金魚鉢でクジラを育てる。



kinngyo



カエルの子はカエルと言いますが、トンビが鷹を生む、ということわざもあります。

たまに、金魚がクジラを産むようなことが、世の中にはあります。

これはなかなか苦しい事態を引き起こします。

能力というよりは、魂のスケール感とでもいいましょうか、それが、親よりも相当大きな子が産まれる場合があります。


たとえば、親は、箸の持ち方が違うとか、教科書が逆さまに本棚に入っているとか、そんなことばかり気にするタイプで、子供は、どうしたら世界は戦争がなくなるのか、なぜ人間は過ちを繰り返すのか、そんなことばかりを考えている、というパターンです。



子どもの方が魂が純粋ですし、大人は生活することに忙しいですから、どうしても、そういう傾向はありますが、その状態がずっと続いていくような場合、これはなかなか子どもにとっては辛いのではないかと思います。



たとえて言えば、金魚鉢の中で、クジラを育てているようなことになります。


「おかあさん、ぼく、もっとしょっぱい水がいいな」と言われても、意味がわかりません。

「頭がムズムズするから、潮を吹いてみたいんだ」といっても、「馬鹿なこと言ってないで、ふわふわキレイに泳ぐ練習をしなさい、そもそもどうしてあなたは赤くないの」と叱られる。


「ぼく、海に行ってみたい」なんて言おうものなら、「あんたはどこまでバカなの!あんな危険なところ!ここなら安全に餌をもらって過ごせるのよ」と、全く取り合ってもらえない。

そんなクジラは、金魚にもなれず、金魚鉢でノイローゼになるか、もしくは家出するしかないと思います。


この場合の解決法は大まかに2つあって、ひとつは親の方が、クジラの心に近づくこと、金魚からクジラの心に、自分の心を育てていくこと。

もうひとつは、それが無理な場合は、金魚鉢という、自分の狭い価値観から解き放って、社会という大海に、放りだしてしまうことです。


そこでは、いろんな危険もあるかもしれませんが、様々な経験や冒険をしながら、クジラの仲間に会える可能性がぐっと高くなります。


100%クジラに会えるとは言い切れませんが、少なくとも、金魚鉢の中で一生を終えるよりは、遥かにクジラの魂は救われるでしょう。



kujira




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