お問い合わせ |
今晩はこれから「切る祈り」を実施します。
切り捨てたいものや関係性、減らしたいもの、無くしたいもの、脱却したいことなどがあれば、掲示板に投稿してください。
掲示板に投稿された願い事が叶うように、祈願させて頂きます。
水って、三つの形に変化しますよね。
液体の「水」、固体の「氷」、気体の「水蒸気」。
そんな風に人間のエネルギーも、三つに変化するのだと考えています。
生きている、命がある、ということが、基本のエネルギー。
基本に一番近いものが「時間」。
そしてそれが変化して、「お金」や「モノ」になる。
簡単に説明しましょう。
(人によってはこの設定からはみ出る場合もあるかもしれませんが、あくまでも基本的な捉え方です)
「時間」・・自分の好きなように使える時間、です。
これを、「仕事」という形で、社会や他人に提供した時に「お金」になります。
つまり「時間」を失って、「お金」を得るということです。
「モノ」・・これはサービスも含みます。
「お金」を失って、その代わりに、「モノ」や「サービス」を得ます。
そして「お金」。
みんな、「お金」は一番大事なものみたいに思ったりしますが、
たぶんそれは勘違いだと思います。
「お金」は、この「時間」と「モノ」をつなぐためのかけはしです。
あとで、「何か(モノとか時間とか)」に取り替えるからね、という約束です。
約束は実行されなくては何の意味もありません。
ただの紙切れであり、丸型の金属であり、紙に書かれた数字です。
つまり、何かに変換されなくては、何の意味もありません。
なんか、こういう風に書くと、「ただ持っていても仕方ないから、じゃんじゃん使っちゃえ!」みたいに聞こえるかもしれませんけど、そういう訳ではなくて(笑)。
こういう時代ですからね、貯金なんかもあると安心ですよね。
保険をかけておくとかね。
そういうも、お金が「安心」に変化している形だと思います。
(ただ、溜めても溜めても、老後必要なお金は2000万・・なんて言い出す政治家もいたりして、いくら溜めても不安になるばかり・・なんてことも起こったりして、なかなか難しい問題です・・。)
お金って、大事ですよね。
それがなくては、衣食住もままならないもの。
この社会では、それがなくては、文字通り、生きていけないもの。
けれど、「お金」を得るためには、大事な「時間」を削っている。
人生そのものを削っている。
きっと人生は、「楽しく時間を過ごしていく」っていうことが、最大のテーマなのかなって思うんです。
「楽しく」のために、「モノ(サービス)」が必要なこともあり、そのために「お金」が必要なこともある。
でも「モノ」を取る時に、「時間」は減る。
うっかりすると、「楽しい『家』」を作るために、住宅ローンとか、新車とか、あれこれ「モノ」に気が向きすぎて、「楽しく過ごす『時間』」が、かなり削られてしまう、なんてことも、十分あり得る。
だから、時々、この「時間」「お金」「モノ」の三要素、何かを取った時に、何かが失われる可能性、というのを、ちょっと意識してみて頂けるといいかなと思います。
どういうバランスで暮らしているかなって。
ちなみに、私も博史先生も、かなり「時間」に重心を置く派です^^☆
なぜ「源氏物語」を学ぶのだろうと、中高生の時には思っていました。
もう、古文とか、現代人は使わないじゃん、って。
くー・から・くー・かり・しー・きー・かる・けれ・かれ(だったかな?)
とか、古文の活用形とか覚えても、一生使わないじゃん、って。
他にも、学校で学ぶことの中には、そういうことって沢山ありますけど、
この「古文」っていうものも、
「なんでこんなものを学ぶのか?」という
謎の1ピースでありました。
で。
それから20年程がすぎて。
ある時に、はっきりしたタイトルは忘れてしまったのですが、
「2000の願い」というようなタイトルの本に出会ったのです。
それは、自分がやってみたいこと(著者の思いついたもの)が、
ただひたすらに、箇条書きで書いてある本でした。
その「やってみたいことリスト」の中に、
「学生時代にさっぱりわからなかった古典というものが
どうして何百年も残っているのかということを、自分が理解ができるかどうか、
もう一度読み返してみる」
というような言葉があったんですね。
なんだか、素敵だなあ・・と思って、書き抜いておきました。
それで、実際には、全くと言っていいくらい、それから古典には触れていないんですが。
そのあと、いくつかの、パズルのピースのような出来事がありました。
もう7~8年前になりますか、近所に住むおばさまがお出かけのようだったので、
「おでかけですか?どちらまで?」と声をかけたところ、
「本当に、ただの趣味なんですけど、古典を習ってまして。
今、源氏物語をやってるんです。おもしろいんですよ~」って。
とっても品のある方だったんで、
(いや~私みたいなんは、住む世界が違うわ~)と。
ただただ感心して終わっただけなんですけど。
最近もありました。
知り合いのおじいさまが、その方も学のある方なんですが、
「最近は何をやってるときが楽しいんですか?」
と聞いたら、「古典を読んでるときだね~」とか言うわけです。
(出た!古典!私の手の届かないやつだ!)
ということで、続けて質問。
「古典のどこがおもしろいんですか?」
「どこって一言ではいえないよ~」
「そこをなんとか一言で~」
「・・人間が描かれているところかなあ。
喜んだり、悲しんだり、馬鹿なことをしたりね。
人間って、昔から変らないんだなあと思うと、ほっとするわけ」
みたいなことを、おっしゃってましたね。
私はまだ、古典からはそれを感じられていないんですが、
前に、博物館に行った時には、似たようなことを思いました。
飾ってあるものって、刀とか、器とか、棺おけとか、おもちゃとか、そういうもので。
要するに、人間って昔から、
生まれて、遊んで、年を取って結婚して、子供産んで、戦いをして、
食べて、お酒飲んで、病気なんかして、祈ったりして、死ぬ。
ただひたすら、これを繰り返して来たんだなと。
そして、それは今だってかわらないよね、と。
それと同じようなことを、感じていらっしゃるのかなと思いました。
(文章であるだけに、もっと深いものであると思うのですが)
そしてもって、昨日。
「文藝別冊 永久保存版 河合隼雄」という本を読んでいたんですね。
(河合隼雄さんというのは、日本のカウンセリングの第一人者です)
その本に、出てきたんですよ、「源氏物語」が!
その本の中で、島内景二さんという方が寄稿している『「源氏物語」と日本文化』
という論文?なんですけど。
一部、引用したいと思います。
斜め読みでも構いません。
「源氏物語」って、なんかわからんけど凄いのね~
という感触だけ、味わって頂ければ(笑)。
『「源氏物語」という文学作品がある。
この作品は、喩えて言えば、一本の巨木のような存在である。
ある日ある時、草原のただ中にどこからか「種」が運ばれてきて、発芽した、
太陽光の恵みを受け、土中のさまざまな「養分」を吸い上げることで、すくすくと成長した。成長しつつ形を変えつづけ、遂に現在見られるような姿となった。
見事な開花に引き続いてたくさんの果実を結実させ、それが大地にこぼれ落ちては発芽し、巨木の周囲には無数の「子どもたち」が誕生した。
(中略)
日本文化という大草原に萌え出た草木は膨大なものがあるが、「源氏物語」ほどの巨木は江戸時代まで見当たらない。近代の夏目漱石や森鴎外の林がどこまで育成しているかは「源氏物語」と比較しなければならないが、まだ十分にはなされていない。「源氏物語」を読むことで、どのような日本文化の普遍性を発見できるか、紫式部という文学者の個性にどこまで接近できるか、まさに研究者の腕の見せ所である。それは、「源氏物語」という作品の「母体」を文化史的に定位することで初めて可能となる。あるいは「精神史的」なアプローチと言ってもよかろう。(中略)』
もうちょびっとですからね、頑張って斜めに読んで下さいね(笑)。
『「源氏物語」が他の作品群と決定的に異なる特殊性は、「作品自体が成長し変わり続けた」という側面にある。第一部の華やかな青年の恋愛譚が、第二部では「苦悩する翁」の内面ドラマへと変わり、第三部(宇治十帖)では「第一部と第二部を乗り越え否定する新しい『源氏物語』」の創作が試みられる。一つの作品でありながら、これほど中身が変貌した例は、他にない。作品が変わったのは、「書く」ことによって作者の内面世界が変貌したからである。そして「読む」ことによって、読者の人生も変わってしまう。「源氏物語」を原文で通読し了えた人間は、誰しも読み始める前と異なる「人格」を自分が獲得したことを認識するに違いない。読者を変える力をいつの時代でも変ることなく行使しつづけてきた点にこそ、「源氏物語」の「普遍性」の真髄がある。(後略)』
なんか、凄くないですか。
という雑な言葉で、やっつけて逃げてはいかんですね(笑)。
届かぬながら、もう一息、頑張って自分の言葉で説明してみます。
まあ、要するに、この後の話としては、「河合隼雄」さんというカウンセラー第一人者の方は、この「源氏物語」をユング心理学、という側面から解剖して、源氏物語の中の、この人は、この出来事は、こういう意味をもってるんだ、という説明をしたわけですね。
それが、「紫マンダラ」という本なわけです。
そして、この引用の始めのほうにあった、
『巨木の周囲には無数の「子どもたち」が誕生した。』
という、「子どもたち」、の一つなわけです。「紫マンダラ」は。
おそらく、この引用に載っていた説明(解釈)も、「紫マンダラ」も、無数にある解釈の中の一つなのだと思います。
この「源氏物語」という話は、例えば、「日本文化史」とか「女性史」とか、その他にも、実に様々な側面から研究したり、解剖や解釈などができる、それに耐えうる凄い作品なんだ、という風に、私は理解しました。
学校の先生に、お願いしたいことがあります。
もし、これを見てくださる、先生がいたら。
例えば、源氏物語を教えるとしたら、最初の10分でいいから、こういう話をしてほしいんです。
そこから、生徒達は何十時間も、この「源氏物語」に時間をつぎ込まなくてはならないわけです。なんの意味も感じられずに取り組む子も、たくさんいるでしょう。(わたしもそうでした)
この「くー・から・くー・かり・・」の活用と、自分の人生が、一体どういう関わりがあるのか?
一生古文とかやらないと思うから、何にも関係ないと思うけど?
そうして、意味も訳もわからず、悶々と古文に向き合うわけです。
そうしたら、きっと、何かよほど縁がなければ、一生古典なんか読まないでしょう。
これを読んでくださる先生がいらっしゃいましたら、
どうか、源氏物語を始める時に、
「今日から源氏物語をやります。
はい、教科書の8ページを開いて、○○さん、音読してください」
なんていう風に、始めないで下さい。
「源氏物語」が、どうして長い長い時を越えて生き続け、皆に愛読されているのか。
その秘密を、そして、それを学ぶあなたにも、いつかその秘密がわかる日があるかもしれないことを、少しでもいいから語ってから、授業を始めてほしいのです。
今から学んでいく、「源氏物語」(古文)というわけのわからない言葉やストーリー、それがもしかしたら、自分の人生にも関わりがあることなのかもしれない、そう思えるだけで、それを学ぶことの意味を感じられる生徒は、きっと増えると思います。
源氏物語が好きな先生なら、どういう風に好きかを、1時間語ってしまったっていいと思います。
生徒はきっと、将来、「源氏物語」の本文そのものは、ほとんど忘れてしまうかもしれないけれど、先生が「源氏物語」について熱く語っていた、そのことだけは覚えていたりすると思います。
かの有名な金八先生が確かこんなことを言っていました。
「教育というのは、教わったこと全てを忘れても、それでもなお残っているものをいう」と。・・正確かわかりませんが、たしかそんな台詞。
そして、そんな先生の『熱血「源氏物語」論』を聞いた生徒は、きっと年を取って、少し人生が落ち着いた頃、図書館で「源氏物語」を手にとってみる確率が、他の先生に教わった子たちよりも、きっと高くなると思います。
受験に受かるということだけではない。そこまでを見通しての「教育」っていうもんなんじゃないでしょうか。
これは、国語の先生に限ったことではありません。
数学の先生もそうです。
ルートなんて、日常生活で全然使わないのに、どうして勉強しなくちゃいけないのか。
中学で、私がそれを問うた時、先生は誰も答えてくれませんでした。
でも、それから長い長い時間が経って、40も過ぎた頃になって知りました。
電気の技師や、建築家の人は使うんだ、って。
柱の耐震強度とか計算する時に使うんだ、って。
リアルにこの世界で使っているんだと知っていたら、死ぬほど数学が嫌いだった私ですが、もう少し、数学も、おもしろかったのかもしれないな、と思います。
先生方も忙しくて、いちいちそんなこと知らないよ、教えてられないよ、というのが本音かもしれません。
だから、いつもいつもじゃなくてもいいから、時々でもいいから、
「なぜ、これを学ぶのか。どうして、どういう風に、それが役に立つのか。」
そのことを、子供たちに語ってあげてほしいと思います。
そしてそれはきっと、めぐりめぐって、先生自身がお仕事をする上での力にもなるのではと思っています。
30数年前の学生から、あの時言えなかったことを、先生へ。
もし聴いて下さって、そうだなあと思う先生がいてくださったら、
ありがとうございます!!
先生も、子供たちも、楽しく学びあうことができますように^^☆
双子座の方(5/22~6/22生まれ)の方、必見!
双子座以外の方も、
家族や友達に双子座の方がいる方、
きっとお役に立ちます☆
何かの時に、「今年はこんな年らしいよ~」と教えてあげたり、
(今年は、この人はこういう年だからなあ・・)と思って
見守ってあげたり、
そんな風に使ってみてください^^☆
双子座 上半期のテーマ
隠された問題・棚上げされていた問題の解決
・自分の心に素直に、ひたむきに上を目指す
・好奇心、探究心を大切に
仕事
転職も良いです。
上半期に方向決めをするといいでしょう。
上半期(2月下旬~4月)はやる気が高めになります。
仕事の、のめりこみすぎには気をつけましょう。
恋愛
モテ期、到来です!
お互いを高めあえる出会いや、自分の成長を促してくれる人に出会えそうです。
上半期だと、1月、2月半ば~3月前半が良いです。
人間関係
良いです。仲間や目上の人からの引き立てがあります。
上半期だと、3月中旬~6月上旬が良いです。
金運
よく考えて使いましょう。
目先の損得より、自己成長のための使い方を。
上半期だと、1月~2月半ばが良いです。
その他
3月中旬~6月上旬、長い間の問題を、根本的に解決できます
☆ 双子座さんは、前半⇒後半で、木星が12ハウスから1ハウスに移動します。
12ハウスは「見えない世界」を表す部屋。
1ハウスは「自分自身」を表す部屋。
木星は、幸運と拡大の星。
その星が、「見えない世界」から「自分自身」へ来るというのは、とても印象的な移動です。
なにか下半期には、長い夜が明けたような感覚になるかもしれません。
上半期のテーマ、隠された問題、棚上げされていた問題の解決、というのは
下半期への飛躍の準備ともいえます。
『空気を積極的に読もう』
これが世間一般に流布された考え方なのでしょうね。
『空気をうまく操っていこう!』
これが先日、和香葉先生が提案した発想です。
そこには会話の流れという意味合いもありました。
そして、私が日々実践しているのは『空気鑑賞』です。
そもそも、空気って見えないものですよね?。
見えないものを読めということは、”表示されていない暗黙の何かを分かれよ” ってことだと思うんです。
ふと、「誰メリット?」「誰から指示?」って思うわけですよ。
”みんなのメリット”というのが、ありがちな答えなのかもしれません。
あるいは”立場のある人達のメリット”ということなのかもしれません。
”みんな”とか、”立場のある人”とか、わたし結構どうでもいい派なんですよ。
そういうと、”全体の利害や秩序、権威者の意志を尊重できない人間は、周囲から煙たがられると思うけど、それってデメリットだと思わない?” とかいわれそうですね。
確かに、属する社会や周囲からの評判、立場ある人に評価されることをメリットと捉え、それを追い求める人々にとっては、そうなのかもしれません。
わたしは、その感覚が基本無いんです。
だって、属する集団や権威からの評価・評判、そういうものにメリットを感じる人々というのは、自分の意見を元々あまり持っていないか、持っていたとしても、多数派や強い者が現れると、丸めてゴミ箱へ捨ててしまったりする程度のものでしかないわけで。彼らは常に周囲の動向に流されながら、いわしの大群のような行動原理で動いているわけで、「いわしの一生」を満たすためのものでしかないと思うんですよ。
別にいいと思うんです。
”空気を読む”ということを「集団原理に従順であろうとすること」と言い換えるならば、それも、その人が選んでいる生き方であり、その人の人生ですから。
色々な人がいますよ、そりゃ。
いわしの大群もあれば、一匹狼のエイ、能天気なマンボウ、臆病なヤドカリなど。
イチ推し(していいのかどうなのか分からないけれど)の空気との向き合い方は、『空気を鑑賞する』です。
映画鑑賞や、美術品を鑑賞するような感覚で、空気を両手にとって、色々な角度から眺めてみる。
ああ、今はこういう空気が流れてるんだあ、ふ~ん。
あれ?、さっきまで白い空気流行っていたのに、今は黒い空気なんだあ。
青い空気に染まっていないと、叩かれちゃう時代なのね。
誰得なんだろう。
あれ、赤い空気どこいった?
あー居た、つぶされてる!(笑)。
という感じで。
みんなが作っている空気という名の作品を、感心しながら素通りしていく。
日々日々作られ、そして消えて行く『空気』。
それでこそ『空気』
そんな空気の森の中を、風を切って歩いていく。
そんな感じですかね。