奈良少年刑務所詩集より。(その5)

シリーズでお伝えしています。


奈良少年刑務所に収容されていた少年達の詩です。



その後に、私の感想を入れておきます。





ありがとう



ありがとう ありがとう


命をくれて ほんとうに ありがとう


長い人生 歩み 生き抜くなか


苦しいことも つらいこともあります


命絶つのは 簡単だけど


一番 最低なこと


どんなに辛くても 逃げださずに


前を向いて 歩きたい



だから


見守っていてください 遠い空から


必ず 必ず更生してみせるから



この命尽きるまで


ぼくは あなたたちの子どもだから





この詩を読んで、そうだなと思いつつ、


私は、この詩の反対側のことも考えました。



まず、


「この命尽きるまで


ぼくは あなたたちの子どもだから」


という部分について。


これと同じことを、


私は親の立場で思ったことがあります。


最初の子どもを授かったと分かったとき、


つまり、妊娠検査薬の陽性反応を見たとき、


私は足が震えました。


それは、「ああ、私はこれから死ぬまでお母さんなんだ」


と思ったからです。


万が一のことがあって、子どもが自分より先に


死ぬことがあったとしても、


きっと「今、生きてれば、○歳だね」と言いながら、


きっと死ぬまで忘れずに生きていくでしょう。


そうすると、「この瞬間から、自分が死ぬまで」


お母さんなんだな、と思うと、


なんというか、尊さというか、責任というか


なんともいえない気持ちになって、


足が震えたのでした。


私は生まれ変わりを信じているのですが、


この詩を読んで、お母さんであるのを終えるのは、


もしかしたら、


自分が死んだ時、ではないのかもしれないと思いました。


子どもが死んで、「お母さん」って思ってくれる人が


居なくなった時なのかもしれません。



一番刺さったのは、


「命絶つのは 簡単だけど


一番 最低なこと」


というフレーズでした。


私ももう、命を絶とうかと思ったことがありました。


それはそれで、実は勇気がいるんです。


簡単なことではないんです。


最低といわれようが何と言われようが、


他に選択肢が無いと、思ってしまうこともあります。


あえて説明するまでも無いかもしれませんが、


これは、自ら命を絶った人を責める言葉ではなく、


作者自ら、自分を戒め、奮い立たせるために


書いた言葉だと思います。




「どんなに辛くても 逃げださずに


前を向いて 歩きたい」


これも前向きな言葉だけれど、


時には逃げたって良いと私は思います。


最近、友達が家出をしました。


旦那さんと子どもを置いて、置手紙をして。


旦那さんから私に電話がありました。


「そちらに行ってませんか」って。


初耳だったのでびっくりしたけど、


「置手紙にはなんて書いてありましたか、


死にたいというような感じはないですか」と聞いたら、


「生活が落ち着いたら子どもを引き取りたい」とのこと。


私はしばらく前から彼女が悩んでいるのを知っていて、


たまには相談にも乗っていました。


しかし、非常に事態は複雑で、彼女の気持ち一つで


すっきりと解決に向かうような問題ではなかったので、


今回の家出を聞いたときに、


「その手を使ったか!」と思いました。


今まで向いていた方向(前)じゃなくても、


右でも、左でも、そっちに向かって一生懸命生きるなら、


それが「前」になるんだと思います。




「命絶つのは 簡単だけど


一番 最低なこと」


このフレーズと少し意味が似ていますが、


私にはこういう言葉のほうがしっくりきます。


「死んだと思えばなんでもできる」。


もしくは、私、こんなこともよく言います。


「死にさえしなければ、元気であれば、なんでもできる」。


ちょっとアントニオ猪木風ですが(笑)。



どこかの温泉でこんなような言葉を


見たことがあります。


「でもぼこ道でも 曲がり道でも


道草くっても


どんな道だっていい


歩んだ道が あなたの道」



今日もこれを読んでくださった皆さんが、


それぞれの、いつもの道を、


新しい道を、希望を持って歩んでいけますように☆




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