「~せねばならない」、の壁。

「不登校が治る!」みたいなサイト、ありますよね。


ある意味、商売敵なんですけど(笑)、私も当事者なので、つい見てしまったりして(笑)。


で。


たしか、うろ覚えなんですけど、


「不登校のお子さんの親御さんに共通するもの」みたいな話の中で。


「~でなくてはならない」という気持ちが強すぎる。


って、あったんですよね。


例えば、「高校はある程度のランクのところに行かせなくてはならない」とか、


「大学もできるだけ行かせなくてはならない」とか。


そういう感じで「~せねばならない」っていう気持ちが強すぎる人が多いです、



そんなような書かれ方をしていたように思います。


で、私はそれを読みながら、


「私、そうでもないんだけどな~」って思ったんですよね。



私の持ってる枠って、あるはあるけど、相当低いんですよね。


「高校は、~高校、って名前が付くところならどこでもいいから」


「学校は、基本的には行こう。遅刻しても早退しても保健室でもいいから。」


「宿題はやろう、できれば」


「明日の学校の準備をしてから寝よう(当日の朝じゃなくて)」


学校のことはそのくらいかな。



学校以外のことでは、


「習い事は、できるだけ行こう」


「お米は毎日研いでね」


「スマホは22時までね」


そのくらいです。



ゆるくないですか?


もはや、「ゆるゆる」じゃないですか?!



しかし、うちの「みー」は、これもできないのです、なかなか。


宿題だって、そんなにあるわけではない。


30分もあれば終わるんじゃないのかなあ。


しかし、やらない!



宿題に関していえば、


まずは、


「宿題、やった~?」


から始まり。


「早めにやっちゃえば~、あとゆっくり遊べるから~」


とか。


「おやつ食べながらでもやれば~」とか


「ご飯の前に10分でもやれば~」


とか、


「いつやるの?」


とか、


様々にパターンを変えながら、10回くらい言うんですよね。


でも、まあ、まずやらない。



・・この際、宿題はもうやらんでもいいです。



明日の学校の準備は、してから、寝てほしい。


朝出る時間になって、もう出ないと遅刻なのに、


「理科の教科書、知らない?」とか、ほんとやめてほしい。



まあ、そんなこんなで


怒鳴ったりするようなことはほとんどないものの、


手を変え品を変え、言い方を変えて、


いろんなことを、それぞれ10回くらい言ってたりするわけです。



学校に行くことに関してもそうでした。


「どう?行けそう?」


「おなか痛いの治った?」


「10時ごろにはいけそうかな?」


とか、いろいろとパターンを変えて、やはり10回くらいは。



けれど、先日の、不登校占いのところにも書きましたが、


そういう態度が、共依存的だったのかな、と。



だから、枠の大きさで言ったら、超「ゆるゆる」なんですけど、


その枠の固さがが、かなり固かったのかな、と。


つまり


「ゆるいんだから、このくらい守ってね、絶対」


っていう感じだったのかな、と。


そしてそれは、形として現れてくるときに、


「口うるさい」っていうことになっていたのかもしれないと思いました。


それで、思ったんです。


枠は、大きさだけではなくて、固さも問題なのかなと。


(私、「口うるさい」かも・・)と思われたら、ちょっと気をつけて。


私と同じことをやっている可能性もあるかもしれません。(⇒共依存的)



私の場合、たまたま、最近、朝早く出る仕事が入りまして。


それに加えて、たまたま、(時々チラシ配りの仕事が入るのですが)


チラシ配りの期限が迫ってきていて、その翌日も、朝からチラシ配りに出まして。


2日続けて、みーの見送りはせず、パパに、


「後はよろしくお願いします!」ってお任せして、私は登校時間には


家を出てしまっていました。


そうしたら、2日とも、ふつうに学校に行ったんですよね。


・・これは・・と思い、


昨日も今日も、私はチラシ配りで早くから出てしまうようにしたら、


みーは調子よく学校に行っています。


ただの偶然ではない気がするんですよね・・ここまでくると。



2024-1-25



親離れ、子離れ、ということ。


枠の大きさ、固さ(⇒口うるささ)ということ。


どこから、どうやって、手を離したらいいかということ。



きっと、どの子、どの親、どのパターンでも同じではないと思います。


十人十色かと思います。



一番大切なことは、「観察する」ということである気がしています。


いろんな専門家がいろいろなことを言っても、


やっぱり一番近くにいる親が、一番わかっているような気がします。


それでも、近くで見ているからこそ、近すぎて見えにくくなることも、


知らずに何かにはまっていることもあるので、


そういうときには、外からの目を参考にすることも必要かもしれません。



そして、「願う」こと、「祈る」ことも、何かのきっかけになるかもしれません。


そこから偶然のようにして起きてくること、そのことから得られる反応、


そこでもやはり「観察」が大切になります。



明日は獅子座の満月。


明後日、アストロラーベでは、博史先生が、「切る祈願」を行います。


もう終わってほしいこと、切り替えたいこと、手放したいことなど、


ぜひ、掲示板に書き込んでみてくださいね^^☆


このところ何件か、叶いましたよ~!という嬉しい書き込みも頂いています☆







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