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博史先生は、大手の占い企業で仕事をしているのですが、
周期的に、お客さんの様子が変わってくるのを
感じるそうです。
2000年代初頭くらいの時には、
「好きな人がいるんですがうまくいきますか?」というような
割と明るいベーシックな恋愛相談。
このところはそういう相談は少なくなってきていて、
もっと現実的に困っている、というような相談が
増えてきたんだそうです。
そして、「あきらめ感」というのか
「絶望を受け入れる」という感じが強くなってきたんだそうです。
例えば、転職しようか、今のところに残るべきか、みたいな
相談の場合に、
「今のところにいても、希望はないと出ていますね」
とか言ってあげると、
「そうなんですね。やっぱりそうだと思いました。
そう言って頂いて、さっぱりしました。」みたいな。
それでまた、ごく最近では、
またまた違うパターンが出てきたんだとか。
博史先生の働いている大手では、
初回10分無料、とがあるんですけど、
その時間を狙ってきてるな、という
初めての人で、やたらと短い相談の方が、
連続で来られているそうです。
若い方が多く、しかももう別れ話にかかっているような
重たい恋愛のご相談が多いんだとか。
今、大学に行くのにも、奨学金で行く人がとても多いです。
大学卒業時に、数百万の借金を抱えている人もたくさんいます。
そういう中で、なかなか占いにはお金を使えないのでしょう。
そうして、追い込まれた悩みの時に、
無料相談の枠を使って、
あちこちを渡り歩いているのだろうと思います。
電話占いにも、世相が映っているのですね。
そんな話の中で、「淋しそうな人が多いです」という話になり。
どうしてそうなんですかね、と話していたんです。
「淋しい」には、大きく分けて
2つの原因があるように思います。
(分かれますが、どこかでつながってもいます)
一つは、育ちにある場合。
「愛着」と言いますが、
自分の中に、特定の誰かによって、
「守られて、可愛がられて育てられたな~」
という感覚が薄い場合。
特に、記憶も無いころの、
赤ちゃん時代に、親をなくしたり、
構ってもらえなかったりした場合は顕著だそうです。
赤ちゃんでなくても、「愛着」の育つ5歳くらいまでに
そういう経験をしていると、影響が強いようです。
そうすると、
例えて言うなら、「愛情を入れるコップ」が
欠けているとか、ひびが入っているような状態とでも言いましょうか、
なかなか、人を信頼したり、愛したり愛されたりということに
難しさを抱えがちになるそうです。
たとえ、気にしてくれたり、愛してくれる人がいても、ですね。
「人がいない」わけじゃないのに、
自分の心が、不安で「淋しい」モードなんですね。
二つ目は、リアルにまわりに人がいない場合の「淋しい」。
これは、例えば、親と喧嘩して、家を出てしまって、
友達とも喧嘩してしまって、
まともに話を出来る人がほとんどいなくて孤独、
みたいなパターンですね。
両方ともにきっと共通するのは、
きっと気持ちが「ほしい!」になってるんじゃないかと思うんですね。
「くれくれ!」みたいな気持ちですね。
親があれをしてくれない、こうもしてほしいのに、
恋人がほしい、いるけどもっとこうしてほしい、とか。
ほしい、ほしい、の気持ちって、
ブラックホールみたいなものなんですよね。
ほしい、って、光を集めているようなもの。
ブラックホールって、
光さえ集めてしまうと言いますよね。
だから真っ暗なんだって。
だから、「ほしい」ばかりがあまりに強くなるのは、
自分の中にブラックホールを持っているのと同じ。
どれだけ求めても、満たされることはない。
反対に、ほしいと思ったら、誰かに少しあげてみる。
自分が、光を相手に与えてみる。
たいしたことじゃなくて良いんです。
たいしたことをしようと思うと疲れるから(笑)。
レジの店員さんに「どうも」の一言でも、
警備員さんに「お疲れ様です」でも、
猫に「おはよう」でも。
家族に「ありがとう」でも、なんでもいい。
見返りを求めないものだといいですね☆
見返りを求めると、なんかそこに重たいものが混ざるから。
公園で、パンを食べてて、
足元に来たハトに少しあげるのに、見返りって求めないですよね。
「これ食べたら、明日、「鳩の恩返ししろよ」」
とか、思わないですよね(笑)。
そのくらい、軽いものでいい。
自分から行動を起こす。
誰かのために、一言でも、3分でも、何かしてあげる。
そこから、自分で、自ら光を放っていくところから、
だんだんと淋しさを抜けることが出来ます。
人に、「ありがとう」って言われたり、
微笑が帰ってきたり、
何も無くても、自分自身の心が、すこしあったかくなったり。
試してみてくださいね^^☆