにある。
そして、できることをして、あとは気持ちを切り替えて、自分の人生をしっかり生きていく、ということが、一番生産的なことなんじゃないかと思います。
被災している方、もしくはその関係者の方で、これを見て下さっている方が、いるかどうかわからないのですが。
なにもたいしたことはできませんが、こうやって、小さくてもできることをしながら、私たちも生きて行きます。
もし私達の発信するメッセージから、ほんのおやつ程度にでも、心の栄養を摂って頂けたら、こんなにうれしいことはありません。
共に生きて行きましょう。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
「一富士、二鷹、三なすび」なんていいますけど。
あれ、なんでですかね~。
今、調べてみたら、
「富士山は「不死」、鷹は「高い」、茄子は「成す」という意味をさすとされています。」
だそうです。勉強になります~。
さて、夢といえば、夢分析ってありますよね。
フロイトの夢判断って有名ですけど。
あれ、どうなんですかね~。
例えば
「傘・杖・帽子・槍」⇒ 男性器のシンボル
「箱・部屋・空洞」⇒ 女性器のシンボル
「乗馬・階段を上がる・ダンス」⇒ 性交
・・って、もう、もはや、なんでも「それ」かよ!?っていう(笑)。
なんでやねん、と思ってましたら、先日、改めて読んでいた深層心理の本に、答えがありました。
フロイトの扱っていた相談者の人って、多くは上流階級の貴婦人だったそうです。
そういう方々って、性的なものに対する抑圧がものすごかったらしく、その反動でヒステリーを起こすとか、そういう環境だったみたいで。
だからこその、ああいう夢判断になったようです。
その深層心理の本には、いろいろと他にもおもしろい話があって。
夢のことでいうと。
夢の中に出てくる、「見知らぬ人」は、もう一人の自分だったりするようです。
例えば、すごく勇敢な勇者とか、ふだんやろうと思ってもできない自分を、夢で出しているということですね。
あとは、自分の中に、男性だったら「理想の女性像」(アニマ)、女性だったら「理想の男性像」(アニムス)とか、いるそうなのですが。
それが夢の中に出てくるという事もあるそうです。
もしかしたら、夢に、「もう一人の自分」とか、「理想の異性」とか、出てくるかもしれませんよ^^☆
夢は大体、時間が経つと忘れてしまうので、何かにちょっとメモをしておくのも手だと思います!
今年も、お互いに、素敵な夢を見たり、また夢が叶ったりしますように~^^☆
前にも一度、記事に書いたような気もしますが。
私は、夢ノートというのを持っています。
ずっと前に、図書館で借りた本、なんていうタイトルだったかなあ、
「1000の願い」みたいなタイトルだった気がするんですが。
一冊丸ごと、「夢」が書いてあるんです。
具体的な夢もあり、抽象的なものもあり、なんだかとても素敵だなあと思い。
その本の中から、抜き出して自分のノートに写した夢も沢山あります。
たとえばどんな感じか、ちょっと書き出してみましょうか。
・突然思いついた旅行を、今すぐ実行
・イルカと泳ぐ
・ノーベル平和賞受賞
・つまらなくて無意味な会議からは、すぐに抜け出しちゃう
・医者と友達になる
・砂漠が肥沃な大地になるのを見る
・ゴーストタウンの墓に記された墓碑銘をしみじみと読む
・浜辺に立って、声の限りに海に向かって叫ぶ
・スイス、アルプスの山小屋で夏を過ごす
とか、まあ、そんな感じです(笑)。
もちろん、本気で目指してないものもあるし、でも、見るとなんだかわくわくする。
気持ちひとつでいけるものも、いろいろあります。
・なんでも一度はやってみる
・人生で一番やりたい事を決める
・背水の陣を敷く
・自分にふさわしい運命を手に入れる
・人生とは、いろいろなできごとを結びつけながら、「新しい原則を打ち立てていく壮大な実験である」と考える
・自分にも他人にも厳しすぎないようにする
・自分の弱さを、人々が許してくれているという事実を、素直に認める
ここらへんは、自分では「できたかな~」と思える項目です。
新たな項目を、書き加えることもあります。
今、書きました(笑)。
・オンラインの仕事などというものを起業してみる
・パソコンのシステムとかよくわからなくても、やってくれる相棒に恵まれる
これは、今年叶ったことでした。
叶ったことには、○を付けていきます。
年に1・2回見てみると、今年はこれが叶ったなあ~なんて思って楽しいです。
なんでもないようなことでいいんです。
・子供を抱きしめながら寝る
・ベランダに毛布を敷いて、寝っころがって青空を見る
・子供のように、無邪気に質問する
とかね。
あとは、
・占い師が占ってるところを見る
とか。
そんなこと書いてるうちに、自分が占い師になっちゃいましたが(笑)。
みなさんも、気が向いたら、そんなノートを作ってみてはいかがでしょうか☆
そんなわけで(どんなわけだ(笑))、
どうぞ、今年もよろしくお願いします^^☆
新年明けましておめでとうございます!。
電話占いアストロラーベの小室博史です。
去年の春分に始まった当店のHPを見てくださる方が、順調に増えてきているようで嬉しく感じています。気まぐれに、徒然なるままに書いていることを、おそらく寛大に見て下さっていることにも感謝しています。
今の電話占い業界の”あちゃ~な現実”を、変えて行けないだろうか?という思いから、鳴海和香葉先生と一緒にこのサイトを立ち上げました。
本来、視点を引き上げるべき占いが、クライアントの視野を制限し、最終的に「自己喪失」という迷路への案内係となってしまう例は少なくありません。
占いに病的に振り回される人たち、そして悪意なく(?)振り回す占い師たち。占い業界が半ば意図的に温存助長してきた、この不健全な構図から一人でも多くの「占い依存症」の方を抜け出させてあげたい。
「当たるも八卦、当たらぬも八卦」この皮肉な格言は、実はすごく大事で、内心ではそう思っているプロの占い師も多いということ。
自分の本音を確かめ、自分軸を培う手段として、占いを活用する道があること。
その事を知れば、盲目的な占い依存とは無縁で居続けられること。
そういう本当のことを、喋れる場。
それが私たちの目指す占い館です。
私たちは、占い(祈願や護符なども)は、扱い方次第で、人生の羅針盤になったり、困った時の助け舟になると信じているので、その考え方を世の中に広めて行きたいと思っています。
皆様にとって、素晴らしい一年となりますことを、お祈りいたします。