「働く」という「感覚」。

知的障がいを持つ次男、今、高校二年生なのですが、


中学校の時に、こんなことがありました。



中学校に入学した時に、「若草」という特別支援のクラスに


入れていただいたのですが、そこに、2学年上の先輩がいました。


男の子でしたが、仮にB先輩としましょう。


B先輩は、数学(算数)が苦手でした。


うちの次男はかけ算九九はできるのですが、


B先輩は、できませんでした。



個人面談の時に、担任の先生は、次男と私に言いました。


「君は、かけ算九九が出来ます。B先輩は、できないです。


でも、そのことと、「働く」っていう感覚を持つ、というのは


別の話なんです。


例えば、昨日、きみに、「働く時に、何が大切ですか?」と聞いた時に


「分かりません」って言ったよね。


B先輩に同じ事を聞くと、


「遅刻しないこと、さぼらないで集中して作業すること、


わからないことは聞く」


って、そういう答えが返ってくるんですね。


そして、「働いて、お金を貯めて、好きなものを買いたい」って言うんです。


「働く」っていうことが、どういうことなのか、


だんだんと具体的に、わかってきてるんですね。


これが大切なんです。


この中学校の3年間で、それを身につけてもらいたいと思っています。」


そのようなことをおっしゃいました。



その時には、いま一つピンと来ませんでしたが、


今になると、本当に良く分かります。



今、知的障がいを持つ、うちの次男は高校二年生。


長女は、中学一年です。


学力的には、長女の方が上です。


長女の方が、言葉も沢山知っているし、人間関係もうまくやりこなします。


しかし。


やはり、「働く」という感覚という部分で言うと、


圧倒的に、次男の方が上なのです。


今、通っている高校(高等学園)が、職業訓練校みたいなところなので、


なおさらに、日々その感覚が磨かれていきます。


「報告・連絡・相談」は、もはや合言葉のようになっています。


「見通しを持って作業をする!」とか、


「わからないことがあったら聞く!」とか


「自分で考えて動くんだよ!」とか


先生からいつも言われていることを、


先生の言っているイントネーションもそのままに(笑)、


我が家でもくりかえし唱えて、


それを家の手伝いにも生かそうとしているのが


伝わってきます。


学校でやっていること、家の手伝い、それらが全て


社会で役に立つことだと、わかってきています。


そして、それは普通の高校では学べないのだということ、


自分は、この高等学園(ほぼ職業訓練校)だからこそ、


そういう「働く」という感覚を、事細かに教えてもらっているということ、


そのことに、感謝の気持ちを持てるようになって来ました。



正直言って、高校を出ても、大学を出ても、


アルバイトでもしない限りは、「働く」ってどんなことか、


どんな感じなのか、分からないと思います。


そのことを学校で教えてもらえるって、本当に良いなと思います。


障がいのあるなしとか関係なく、


これからは学校でも(特に高校・大学・専門等では)


教えていくべきことなのではないかと思います。






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