占いって、誰でもできるの?


占いって誰でもできる?


占い師をしている、自分たちの首を絞めそうな質問ですけど(笑)。


「占いって、誰でもできるの?」


正直に答えましょう。


できると思います。



前にも、これについては記事にしたことがありますが。



例えば、料理と同じように、運動と同じようなもので、


誰でも、やればたぶんできます。


センスがあるとかないとか、上手とか下手とか、


それはあると思いますが、


誰でもやってみれば、できると思います。


ちょっと練習が、もしかしたら必要かもしれませんが。



なんなら、やってみてください。


方法は、占いたいことを強く念じるだけ。


道具は、究極、なんでもいい。


だって、世界中に占いの方法とか、使う道具って、


もう、無数にあるんですよ!


棒が倒れた方角とか、骨に入ったひびとか、


アスパラを投げて落ちた形とか。


要するに、自分で何かのルールを決める。


そして、それで、「そういうルールでやるので、見せて下さい」


ってお願いして、「大いなる何か」に問いかける。


そうすると、「大いなる何か」が、そのルールにのっとって答えてくれる。


占いって、そういうものだと思います。


(これは卜術(ぼくじゅつ)に関してです。卜術とは、誕生日とかではなくて、偶然に出てくる何か、カードとか、さいころの目とか、何かの形とかを見るものです)



で、今、博史先生とお話していて、思ったことなんですが。


博史先生のところにかかってくるご相談の電話で、10年位前は、


「気学の先生に観てもらったんですが・・」とか


「四柱推命の先生にこう言われたんですが・・」とか


そういうお話をされる方が、結構いらしたそうなんです。


「でも、今は全然いないですね」って。


今、ここで挙げている「気学」とか「四柱推命」って、


「命術」と呼ばれるものなんですね。


生まれた日など、持って生まれている何かを観るもので、


卜術とは、系統の違うものです。



で、思ったんですよ。


占いが好きな人が、「命術系」と「卜術系」に分かれてきてるのかなって。


博史先生いわく、


「卜術の占いで、霊感なんとか(霊感タロットとか)、というのが流行ってきてから、


「彼はこう思っていますよ」とか「あなたはこうすればいいですよ」とか


そういう会話がふえてきましたね」って。


(まあ、博史先生もそういうのは得意ですけど)



でね、それを聞いていて、私、思ったんですよ。


ご相談に来る人の視野から「命術」(人生を見通すもの)がなくなって。


会話が、1分いくらで、限られた時間の中で節約して、


ただ聞きたいことのみを、一問一答みたいに答える形で。


しかも、占い師が、占うことだけに特化していて、


特に心理的アプローチ等も学んでいなかったとしたら?



「命術」がなくなることで、視野は狭くなり。


「心理的アプローチ」がないことで、深さも生まれず。


ひたすら、「狭くて浅い」話を繰り返しがちになるんじゃないか?って。



そうしたら、博史先生が、「まさしくそうなんですよ!」と。


「最近は、出会い系アプリのご相談も多いんですけど、


ひたすら、「この人は、自分に合いますか?合いませんか?」


「じゃあ、この人は、自分に合いますか?合いませんか?」って・・」


なんか、狭くて、浅くて、苦しいなあ・・という感じがしたんですね。


広々した先が見えないっていうか。



もっと、一人の人の中に、深いものってあるじゃないですか。


それに丁寧に触れてあげることで、「合います」「合いません」という


答えだけじゃなくて、その世界をもっと広くするような


問いかけも出来るような気がするんです。



例えば、「合うか合わないかは、正直、付き合ってみないとわからないと思うけど、


そこを省いて、いきなりこういう質問をしてくるのはどうして?」とか。


なんか、誤解を受けそうなので、若干弁明させて頂きますと、


「合いやすい」「合いにくい」っていうのは、星座だけ聞いてもおおむね分かります。


でも、実際には、「合うな~」と思っても、


合いすぎて、それが自然体過ぎて、だらだらした関係になってしまうこともありますし


合いにくいと見える関係でも、違うところがあるからこそ、


補い合ったり、刺激しあったりで、案外上手く行く場合もあります。


そして、卜術で、結局、結ばれるのか(結婚できるのか)、


そうでないのか、ということを観られたとしても。


最終的に、結婚できないなら、付き合う意味は無いのでしょうか。


結婚まで至らなくて別れることになったとしても、


その間に、人間としてとても大切なことを教えてもらったり、


誰にも気付かれなかった自分のいいところを見つけてもらったり、


そういうことがあるかもしれないのに、


そのストーリーを全部無視して、「結局結ばれないなら」ということで


切り捨ててしまっていいんでしょうか。


そして、遠い未来のことであればあるほど、


様々な要因が複雑に絡んで来る可能性が高くなるので、


当てにくくなるものなのです。


もし、その占い師が、「結局、結ばれないです」と言ったのが外れていたら?


結局、結婚はしても、20年後に離婚することになったとしたら?



「合います」「合いません」のくり返しのやりとりの中で見失っている


そういうような話にも、じっくり時間を取って向き合えたらいいなと思っています。



で、最初のタイトルからの、まとめになるんですが。



占いって、誰でもできるんです。


だから、「合う」「合わない」なんか、自分で見ることもできます。


占いって、神聖な感じ(清らかな感じ)とか、そこは大事だったりするので、


コインを洗って、裏表、こっちが合うで、こっちが合わない、という


設定を決めてもらって、よく念じて投げればいい。


新しい6角形の鉛筆を用意して(占い用とか決めちゃうといいです


1~6まで数字を書いて、


奇数が出たら「合う」、偶数が出たら「合わない」とか、


もしくは、「6なら濃厚、1なら薄い」とか。


(なんなら6と1が逆でもいいです)


自分で設定を決めて。


そうやって、世界中のいろいろな人種の人たちが、


いろいろに設定して占ってきてるんですから、


それはそれなりに出るはずです。


ただ一点、「強くその瞬間に、占いたいことを念じる」。


ここだけがポイント。



ただ、やっぱり、「イエス」「「ノー」だけじゃない、


もっと複雑なことを観たい時や、


自分でも気付かないような問いかけをしてもらいたい時など


やはりそこは占い師の出番かなと思います。



質問力を磨きつつ、みなさんが来てくださるのをお待ちしています^^☆


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2024年02月13日

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