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ここ数年、8月31日には、何かしらの方法で、
このようなメッセージを流しています。
それは、学校に行けないことを苦にする余り、
命を絶ってしまう、もしくは絶とうとしてしまう
子ども達がいるからです。
私も同じようだったから、わかります。
学校に行けない、こんな自分はダメだ、
このまま自分の人生はダメになっちゃうんじゃないか、とか。
もう、ひたすら悪い方向にしか考えられなくなって・・。
学校とか、学ぶということについて、
ぶれない私のスタンスがあります。
学校は、行けるなら行ったほうがいい。
完全とはいえないけれど、「学ぶ環境」というのを
社会が、大人たちが、一生懸命に用意してくれているものだから。
個別的な「当たり・はずれ」というのはあるかもしれませんが、
全体としては、やはり「学ぶ環境」としては整っています。
けれど、どうしても、苦しくて苦しくて、
頭がおかしくなりそうだとか、
学校に行くくらいなら死んだほうがましだとか、
そんな風だったら、そこまでして行くところでもありません。
「学校に行く」ということが目的なのではなく、
学校に行くことは一つの手段であって、
「学ぶ」ということが目的なのですから、
そうなっちゃったら、自分で学べばいい。
塾でも、フリースクールでもいいし、
自治体で不登校の子が通える場を作っているところもあります。
一人で勉強したっていい。
図書館で本を借りたり、ニュースを見たり、
わからない言葉を調べたり。
「○年生の算数」とか、「電流の流れ方」とか、
いろんな学習のための動画もいっぱいあります。
昔に比べたら、本当に、一人でも勉強しやすくなりました。
ちなみに、どうして「学ぶ」必要があるのか。
それは大人になって、何らかの形で社会とつながり、
自分でお金を稼いで、ご飯を食べられるようになるためです。
そして。
学校にもどうしても行きたくない、
どんなことであっても学ぶことも嫌だ、
なんにもしたくないし、消えてしまいたい・・。
もし、そこまでの気持ちになっている場合は、
もはや、今は「学ぶ」時間ではありません。
「充電」の時間です。
なにもかもいやになっているのは、
充電が切れているから。
動かないのは、電池切れだから。
充電したら、大丈夫です。
私にもそんなときがありました。
何日も何日も、ふとんをかぶって過ごした日がありました。
何かが怖くて、心もとなくて、
狭いところにいかないと落ち着かなくて、
机の下にうずくまっていた日もありました。
未来に何の希望も見えない毎日でしたが、
とにかく、死ぬことも出来ず、毎日を過ごしていました。
でも、今、あの時に死ななくて、
本当に良かったと思います。
まだ、逢うべき人にも逢わず、
やるべきことも見つかってはいなかった。
今、どんなにつらくても、
生きていたら、きっとそれにめぐりあう日があるし、
今のこの経験が生きるときが来ます。
学校は行けたら良いけれど、
行けなくても学べば良い。
学ぶことすら出来ない時には、
生きていれば良い。
いつかの自分を思い出しつつの、メッセージでした。
社会人の方も、同じですよ。
充電すれば、大丈夫ですからね!
とにかく、生きてさえいれば、なんとかなります!