空が青いから白をえらんだのです (奈良少年刑務所詩集より)

二ヶ月振りくらいになりますが、


「空が青いから白をえらんだのです」(奈良少年刑務所詩集)より、


いいなあと思った詩を紹介いたします。


その後に私の感じたことなど書いていきます。





もうしません



何度 おかんを裏切ったか わからん


「もうしません」っていうたんびに


おかんは おれを信じてくれた


それでも おれは 裏切りつづけた


そのたんびに 許してもらった


母親だから 許すのがあたりまえ


子どもだから 許されてあたりまえ


そう思ってきたけど



ちがうんやな



おかんはおれのこと ほんまに愛してくれるから


いつかはおれが 自分のまちがいに


きっと気づくはずだと信じてくれているから


辛抱強く待っていてくれるんやな



おかんは 偉大や


おれ がんばるで







いつからだろう



いつからだろう


いっしょに歩くのが恥ずかしくなったのは



いつからだろう


距離をおくようになったのは



いつからだろう


話をしなくなったのは



いつからだろう


顔を合わせなくなったのは



いつからだろう


「ただいま」と言わなくなったのは



いつだって


笑顔を向けてくれた母さんなのに








面会で妻の小言にあんどする


物言えずうなずくだけの十五分









よく笑う母が心の救いです


母の日に一度はしたい肩たたき






まず、「もうしません」について。


これを書いた子は、どんな子なのだろうと思います。


とても優しくて、素直で、感性の豊かな子のように感じます。


それなのに、どうして犯罪を犯して、

しかも何度も繰り返してしまったのだろうと思います。




今、ふと思ったのですが。


違うかもしれませんが。


もしかしたら、発達障がいを少し持っている子なのかなって。


実際、多いんだそうです。


それは、そういう子達を多く見てきた、専門里親さんと弁護士さん、

臨床心理の先生も言っていました。


衝動性が強いという事もあるかもしれませんし、

判断力に少し欠ける場合には、悪い仲間がいた場合には

流されがち、というのもあるかもしれません。


だからこそ、発達の問題のある子は「環境」が大事だといわれます。



っていう、ひとごと目線もさることながら。


自分ごととして捉えた時に。


私は子どもたちに、そんなに(犯罪レベルで)裏切られたことはないけれど、


宿題をしないとか


学校にいかないとか


返事をしないとか


無視されるとか


裏切りとも呼べないけれど、そういうようなことは


いろいろありました。


(今も継続中のものもあります)



まあまあ、辛抱強いほうなんじゃないかと、自分では思ってます。


それでも、許しがたいと思ったことは数回あります。


(結局は許してますけど)


「許すのがあたりまえ 許されてあたりまえ」ではないです。


その辺がわかるようになることが


「大人になること」なのかなあと思ったりもします。




「いつからだろう」は、息子が書いたもののように思えました。


高校生の時までは、ひよこのようにくっついてきて、


学校のことなどあれこれとしゃべる子でした。


わりと長めの?反抗期の真っ最中です。



「妻」と「母」は、


塀の中の様子や想いを、お伝えしたくて載せました。



また時々、ご紹介して参ります。






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