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もうすぐ、冬至が近付いてきます。
今年の冬至は、12月22日です。
私にとって冬至は、一年の節目を感じる時期です。
私は”一年は冬至に始まり、冬至に終わる”、そんな感覚を持っているのですが、山羊座生まれなので余計にそう感じるのかもしれません。
また、冬至は「二十四節気」のうちの一つです。
そんなわけで、黄道12宮と、季節の節目である「二十四節気」との関係について、解説したいと思います。
自然界の周期的なリズムを、地球と太陽の関係のなかに見出すことができます。まず、冬至、春分、夏至、秋分という大きな四季の節目があります。
地球の赤道を、そのまま宇宙空間に向かって拡張していったときに、それはたとえていえば、”大きな赤いリング”になります。これが「天の赤道」と呼ばれるものです。地球は太陽の回りを実際には公転していますが、地球が止まっているとあえて仮定した場合、太陽側が一年かけて地球の回りをぐるりと一周しているように観えます。これが、たとえていえば”黄金のリング”、「黄道」です。
”黄金のリング”と、”赤いリング”を重ね合わせると(地球が傾きながら自転しているので、赤いリングは微妙に傾いていますから)リング同士が交差する形になります。
その時、二つのリングが交差する二つの点が生じます。
「春分点」と「秋分点」です。この向かい合った二点を繋いで、黄道の円盤を二分すれば、あとはケーキを四等分して、夏至と冬至の二点があらわれます。
傾いたまま自転している地球の頭側、北側が太陽に向かって、お辞儀をしているように見える時期が夏で、背を向けているように見える時期が冬です。
西洋占星術の世界では、春分のときに、太陽が黄道十二宮の、白羊宮(牡羊座)の位置に来ると観て、黄道(地球からみた一年間の太陽の軌道)を十二等分します。
これが12宮(黄道12星座)といわれているものです。
あなたが生まれた時に、地球と太陽がどんな位置関係だったのか、によって牡羊座生まれになったり、水瓶座生まれになったりします。
さて、一方で、昔ながらのカレンダーを使っている方は、「二十四節気」という言葉を見たことがあるかもしれません。現代では、もうあまり、日常的には使われなくなってきた、年間を通しての季節の捉え方とでもいいましょうか。
とはいえ、今でも、天気予報のアナウンサーが「明日は、冬の寒さがひときわ厳しくなるといわれている大寒です」みたいな感じで言及することはあります。
「あの二十四節気って、一体どういうもの?」と疑問に思った方もいると思います。
それは、先ほどご説明した、春分、夏至、秋分、冬至を軸に、黄道12宮が分割されているという話から説明できます。
黄道12宮は全体が円になっていますから、各宮は30度づつ、30度×12宮=360度の黄金のリングです。
この1つの宮を、二等分すると、黄道が24等分されます。
これが二十四節気になります。
<各黄道12宮の季節と、二十四節気の対応>
牡羊座 春分(しゅんぶん)・清明(せいめい)
牡牛座 穀雨(こくう)・立夏(りっか)
双子座 小満(しょうまん)・芒種(ぼうしゅ)
蟹座 夏至(げし)・小暑(しょうしょ)
獅子座 大暑(たいしょ)・立秋(りっしゅう)
乙女座 処暑()しょしょ・白露(はくろ)
天秤座 秋分(しゅうぶん)・寒露(かんろ)
蠍座 霜降(そうこう)・立冬(りっとう)
射手座 小雪(しょうせつ)・大雪(たいせつ)
山羊座 冬至(とうじ)・小寒(しょうかん)
水瓶座 大寒(だいかん)・立春(りっしゅん)
魚座 雨水(うすい)・啓蟄(けいちつ)
こんな風に、12宮と二十四節気はぴたっと対応します。
二十四節気は、紀元前4世紀頃に中国で発明されたといわれています。
周の時代には、冬至が一年の開始とされていたらしく、それが戦国時代になると、立春が一年の始まりと考えられるようになったそうです。
西洋占星術の世界と、東洋の季節の変化に対応した周期の考え方には、案外と共通性があるものなんですね。
もうすぐ冬至、冬至には「ん」が二つつく名前の食べ物をたべることで、運が良くなると云われている「冬至の七種(ななくさ)」というものがあります。
南京(なんきん)カボチャのこと
蓮根(れんこん)
人参(にんじん)
銀杏(ぎんなん)
金柑(きんかん)
寒天(かんてん)
饂飩(うんどん)うどん
七つ全てを揃えるのは大変ですが、一つか二つくらいならばできるかもしれません。
そのあと柚子湯に入れば、さらに運気アップするかもしれません。
冬至は一年で最も昼の日が短いです。
この時期は住居の中に入ってくる日中の光も弱弱しいですが、冬至を境に徐々に日が長くなり、太陽の勢いも段々復活して行きます。
現代の魔女たちは、(魔女にも色々なグループや流派があるので、全員がというわけではありません)太陽崇拝の要素を古代の多神教から採用しており、冬至には太陽神の死と復活を祝う儀式が行われます。
冬至の時期に太陽神や農耕神の復活を祝う儀式が、キリスト教に取り入れられて、それがクリスマスの習慣になったと考えられています。
私はこの冬至後の、お正月シーズンのお日様の感じがとても好きです。
透明感があって、涼しくてソフトな眩しさに、心が落ち着きます。
子供の頃、おばあちゃん家に、年に一度の挨拶に行き、お年玉をもらったり、いとこたちと遊んだ嬉しい記憶が、そう思わせるのかもしれません。
気功の大先生によれば、二十四節気の日は、一年のなかで陰陽の調和する時節なのだそうです。ということは、たぶん、お祈りや開運的なことをするのにも向いているのではないかと思います。22日には、気功をやったり、カボチャを食べたり、柚子湯で心身を休めたりしてみてはいかがでしょうか。
小室博史
毎週水曜あたりに更新してます、『強み』シリーズです。
今回は、『最上志向』です。
特徴としては、
・自分の能力の中に凸凹感がある
・何事も平均的にできるようになることよりも、自分の強みを最大限に伸ばして、社会に打ち出していきたい
以上です。
短いんです、今回は。
でも、わかりやすいですよね!
行動アイディアとしては、
・自分の一番の才能を発見したら、それに重点的に取り組む。(スキル+知識+練習)
・その才能を、仕事以外でも使ってみましょう。そうすると人に喜ばれて、生き甲斐を感じられます。
・日々起きてくる雑多な出来事、物の修理とか、トラブル解決に時間と労力を取られると、消耗してしまうかもしれません。そのような分野は、「回復志向」のパートナーに補ってもらうのがおすすめです。
・組織の中では、ダメになっている部分の回復、改善よりも、良い部分を伸ばすことに注目すると、力が発揮できます。
・同じようなタイプの人で、成功した人とゆっくり話をしてみましょう。またはそういうタイプの人の本を読んでみるとか。強みを生かすことが成功につながるのだと、深く理解ができるでしょう。
・自己満足のための行動だと誤解されないよう、なぜ強みを伸ばすことに時間をかけているのか、その理由を周囲に説明して、理解してもらいましょう。
・弱点を最小化する方法を考えましょう。例えば、補ってくれるパートナーを見つける、弱点を補うシステムを作る、自分の高い才能で低い才能を補う、などです。
個別化、成長促進、戦略性の人などが、力を補ってくれるかもしれません。
元々の本の中には、
・自分の能力の中に凸凹感がある
という表現はなかったのですが、何度も読むうちに、どうも、その表現をとったほうが、本人にははっきりと伝わるのではないかと思いました。
いわゆる、「発達凸凹」の人たちも、これに当たるでしょう。
博史先生も、私も、この「最上志向」は、当てはまります。上位6つには入りませんが、10こ位の中には入ります。
ちなみに、私の高校時代の成績は、10段階で2~9まで全部ありました。凄い凸凹感!(もはや自慢(笑))
ちなみに、2は数学で、9は倫理でした。
全体的に言うと、2~5あたりが主要五科目(国数英理社)あたりで、6~9あたりが、ほとんど芸術科目(家庭科・音楽・体育等)っていう(笑)。
なぜ進級できたのかは謎ですが、Σ(シグマ)がわからないまま高校生を終えたこと、数学で何回か0点をとったことなど、今では大笑いのネタです(笑)。
あの時は死ぬほどつらかったのにな~。
時間が経つと、それが笑いの種になるんですね~。
これを読んでいる凸凹感のある方!
上に、
・同じようなタイプの人で、成功した人とゆっくり話をしてみましょう。またはそういうタイプの人の本を読んでみるとか。
って書きましたが。
今なら、「窓際のトットちゃん」、やってますよ!
本よりも、かわいくて、楽しいじゃないですか☆
ぜひぜひ、観にいってみてください、きっと勇気をもらえると思います。
「強みを生かすことが成功につながるのだと、深く理解ができる」と思います^^☆
私は、本で「窓際のトットちゃん」を読んで感動したくちですが、アニメも、ぜひそのうち見たいなあと思っています☆
先日、みーが自分のことを「ばかだ!」と言って泣いていた、という話をしました。
改めて考えてみると、日本語の「ばか」というレッテル?というか、この言葉の指す範囲は、非常に広いものになります。英語とかに訳したら、微妙なニュアンスまで含めると10こくらいになっちゃうのでは?なんて思います。
「ばか」の例をあげてみましょうか。
勉強ができない。
物忘れがひどい。
物覚えが悪い。
ろくに考えずに動いて失敗する。
言わなくてもいいことを言う。
食べ過ぎておなかをこわす。
いろいろなことが自分で決められない。
裸の王様になってるのに気付いてない人。
ババ抜きでジョーカーを引いた時、もろに表情に出る。
落語に出てくるようなおっちょこちょい。
友達のままだったら上手くいってたかもしれないのに、告白して玉砕する。
応援している野球チームの優勝が嬉しすぎて、川へ飛び込む。
私的には、最後の4つあたりは、「おばかさん」とでも言いたいような、かわいさすらあるんですけど(笑)。
そうそう、「おばかさん」にいたっては、もはや「かわいい」の変形ともいえます。
けれどもまあ、どちらかというと良くない意味がほとんどな中で、「ばか」と言われた時には、上にあげたような全てのカテゴリを含んでしまうんですよね。
例えば、ろくに考えずに動く、とか、物忘れがひどい、というようなタイプの子に、「ばか!」「バカ!」と年中言っていたら、「自分はバカなんだな。だから勉強も出来ないんだな」と思うようになりかねません。
これらの「ばか」は、実は色々な分野に分かれています。学習、記憶、理解、空気を読む、衝動性、計画性、洞察力、判断力、などなどです。
ひとつのことについて「ばか!」「バカ!」と言っていると、他の分野のことまで否定されているような気持ちになっても仕方ありません。そして、元々持っていた、結構高めの他の能力も、同時に伸び悩んでしまうこともあるんじゃないかと思います。
だから。
これらを丁寧に分解して、その足りない部分だけを注意してあげるといいです。
「これをしたらどうなるか、考えてから行動しようね」とか。
「忘れてしまうなら、思いだせるように工夫しようね」とか。
勉強でも、「勉強が苦手」って、一言で片付けてしまうのは、あまりにもったいないです。
文系、理系、っていうのも、あれも雑な分け方だと思います。
みーは、算数は苦手ですが、理科はかなり好きです。
そして、理科の中でも地学系かな?ひとつは好きじゃないものがあるとか。
「この教科が嫌い」、それでもまだもったいない。
国語は好きじゃないけど、漢字を覚えるのは結構、得意。
理科は、化学も物理も好きじゃないけど、植物だけは好き。
社会はあんまりいい点は取れないけど、戦国時代の武将のストーリーを語るのが大好き!
いいじゃないですか~、それで!
だいたい、なにもかも平均的に出来るような人材が求められたのは、高度経済成長期の、「金の卵」と呼ばれる人たちの時代のことです。
今は、平均的に何か出来たからとて、そんなものはAIやロボットに簡単に取って代わられてしまいます。
自分の中に、それこそ「ばか」でもなんでもいい、「これ!」というものを持っていたほうが強いのではないかと思います。
そして、逆説的ですけど、「バカとなんとかは紙一重」なんていいますけど、「バカ」と言いたくなるようなタイプの子の方が、もしかしたらですけど、一芸に秀でる可能性が高いかもしれません。よく、ある分野の専門家(行き過ぎてるタイプの人)を、「~馬鹿」なんて言いますしね。
ちなみにうちでは「天才!」を量産してます(笑)!
うちでは私は、割とちょっとしたことで子供に「天才!」とか言います。
子供たちは本気で自分のことを「天才!」とは思ってないですが、それでもちょっと嬉しそうにはします。誰かと比較しての「天才」ではないかもしれないけど、その能力を天から授かっているという意味では、「天才」でも当たっているのかも知れませんね。
まあ、いくらいっても無料ですし(笑)、いい気分になれるものだから、言葉は使いようだなって思います^^☆