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今年は、元旦から石川の大震災。
2日には飛行機の炎上事故。
なんとも不吉な感じというか、一体今年はどうなっちゃうんだろう・・・と、なんとなく不安になっている人が多いかと思います。
神様とか、特に信じていなくても、これは何かのメッセージだろうか・・と感じたりしている人も、少なくないのではと思います。
博史先生とも、ちょっとそんな話をしましたが。
この震災で思い出すのは、やはり2011年の「3.11」の震災のことです。
あの時の規模は、印象としては、今回の100倍くらいだったでしょうか。
津波も物凄かったし、死者も物凄い数だったし、原発なんかも、爆発したら首都圏まで壊滅で住めなくなるんじゃないかって、本当に、「日本列島ダメになるかも」という恐怖がありました。
「頑張ろう東北」というのを合言葉にして、紅白歌合戦でも、その他の番組でも、「絆」ということをとても強く打ち出して、「この震災で学ばなくてはならないこと、変らなくてはいけないことがある」という空気が、濃くなったときもありました。
あの時、あの震災をきっかけに、日本という国は、根底から、変らなければならなかった、生き直さなくてはならなかったのだと思います。本当は・・。
けれど、何一つ変らなかった。
もしかしたら、もっと酷くなったのかもしれません。
計画停電で、時々電気が止まるようになり、電気の有難さを知った。
もう少し節電しても、世の中ってまわるんじゃないか?とも気が付いた。
原発って、何かあった時には、本当に恐いものだと知った。
都会の便利さの為に、地方に原発というものを背負わせているのだと改めて感じた。
そして、あんなに何度も繰り返された「絆」というキャッチフレーズも虚しく、この国の孤独死は増えているし、小中高校生の自殺も増えている。
コロナというのが、人を分断したというのはあるかもしれないけれど、それにしても。
人間というものは、個人で見たときも、失敗や挫折から何かを学び、その学んだことを糧として、変化をして、成長していくものであると思う。
そうであってほしいし、自分もそうでありたいと思う。
国も、そうなのではないでしょうか。
あの、3.11というもので、日本という国は、国民は、何に気が付いて、何を学んで、どこがどう変ったのだろう。どう成長したのだろう。と思うのです。
何も変ってないのではないかと思うのですが・・どうでしょうか。
「あの3.11の時に、何を感じたのか、何を学んだのか、思い返せ。しっかりしろ。」
日本人全体に対して、そんなメッセージが込められているように感じるのは、私だけでしょうか。
テレビを見ていると、とても悲しくなります。
元旦の、いいお天気の、とても穏やかなおめでたい空気の中。
今年はどんな年になるかね~なんて話している最中に起こった、大地震と津波。
どんな思いだっただろうと思うと、こっちまで胸が潰れるような思いになって、涙が出てしまいます。
けれど、あえて厳しい、現実的な事を言えば。
テレビの前で、知らない誰かが可哀想がって涙を流してくれたって、被災者の人たちにとっては、何の足しにもならないわけです。
それよりも、実際に、「今晩、窓に穴があいちゃって寒くて眠れないからどうにかしてほしい」とか、「お腹がすいて食べるものがない」とか、そういうことを、「現実的に」どうにかしてほしいわけです。
だったら。
テレビを見て、一緒に悲しくなってないで、小さくても何か動いたほうが、役に立てるわけです。
そういうわけで、昨夜から今朝にかけて、我が家の子供たちにも理由を話して、ちょっとずつお年玉からカンパしてもらい。近所の友達数人にもカンパしてもらい。
もちろん自分も少し足して。
そうしたら、約2万円ほどになりました。
現地から、「寒くて眠れないので、雨風をしのぐブルーシートがほしい」というラインを頂いていたので、半分以上をブルーシートに使いました。
ホームセンターに行って、2畳用と3畳用、買い占めました。(大人買い!)
全部で20枚くらい買えたのかな?
あとは、軍手を30双ほどと、保温アルミシート25枚。ガムテープとビニールテープをいくつか。
お金って、凄いなと思いました。
2万円弱のお金で、たぶん数十人の人が、今よりもいくぶんましな環境に住めるようになる。確かに、誰かの役に立つんだろうという実感が、実際の「物」を目の前にした時に感じられました。
3.11の時にも、さんざん救援物資は送りましたが、その時のボランティアとして活躍していた知人から、後で聞いて、反省したことがあります。
よく、「送って欲しいものリスト」みたいなものを見かけますが、私は、あればなんでも、いろいろなものを、細かいものまで一つの箱に入れてしまっていたんですね。
でも、現地では、人手もなくて、その仕分けが物凄く大変なんだって。
だから、できればだけど、「一箱全部、ビニールシート」とか、そういう送り方のほうが助かるんだそうです。
とはいえ、うちも企業でもないし、お金持ちでもないんで、なかなかそういうことは厳しいのですが、できるだけ、こまかいものではなく、できるだけ10個以上のものたちを入れる、というように心がけて、今回は送りたいと思っています。
自分の美学的には、「こういういいことしました!」的なのって、かっこわるいなと思ってるんですよ、ほんとは。
言わずにやったほうが、かっこいいじゃん、って。
でもね。もし、こうやって「とにかく行動するのだ!」っていう姿勢が、これを読んでくださる、誰かの勇気になることがあるとすれば。
かっこわるいかもしれないけど。
やるか、やらないか、って言ったら、「やる方!」を選んでいきたいので。
それでもって、書いてみることにしました。
このご時世、いつ何時、誰の身に何が起きるかわからないじゃないですか。
あれは、いつかの自分かもしれないわけじゃないですか。
保険じゃないですけどね、その時に、誰かにたすけてもらえたらいいなっていうのも、正直あります。(あつかましいんですけど(笑)
自分のやってきたことって、天の帳面についているというのか、引き寄せの法則じゃないですけど、結局はめぐりめぐってくるものだという感覚があります。
まあ、一生、やってあげる側で、やってもらうことがなかったら、それが一番幸せなのではないかと思いますが。
もう、一人の人間にできる事なんて、本当にわずかなんですけど。
それでも、胸を痛めているだけじゃなく、できることが、少しでも確かにある。
そして、できることをして、あとは気持ちを切り替えて、自分の人生をしっかり生きていく、ということが、一番生産的なことなんじゃないかと思います。
被災している方、もしくはその関係者の方で、これを見て下さっている方が、いるかどうかわからないのですが。
なにもたいしたことはできませんが、こうやって、小さくてもできることをしながら、私たちも生きて行きます。
もし私達の発信するメッセージから、ほんのおやつ程度にでも、心の栄養を摂って頂けたら、こんなにうれしいことはありません。
共に生きて行きましょう。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。