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ここ1~2週間の間に、『111』、『333』というゾロ目の数を見ました。
それで今日、『444』を見ました。
単なる偶然かもしれないのですが、にしても、ずいぶんゾロ目を見るなと感じます。
数秘術は専門ではないので、どういう意味があるのか調べてみました。
大体、以下のような意味があるそうです。
『111』 霊的な覚醒、進むべき道を覚る、充実した未来、段階が上がる
『333』 見えない存在からの守護、心・肉体・魂の調和、過去・現在・未来
『444』 積極的に行動すること、経済的成功、精神的安定、努力が報われる
ついでに、なんとなく、”134”も気になったので、調べてみました。
134は、行動したことが瞬時に現実化する、というような意味なのだそうです。
そして、1+3+4=8になることから、ここには8の意味が含まれているらしく、私が読んだ情報によると、1が行動、3が拡大、4が現実化、8が豊かさや才能を意味するようです。
私はどちらかといえば内向的な性格で、静かで平穏な状態に安らぎを感じる傾向があります。
イメージ的には、宮沢りえさんと縁側でお茶ばかり飲んでるもっくんみたいな感じ。
良く言えばですね。
大分良く言い過ぎたかもしれないんですが
淡々とマイペースに過ごしているので、111や444や8は、あまりぴんと来ないのですが、行動的に動けるような潮時が来ているのかもしれません。
信じるか信じないかは、
あなた次第で~す
小室博史
子育てをしていると、子どもの行動を見ていて、このまま行ったら絶対失敗するな~、とわかる時があります。
うちで時々あるのは、上履き洗い。
金曜日に声をかけて洗わない。 土曜日に、「日曜は天気よくないみたいだから、今日洗っちゃえば?」と、声をかけても洗わず。
曇り時々雨、みたいな日曜日の、昼頃に洗ったりして。
まぁ…カラッとは乾きませんよね。 で、若干湿ってて気持ち悪さのある上履きを履くことになる。
で、どうよ?って話なんですね。
いいのかい、本人!?
次回もこれでいいのかい?
ってことなんですね。
失敗して、自分で考えて、次回どうしよう、これが大事な経験なんだと思います。
だから、親が洗ってしまったり、
無理に洗わせるのは、
本人にとって学びが少ないのではと思います。
なんなら、本人が洗いたくないなら、しばらく放っておくのも手だと思います。
たとえば、先々週も、先週も洗ってない、今週も洗わないと言っている。
さぁ、どうしましょう?
友達に「きったねえ~」と言われるかもしれません。
その前に、自分で気がついて、
ヤバいわ〜、と思うかもしれません。
良くない展開パターンとしては、
それでイジメられる、
イジられるとか、
本人が傷ついちゃう、
なんてこともあるかもしれません。
他のパターンだと、
これが、夏休みの宿題なんかの場合も、
悩みますよね。
いつやるのか、
無理にでもやらせた方がいいのか、
本人に任せていいのか、
やらないという選択はありなのか、
やらないままちゃんと開き直って学校に行けるのか、
学校行くのが嫌だ、とか言い出さないか。
コケるまで見る、と言っても、
どこまで見てて大丈夫だろう?という、実際問題もあります。
やはり、命に関わるようなことや、
大ケガをするようなこと、
これは避けるべきでしょう。
現実問題になると、
私も、迷うことは多々ありますが、
基本的な大枠としては、
「命に関わること」
「取り返しのつかないこと」
でなければ、
どんどんいろんな経験をして、
たくさんコケてみたらいいと思っています。
心身共に、すり傷や切り傷、
あざなども作り、
その痛みを知ることで、
人の痛みもわかるようになるでしょう。
何度もコケるうちに、
コケ方もうまくなり、
キズを負わないコケ方が
できるようになるでしょう。
つまり、受け身が上手くできるようになるということですね。
自立するということは、
親掛りでなく、
いろんなことを自分で決めたり、
それが失敗しても立ち直ったり、
人に助けを求めたり、といったことが
できるようになることだと思います。
だから、親がいるうちに、
親の見ていられるうちに、
それをさせてあげることが大事なのではと思います。
それを、親が何でも決めてしまい、
失敗はさせないようにし、
助けを求める前に手を差し伸べてしまったら、
子どもは自立できないまま、
大人になるしかないと思います。
コケたことのない大人が
(挫折を味わったことのない大人が)、
40代とか50代になって、
いきなりそんなことにさらされたら…と思うと…
…非常に心配ですよね。
心がポキッと折れちゃうのではないでしょうか。
何度も何度もコケては、
立ち上がって来た子は強いです。
なんぼコケても、
また立ち上がればいい、
立ち上がることができると、
身にしみて知っているからです。
ついつい、先に先に、
失敗しないようにと、
手を差し伸べてしまう親御さんって
多い気がするんですが、
その子のことをよく観察して、
この辺が限度、というのを見極めて、
放っておけばいいのではないでしょうか。
横目で見つつ。
あ〜、コケるやつだ〜、と思いつつ(笑)。
あー、やっぱりコケたわ〜、
と観察しつつ(笑)。
ある意味楽ですが、
心にはちょっと力がいります。
でも、自分でやってみて、なかなかおすすめの方法です。
子どもに、自分で考えて、
どうにかする力が身についてきます。
当店のオリジナル護符は、護符本体を小室が作製し、
それを入れる護符袋は、和香葉先生がハンドメイドで作製しています。
紙製の護符袋に収めて、更にビニール製の透明の袋に入れた状態で、封筒に入れてお届けいたします。
全てが手作業で製作されたものなので、性質上、全てが同じではなく、多少のいびつさもありますが、それも当店ならではの味として御容赦頂ければありがたいです。
護符作製には非常に精神的な集中を要するため、最良な時を見計らって作製いたしますので、ご注文後、数日お時間を頂きますのでご了承ください。
宛名書きと郵送は、字が綺麗で細々としたことに慣れている和香葉先生が担当します。
現在、和香葉先生がご実家のリフォームのために帰省されているため、今の時期にご注文頂きました護符の発送は5月16日近辺になる予定です。
護符の袋は、色々に作製したものがありますが、まだあまり統一されたデザインはありません。和香葉先生と私で手芸洋品店で良さそうな紙を思いつくままに仕入れたものなので、あまり色彩的な統一感はなく、本当に色々です。
はっきりとした色画用紙のような色もあれば、和紙のような淡い色のものもあります。
基本的に、護符袋の紙色(なかには模様が入っているものもあります)と、ご希望があれば、水引(これも和香葉先生の手作りです)を三種類(蝶結び、あわじ結び、梅結び)のなかからお選び頂けます。
蝶結びはリボン型、あわじ結びは上を向いて伸びている形、梅結びは丸いお花の形です。
金や銀のテープが貼ってあるもの、ないもの、ありますが、こちらもお好みで、有り・無しをお選び頂けます。
和香葉先生のアイデアでこのテープの模様と貼り方は、願い事の種類によって変えているそうです。テープあり、の場合は和香葉先生のその薀蓄に基いて貼らせて頂きます。
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ということで、お客様にお選び頂ける要素としては、
1・護符袋の色
2・テープの有り・無し(金と銀がございます)
3・水引きの有り・無し(蝶結び、あわじ結び、梅結びがございます)
写真には穴が空いて紐が通してあるものがありますが、これは旧試作品で、現在では紐は通さず、封印はテープあるいは糊でつけます。
現状作製したものを参考としてこちらに掲載いたします。
(こちらの写真は、参考までに水引を乗せてみたものです、実際には接着します)
護符袋の色彩の整理がまだできていないため、お客様におかれましては大変お手数ではございますが、上記の写真から、『何番目の写真の、中段の左から何番目の色』という形でご指定頂ければ幸いです。
尚、当店の護符は、あくまでも中に収める護符自体に霊的な力がありますので、ケースの色やデザインが護符の効力を左右するというわけではございません。
電話占いアストロラーベでは
無料の掲示板祈願を行っています。
実践主義的な魔女集会を主宰し
占い鑑定歴22年
過去2万件以上のご相談に
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小室博史による
魔女テレパシー祈願は
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人間に備わる本能的な力と信じられてきました
慎重に、正しく扱うならば
通常の「努力」以上の
不思議な助力が得られることもあります
魔女テレパシー祈願については祈願|思念伝達をご覧下さい
『彼からのラインの返事が今までにないほど遅い。』
『私は見捨てられるのではないか?。』
『私に別れを告げようとしていないか、彼の今の感情を観て欲しい!』
このようなご相談があったとき、
実際に占ってみると、案外と予想とは異なる回答が返ってくることがあります。
”彼は別れようとは思っていない、ただ、今の交際内容を大きく変えられる見込みもないので、貴女がそれでも良ければ、と思っている。”
という感じだったりすることが多いのです。
ところが、この類のお悩みを投げかけて来られるお客様は、往々にしてその鑑定結果を容易に受け容れられない場合が多く、
『そんなはずはないです、彼は気が短いし白黒付けるのが早い人だから。決してそんな悠長な考え方はしないです。』
『身体の相性が良くない人とは付き合えない、と以前に言われてある。だから、たぶんそれが関係しています。私はもうじきふられるんです。きっと彼は既にそう決めているんだ。』
という感じで・・・。
占いの結果よりも、その方が既に頭の中で思い描いている相手の性格というものがあって、そこから強く思い込んでいる何かがあるのです。
・きっと~に違いない
・絶対に~なはず
・彼はそれほど優しい人ではない
・彼は他にも女がいるはず
といった予測を強く主張して来られることがあります。
大体、そのような反応をされる方というのは、過去に散々、恋愛で傷ついたり、逆に相手を振り回して見限られたりしてきたような、つらい経験を抱えていたりする傾向があります。
そのトラウマ体験がフラッシュバックして、どうしても悪いほうへ悪いほうへと発想してしまうようです。
それが、もはや相手を見るときの固定観念と化している場合が多く。また、男性(女性)という生き物はそういうもの、だと決め付けてしまう傾向もあります。
でも、本人としては、あえて悲観的に見たり、絶望的に考えているつもりは無く、むしろ『アゲて貰わなくて結構です、現実的に考えて、普通に考えてそうじゃないですか?』みたいなことを仰るわけです。
そのあとお相手からちゃんと連絡は来て、別れるつもりではないことが判明したりするのですが、案外そうなるとケロっとして、
『連絡来ました、ひとまず、ふられなくてよかったです。』
という感じで話は終わり、また違う話題に移るというパターンが多いです。
でも、なんというのか、立ち直ると同時に、どこかにまた新たな不安が生まれようとしてくる兆候というのか、心の傾向というのでしょうか、あるんですよ、そういうのが。
つかの間の安堵感はあるんだけれど、一難さってまた一難、という展開を恐れてしまうので、占いというものが手離せなくなってしまうんだと思います。
つまり、毎日相手の心境を占いでモニタリングしようとしてしまうのです。
それで、私はそういうタイプの方々を見ていて、どういう心理構造なのだろう、と色々と思索してみるのですが、たぶん、これは”今ある安定が崩されたくない”という恐怖心から来る、ある種の強迫観念なのではないか、と思うのです。
だから、ささいな出来事から即座に最悪の事態を想像、想定してしまう癖がついているのです。そして、幸いにも、その予感が外れていた場合、それでも、その人にとっては結局、”プラマイ0”なわけです。
なぜプラマイゼロかというと、今回は、たまたまセーフだっただけで、またいつなんどき嫌われてしまうか分からないという、常に湧いてくる不安感そのものは消えないからです。
まるでボートの水をバケツで汲んで海に捨てても、またジワジワと水が穴から染み出して上がってきてしまうような感覚です。
『私は崖から突き落とされなくて済んだ、ああ、セ~フ・・・ハァ、ハァ、ハァ』
となっていて、突き落とされなかったこと自体はまあ良かったといえば良かったのだけれど、それでもその人のイメージの内側では、相手と自分は依然として崖っぷちのところで向かい合い、対面している、睨みあっている感覚なのでしょう。
相手と自分の立ち位置を、視覚的に思い浮かべたときに、常に自分が不利な所、崖に背を向けた状態で相手と対峙しているような、そんな心理なのではないでしょうか。
もしも、恋愛をする度に、好きな人との位置関係を、こんな風に捉えてしまっていたならば、それは何度別れて、何度巡り合っても、同じ焦りと疑心暗鬼の無限ループからは抜けられません。
相当疲れる恋愛になると思います。
そのカラクリというか、心の落とし穴にすっぽり嵌ってしまっている、ということを何とか言葉を噛み砕いてお伝えしたいのですが、これがなかなか至難の業なのです。
そうした癖を持っている方というのは、基本的に聞く耳をあまり持とうとはしません。
ちょくちょく頻繁に占いに伺いを立てる反面、言いたいことだけ吐き出したら、ありがとうございましたーで終了される方が多いんです。
自分の物の見方、感じ方、それを否定されたように感じるのが怖いのかなと思います。
どこか自分を客観的に見ることを恐れ、避けているようにも見えます。
お相手とのやり取りのなかで起きる変化に一喜一憂するあまり、常に精神的な過呼吸状態に追い込まれていたり、過去の経験を内省してそこから現状の問題を静観するということができ難い方が多いので、結局、同じような質問を、2、3日置きぐらいに尋ねてくるという形になってしまうのです。
結局、『彼と次会えるのいつですか?、占ってください!。』
こればっかりになってしまうんですね。
占いで、どうなるかを観る事はできるのですが・・・。
たぶん、そういう人たちが本当に人生の充実感や、幸福感を感じられるようになるためには、
”お悩み無限ループ”
”人間不信という名の底なし沼”
”常に崖っぷちの対話”
という心理構造それ自体を何とかしなければならないでしょう。
しかし、それをお伝えする時間を、お客様側が求めておられない場合、話せる機会はやってこない・・・。
これが占い師の悩みです。