「卒業ディスニー」っていう、「アレ」。


舞浜ディズニーランド



「卒業ディズニー」って、ありますよね。


高校生とかが、卒業の記念に、友達と一緒にいくアレ。


中学生って、どうなんでしょう?


小学生で、「卒業ディズニー」って、どう思います?



・・「ないわ~」と思われた方、すみません。


うちの子、小学校を昨日、卒業しまして、「卒業ディズニー」に行くんです。


自慢でも何でもありません。愚痴でもありません。


最後まで読んでいただくと、私のお伝えしたいことが伝わるかと思います。



タイトルにもしましたが、「卒業ディスニー」っていう「アレ」に、みんなそれぞれに、勝手なイメージをつけているんだと思うんですよね。


例えば、めっちゃキラキラしてて、お金かけて遊んでくるアレね、とか。

場合によっては、お金持ちの学生がいくアレね、とか。



正直にお伝えしますと、うちの経済状態は、決して良いほうではありません(笑)。

ああ、言ってしまった(笑)・・。


当然、そんな中で育った娘ですから、ある意味、親以上に金銭感覚はしっかりしています。多少まとまった金額であげられるのは、お年玉くらいで。あとは、すずめの涙のようなおこづかいしかあげていません。


そんな彼女が、今まで無駄遣いもあまりせず、貯めてきた自分のお小遣いで、「行きたいんだけど」と言ってきた。

だから、私は確認で「お昼代位しか出さないよ?それでもいいの?」って聞いたら、

「いい!わかってる、大丈夫。」って言う。


うちからは、電車で一時間くらいかな?

そんなに遠くはない場所です。


治安的には問題がない場所だと思います。

しっかり者の友達も付いてます。


・・そしたら、それを、もう止める理由って、ない気がするんですよね。


って、ここまで読んでいただいて、どうだったでしょうか。


最初の時に、人によっては感じられたかもしれない、


「小学生でアレ(卒業ディズニー)って、どうかねえ?」と思う感じ、


ちょっと変化がありませんでしたか?



これはひとつの例ですけれど、私たちは気付かずに、

「○○」っていうアレね~

と、ひとまとめにして、その印象を決めてしまってはいないでしょうか。

良くも悪くも。


例えば、

「アレね~」の、アレには、いろんなものが入ります


離婚ってね~

不登校ってね~

フリーターってね~

体罰ってね~

虐待ってね~


これは良くも悪くも、です。


例えば、

私は不登校支援をしていましたし、

うちの子もややそうでしたから、

理解はあるほうだと思いますが、


理解があるからこその、良い方に寄りがちかなと思います。


不登校ってね~

学校って、大変だよね

人間関係とか、いじめとかあるし、勉強も大変だし

学校も本当は行きたいのに、苦しいよね~


って、なりがち。


たぶん、本当にそういうことも多いかと思いますが

(大半かもしれませんが)


実際に聞いた例として、

「夏休み明けにただ、単純に、学校に行くのが面倒になって、そのまま何年も休んだ」

と言っていた人の話を聞いたこともあります。


いろいろあるんですよね。



例えば、今は先生による「体罰」、

親による「虐待」、

と称されて、手を上げたりすることって、

厳しく止められてるじゃないですか。


まあ、基本的にはその方向で良いとは思います。


でも、全てそのくくりに入れてしまうのはどうなんだろう、とも思うわけです。


ああ、虐待ね~


って、ひとくくりにしちゃって良いのか?


ただ親がイライラしていて、その憂さ晴らしに子供に手を上げたのか?


それとも、そのことで何か伝えたいことがあって、必要だと思ってやったのか?


私はうちの子どもを、叩いたり殴ったりしたことはありませんが、


それでも人から見たら、もしかしたら体罰に見えることをしていたかもしれないと思います。


それは、次男に関してです。


次男は、自閉傾向の子で、知的にも遅れがあり、小さい頃は特に、人の気持ちを汲み取るのが苦手な子でした。


小さい時には、怒られているのがわからずに、笑ったりしてました。


だから、自分が相手にイヤなこと、悪いことをしたときにも、それがいまいち分かっていない感じで。


そういう時には、・・例えば、兄弟をつねって泣かせたりしていた時には、本人にも同じようにして、「こういう風に痛いんだよ、わかるでしょう、いやでしょう?」と言って教えていました。

(別に、これを人にお薦めするわけではないですが)


まあ、客観的に見たら、体罰に見えますよね、って話です。


当然、同じようなことが学校であったとして、


兄弟が友達になっただけ、お母さんが先生になっただけの話です。


先生が次男をつねっても、多少叩いても、「どうぞよろしくお願いします」って感じです。


(ちなみに、そうやって育てた次男ですが、今は彼なりに、とても人の気持ちを考えてくれる、非常に優しい子に育ちました)


だから、簡単に、ひとつのシーンだけを取り上げて、


「あ~、体罰ね~」

「あ~、虐待ね~」


って、「アレね~」って言ってしまうことの怖さを思うのです。


ある種の状態に、わかりやすく「レッテル(ラベル)」を貼る。


その「ラベル」のイメージが、良くなったり、悪くなったり、流行ったり、廃れたりすることで、みんなの心って、結構、左右されてしまうのではないかと思うのです。


「バツイチ」や「イクメン」などの言葉が広がると、そういうことが当たり前になって、それが増えていく

(その状況が増えているから、そういう言葉が生まれるのだと思いますが、その言葉が生まれるとさらにその状況に拍車がかかる、というのはあると思います)


「体罰」や「虐待」という言葉がフォーカスされると、それが過剰に意識されて減る


でも、「バツイチ」「イクメン」「体罰」「虐待」・・なんでもそうですけど、ラベルは一つだけでも、その中身の状況は、千差万別なわけで。


それこそ、実は簡単に、良いとか悪いとか言えないこともあるんじゃないかと思います。


ラベルだけ見たのでは分からない、個別に、その中身、状況を見る姿勢を忘れずに、というお話でした。


私もそういう姿勢で、ご相談に乗れればと思っています。


何か参考になりましたら、幸いです^^☆


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2024年03月20日

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