「自分で選ぶ」ということ。



自分で選ぶ



二学期になってしばらくしてから、


ほぼ不登校に近い状態になっていた、


中1娘の、みーですが。


このところ、立て続けに学校に行っています。



先週、13歳になったのですが、


その誕生日を境目に、1日しか休んでいません。



「私、誕生日だし、生まれ変わったんだから」と言っています。


よく、学年の変わり目とか、学期の変わり目に


不登校の子って、そういう「新たなる」気持ちに


なることがあるようなのですが、


それが誕生日だったりもするのですね。



そういえば、最近、親しくしている青年が、


髪を切って、緑に染めました。


鋭い目つきをした子だったのですが、


急にずいぶん穏やかな顔になりました。


彼女が出来たんだそうです。


髪を染めたのは、「生まれ変わる」という証らしいです。



みんな「生まれ変わりたい」「生き直したい」


「新しくやり直したい」という気持ちをもっているものなのだなあと、


そして、それはやればできたりするんだなあと


見ていて、なんだか感慨深いです。



私は、正直、学校は行っても行かなくてもどちらでもいいか


と思っています。


行ければ行けた方がいいのかもしれないけど、


死ぬほど辛い思いをして行くところでもないと思います。



大切なのは、やはり「学ぶ」ということだと思います。


そのための環境が、先生とか、同級生とか、施設とか、


整っているのは、やはり家よりも学校かなと思います。


でも、家でも、それなりにいろいろ学べることはあるので。


(生きていくうえで必要な技術(例えば家事とか)は


家庭の方が教えられると思いますし。)



2学期に入ってからは、


私は「学校にいきなさい」的なことを言うのはやめました。



前のブログの記事に書いたことがあるのですが、


私の基本的な考えとしては、


「子供は学ぶもの(幅広い意味で)」ということがあり。


(それは大人になって生きていく力を身につけるために必要なので)



そのための段階として、


上にも書いたように、できれば家より学校の方が


整っている部分はあると思うので、このような順に考えてきました。



1.基本的に学校は行くものです


2.学校に行けなくても勉強はするものです

(学校の科目にとらわれなくてもいい)


3・勉強ができない時は病気の時です




1学期は「1」でやってきたのですが、


2学期から無理な感じになって来たので、「2」に切り替えました。



それに伴って、学校に関する声をかけるときにも


「学校は基本的に行くものでしょう」から


「今日はどうするの?どこで勉強したいの?」とか


「今日は学校にいきたいの?」というような訊き方になりました。



そういえば、しばらく前から(1ヶ月くらい前?)


「学校には出来れば行きたい」


と答えることが増えてきました。


先生が家に来て下さったことがあったのですが、その辺りからかな。



「どうして行きたいと思うの?」って聞いたら、


「皆と同じようにやりたい」って言うんですね。


そうか~、と思いました。


私としては、皆と違っても、一向に構わないのですが、


もう、それならそれで、もはや若干楽しみだったりもしますが、


(なんか、人とは違って大物になるんじゃないかっていう・・)


(とはいえ、正直、親もなんとなく大変ではありますが・・)


本人がそう望むのであれば、それが叶うと良いなと思ってました。



だから、本人が学校にいけた日にも、


社会的な意味や一般的な意味で、「学校に行けてよかったね」


というよりは、


「あなたが学校にいきたいと望んで、それを選び取って行動に移せたのは


良かったね」という感じでした。




今日は合唱祭でした。


舞台の上で、堂々と心を込めて歌っている娘を見て、涙が出ました。


皆と一緒に、こういう学校生活をしたかったんだろうな、って。



学校の授業は好きではないし、


っていうか、数学なんか苦痛でしかないみたいだし、


嫌いな子だって同じ学年に入るし、


何もかも All Happy なわけではない。



でも、人生にBestな選択なんて、あまりないものだと思います。


Aを選んでも苦労があり、Bを選んでも満たされないものがある、とか。


その中で、よりBetterな方を選んでいくというのが、


実際の、ほとんどの人生なんじゃないかと思います。



でも、実はあまり「選んでいる」という感覚の


無い人もいるのかもしれません。


なんとなく、「みんながそうだから」とか


「親とか友達に勧められたから」とか


そういう理由で、特に疑問も葛藤もなく


なんとなーく生きている、っていう人も


もしかしたら多いのかもしれません。



でも娘は、普通、あまり人がひっかからないようなところで


引っかかって、毎日私に、


「今日はどうしたいの?」という「選択」を迫られてきた。



そして今、彼女は自分なりに、


「みなと同じように、学校にいきたい」という


より「Better」な方を、自分の意思で選び取って、


学校に通い始めています。



これからどうなるかはわかりませんが、


彼女がどういう選択をしても、


できるだけそれを応援してあげたいと思います。



この前何かで読んだのですが、


「自分が選んだ、という実感が強いほど納得感の強い人生になる」


とか。


私も、節目、節目では「選んだ」という実感がとても強いので


そうだろうなあと、しみじみ思います。


自分の人生のハンドルを、自分で握れてる感覚、っていうんですかね。



不登校(学校にいきにくい)ということを通して、


親子共々に、いろいろなことを学んでいるんだろうなと思います。





前の記事
2024年10月28日

コメント
name.. :記憶

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):