「大往生」を選べるか?

先日、実家に帰ったときに、考えさせられることがありました。


私の祖母は7年ほど前に亡くなったのですが、


母と話していて、その時の話になりました。


祖母は92歳で、大往生だったとは聞いていました。


でも、その詳しいところまで聞くのは初めてでした。



入院の10日ほど前には、家族と一緒に、


元気に温泉旅行に行ってきたそうです。



そして、私は何かで調子が悪くなって入院したんだと


思っていましたが、聞いたら実は違いました。



週に何回か、デイサービスに通っていたのですが、


そこの日課で、血圧や脈拍を測るというのがあるらしく、


その時に、異常に脈拍が低かったのだそうです。


40台だったとか?


それで、心配されたデイの方が、連絡を下さり、


病院に連れて行ってくれました。


そうしたら、そのまま入院という事になり。


心臓の機能が弱ってきていたみたいで。


でも祖母は、何も痛くも苦しくもなく、


いたって普通なので、「なんで入院なんだ?」という


感じだったそうです。



それで、母も病院に呼ばれて。


「これはもう、治すには心臓の手術をするしかありませんが・・」


と、お医者さんに言われたそうです。


その時、祖母は92歳。


もう十分生きたと言う感じがあったのでしょう。


そして、どこも具合が悪いわけでもないのに、


今さら、ここから痛い思いをするのも・・と思ったようです。


母も同じように思ったようで、


結局、手術をするのはやめたそうです。


(でも実は、母としては、もっと長く生きてほしいから、


手術もちょっと考えたのだ、と後で聞かせてくれました。)



そうして、たしか10日あまりだったでしょうか。


祖母は実に穏やかに入院生活をすごし、


最後の数日は、母に買ってきてもらった


大好きな桃を、毎日、何口か食べ、


旅立つ前夜にも自分でトイレに行き、


最後までオムツも使わず、


眠る時間が段々長くなり、


本当に眠るように旅立ったそうです。



もう、憧れですね。こういう旅立ち方は。



実は、この祖母の数年前に、祖父を先に見送っていました。


祖母をこんな風に見送ってあげられたのは、


祖父の見送りが先にあったお陰かもしれません。



祖父は、86歳でした。


年を取っても元気で、よく動くまめな人でした。


ある日、インフルエンザにかかって病院に行きました。


その病院で検査をしたところ、


末期の肺がんだと言うことがわかりました。


長年、煙草を吸っていたことも関係あるかもしれません。


でも、全く痛みなどもなく、気がつかなかったのです。


けれど、気がついてしまったがために、


治療が始まりました。


抗がん剤がなかなか合わず、


抗がん剤の副作用も強かったからでしょうか、


入院から13日で逝ってしまいました。


末期の肺がんとはいえ、どこも痛くも苦しくも無いなら、


高齢であるほど、がんは進行しにくいので、


もしかしたら、そのままにしておいた方が


元気で長生きしたのではないかと


後で思いました。


そんな、苦い経験があってからの


祖母の見送りでした。



長寿国のこの国でも、平均寿命を超えて、


元気に生きられて、苦しまないで逝けたら、


これはもう大往生と言ってもいいのではないでしょうか。



けれどこの国では、


普通に枯れていくように死んでいくことは


許されないと言うわけではないけれど


決して当たり前ではなくて。


最後の最後まで、


いやいや、元気になるかもしれない、


という可能性のカードが出される。


元気にならなかったら、寝たきりになるかもしれないけど、


機械をつけて、管を一杯通すことになるけれど、


どのみち、まだ生き続けることも出来ますよ、という。



この誘惑に勝てるのか?


自分で自分の命の終わりを見極められるのか?



この国では、ほとんどの場合、


「自然に大往生」はできません。


自分で選び取らなくてはなりません。



そこで、間違いのない方を選び取れるかどうか?


深く考えると、難しいです。


82歳、平均寿命以上のおじいちゃんでも、


そこで大きな手術をして、


そこから更に10年以上、元気に生きられる人も


いるかもしれないから。



難しい問題だけれど、


感じることを二つにまとめるならば。


「いつ死んでもいい」と思えるくらい、


一生懸命に、後悔なく、


毎日を生きているだろうか、ということ。


そして、


自分に与えられた命はこの辺りまでだ、ということが


おおよそ自分でわかるかどうか、ということ。



もし私が、そんなことに向き合うときには、


真剣にタロットを引いてみるのかもしれません。


占い師としては。


あと何年ということよりも


自分の心と向き合ってみたいかもしれません。


(規約にもありますが、人の生死に関しては


占いませんので、その点についてはご了承下さい)



まだまだ占い師としては経験が浅いけれど、


自分の人生にかぶせてタロットを引くことが多いこのごろで、


そのたびに、「ああ、それ見落としてたな」とか


「見ないふりしてきたものに向き合う時なんだな」とか


考えさせられることが多くて。



占い師になって良かったな~って、


誰のためよりも、自分自身を見つめるために


この技を持ててよかったと


今、感じています。




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