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護符についての経緯をプロフィール風に書いてみました。
小室博史
護符クリエイター
子供向けのTV番組「来来!キョンシーズ」の影響を受けた少年時代、道教の霊符に興味を持つ。
風邪を引いて学校を休んだ日に、紙に悪霊退散と書いて燃やす。
火をつけたその紙をおもちゃ箱代わりにしていた缶の中に放り込み、蓋を閉めて棒で叩きながら「悪霊退散!」と叫ぶ独自の儀式を考案&即実践。
間もなくして母親に叱られる。
本人は大真面目でやっていた。
その後、気功、瞑想、ピラミッドパワー、トランプ占いなどを通して、目に見えない世界の探求を続ける。
当時は空前の超能力ブーム、超常現象ブームの時代だった。
五、六年生くらいの頃、親友の家に泊まった際、その子のお父さんがトランプの裏面を透視する遊びを始める。
友達のお父さんが顔の前に差し出すトランプのスートと数字を次々に的中させる。
(記憶では、差し出された六枚のカードの裏面を連続で完全に言い当てた。)
「こむちゃんは、ESP能力がある!!」と驚かれたが、
その時は、面白いなあと思っただけだった。
中学生の頃、鏡リュウジさんの影響を受けて、魔女術や儀式魔術の研究に没頭。
魔女の呪術(ウィッチクラフト、スペル)を実践するため、三十種類前後のハーブを種から栽培する。
その頃から、護符を本格的に作製するようになる。
儀式魔術のテキストを勉強するなかで、護符は術者の意図をデザイン化させて自作するもの、考案するものであるということを知り、願望を図案化することの面白さを知る。
幼児期には画家を志望していた事もあり、神秘的な図形の効能というものに異常な関心を寄せていた。
生まれて初めて考案して描いた”お小遣いが増える護符”は、その護符を描き終わった瞬間に効力が現われ、子供部屋をノックして入ってきた母親がその場でお小遣いを上げてくれた。
しかし、ある時、奇抜な思いつきで描いた護符を窓に貼り、しばらく経ったある晩のこと、髪の毛が蛇の女妖怪とその子分四匹が現われて雁字搦めにされる体験をして魔術の危険性を思い知ることに。
ルーン占いを勉強したついでに、ルーン護符を大量に考案し、魔術の同好会で紹介する。
後にそれらルーン護符は改良されて自身の占いサイトで提供するようになった。
占い師になった二十代前半、とある魔術の依頼を受けた際に、依頼主の強烈な生霊が鼓膜が破れんばかりの大音声となって襲い掛かり金縛られる。
翌朝、指一本動かせない状態になり、なんとか這いつくばって布団から出たが、生命力がごっそり抜き取られていた。
この絶体絶命の時に、一冊の霊符の本に助けを求め、初めて本格的な儀式を開いて道教の神々に祈り霊符を作製したところ、嘘のように衰弱状態から回復する。
この体験によって、古くから伝承された護符の霊験を確信するに至る。
その後、幽霊に悩まされている知人からの依頼に同じ霊符を作製したところ、長年に渡って家に現われていた「白い手だけの幽霊」が現われなくなったと感謝され、霊符の威力に信頼を置くようになる。
恋愛系の護符では、赤腹の護符というものが非常に良く効いた。
好きだった子との両思いは叶い交際もできたが、結局、色々なことがあり最終的に別れてしまった。(護符はあくまでも助力を与えてくれるだけである。)
やがて自身の占いサイトで色々な護符を提供し、オーダーメイドでも作製していた。
その時期、あらためてルーン護符の威力を確かめる出来事があり(ストーカー並みに電話をしてくる舅からの嫌がらせの連絡がピタリと止んだ事例など)、系統の異なる護符図形であってもうまく組み合わせると十分な効力を発揮することに気付き始める。
この頃は、イラストとルーンを適宜組み合わせたり、漢字の象形文字とルーンを組み合わせるなど、かなりアクロバティックなことをやっていた。
この調和が取れているような、いないような、不思議な護符のデザインに個性を感じている部分もあったが、コンセプト的、美術的に納得できていない部分もあった。
自身の占いサイトでそうした護符を提供していたが、奇妙な図形は描けても、封筒に宛名を書くことが苦手であったため、何となくやめてしまった。
その後、鳴海和香葉先生と出会い、これまでの護符に関する知識を基に、独自の護符様式を確立させ今に至る。
私が護符を作成し、護符袋製作と封筒の宛名書きは、手先が器用で筆が上手な和香葉先生に担当して頂いている。