おんなのことば。

先日の、「授業参観でスタンプの話!?」を書きながら思ったことがあります。


「ただ、延々と短文でやりとりされるその「ライン」が、はたしてそのやり取りが、本当にお互いにしたいことなのか。その時間が楽しくて充実したものなのか。それとも、面倒だと思いながら、なんとなく寂しいからとか、なんとなくどっちから終わっていいか分からないから、という理由で、だらだらとつながっているなら、それはちょっと考えてみたほうがいいのではと思います。そんなことに時間を無駄に費やすほど、人生って長くないです。(私は人生の半分を過ぎてしまったので、余計にそう感じます)」


っていうあたりですね。


これって、形は変れども、昔からあったよなあって。特にあてもなくだらだらと話している、井戸端会議、あれもそうだったよなあって。


でも、昔は、最悪、暗くなれば帰らなくてはいけなかったから、終わりが一応見えていた。でも今は、暗くなろうが何時になろうが、どっちかが止める気にならない限りは終われない。その辺が昔より大変なのかもしれません。


上の「 」の記事を書きながら、思い出していた、茨木のり子さんの詩を、載せさせて頂きます。


私は時々詩を書くのですが、茨木のり子さんは私に影響を与えてくれた詩人の一人です。



「おんなのことば」


いとしい人には 沢山の仇名をつけてあげよう

小動物や ギリシャの神々 猛獣なんかになぞらえて

愛し合う夜には やさしい言葉を そっと呼びにゆこう

闇にまぎれて


子供たちには ありったけの物語を話してきかせよう

やがて どんな運命でも

ドッジボールのように 受け止められるように


満員電車の中で したたか足を踏まれたら

大いに叫ぼう あんぽんたん!

いったいぜんたい 人の足を何だと思ってるの


生きてゆく ぎりぎりの線を侵されたら

言葉を発射させるのだ

ラッセル姐御の 二挺拳銃のように

百発百中の小気味よさで


ことば ことば おんなのことば

しなやかで 匂いに満ち あやしく動くいきものなのだ

ああ しかし わたくしたちのふるさとでは

女の言葉は規格品 精彩のない冷凍もの

わびしい人口の湖だ!


道でばったり奥様に出会い 買物籠をうしろ手に

夫の噂 子供の安否 お天気のこと 税金のこと

新聞記事のきれっぱし 密をからめた他人の悪口

喋っても 喋っても さびしくなるばかり

二人の言葉のダムは なんという貧しさだろう


やがて二人はいつのまにか 二匹の鯉になってしまう

口ばかりぱくぱくあけて 意味ないことを喋り散らす

大きな緋鯉に!


そのうち二匹は眠くなる 喋りながら 喋りながら

だんだん気が遠くなっていくなんて


これは まひるの惨劇でなくてなんだろう


わたしの鰭(ひれ)は 痺(しび)れながら

ゆっくり動いて 呼子を鳴らす しぐさになる


鯉



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