ギフテッドの哀しみ。(後編)

そうして、どんどんヨーヨーの腕をあげていったYちゃんでしたが、


中学2年生の頃だったか、法事で会った時には


小学生の頃の無邪気さは全くなくなっていて、


前髪を凄く長く伸ばして、人との関わりを断っているよう


見えました。



これはYちゃんのお母さんから聞いたのですが、


Yちゃんは「場面かん黙」というのを持っているそうです。


これは、いつもは普通にしゃべれるのに、


ある特定の場面でのみしゃべれなくなる、というものです。


Yちゃんは、どうしても、


「おはようございます」「こんにちは」「ごめんなさい」などの


人前での挨拶になると、言葉が出なくなってしまうとのことでした。



Yちゃんの才能に期待していたお母さんとしては、


例えば、Yちゃんが「ヨーヨー芸人」になるとか


「ヨーヨー教室」をやるとか


「競技ヨーヨー」で賞を取ってくるとか


そんなことも夢見ていたようでした。


けれど、どの場所に行っても、「あいさつ」は大切。


ヨーヨーは凄く上手い。頭だって悪くない。


顔だって可愛い。ふつうにしゃべることもできる。


それなのに「こんにちは」が、きちんと言えない娘に、


お母さんはイライラしている部分もあったようでした。



あれから3年ほどたちますが、


そのYちゃんやお母さんと、しばらく連絡が取れないのだと


伯母から聞きました。


伯母が心配して、隣町のYちゃんの家を訪ねてみたところ、


庭や玄関に雑草が生えていて、


人が住んでいないような雰囲気だったそうです。


空き家


結局そのまま音沙汰が無くて、


どうしているのか分からないそうなのですが、


ちゃんと幸せに暮らしているのだろうかと


なんとなく心配になりました。




発達障害の子は、時に、人には真似できないような


凄い才能を見せることがあります。


しかし、それがあまりにも奇妙だったり、


あまりにも狭すぎる分野だったりすると、


社会的には何の役にも立たないようなこともあります



例えば、奇妙な、という例で言えば、


トイレの便器の形の種類を覚えるとか。


狭すぎる、という例で言えば、


ある特定のゲームの攻略だけがうまい、とか。



Yちゃんのように、もっと有用な特技であっても、


別の苦手さで、それを生かせないようなことがあったり


場面かん黙も、だんだんと緩和されていったりするので、


焦らないでじっくり取り組めば良いかと思うんですけどね。




凸凹の大きい子って、光る部分と、欠けている部分の


落差が大きいだけに、育てる方も大変さがあると思います。


(うちにもそういうタイプの子がいますし


自分自身もそういう人間なので・・)



でもそこは、焦らず、あきらめず、


そして、何よりも、「本人の思い・願い」を大切に


育てていくことが大事なのかなと


このことを通して、改めて思ったのでした。



発達障害・発達凸凹などについて


何か少しでも参考になれば幸いです。






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