旧暦3日にあたる、明日8日は、掲示板にご投稿頂いた願い事の成就を祈る、結び繋ぎの祈願を行います。

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hitoribocchi



先日、ある学生さんの相談を受けました。


女の子です。



彼女は、学校に行きたくないとのこと。



話を聞いていると、


「学校に行く、楽しみがない」と言いました。


よく聞いてみると、部活は楽しいとのことだったんですが、


その日は、部活がない日だったんですね。


部活以外に楽しみにできることがないから、


部活のない日は、何を楽しみに学校に行ったらいいか、


わからないようでした。



授業は? 給食は? 休み時間は?


などと細かく聞いていくと、彼女は、


「休み時間は、私、「ぼっち」なんですよ」と。


「ぼっち」っていうのは、「ひとりぼっち」ってことですね。



さて、これを読んでる子育て中のお母さん。


もしくは、カウンセラーさん。


次は、どう出ますか?



うっかりやりがちかなと思うのは、


(そうか~、ひとりぼっちなのか・・。


それで、寂しくて、学校に行くのがつまらないんだな・・。


よし、休み時間が楽しく過ごせるように、


なんとかお友達を作れるように、持っていってみようか。)


という導き方。


結構、ありがちなパターンかなと思います。



でも、実際には、外から見て「ぼっち」じゃなくても、


楽しそうに友達と休み時間にワイワイ盛り上がっていても、


心中は穏やかではない、という例も知っているので、


そして、「ぼっち」に見えても、実はその子なりに


かなり充実して過ごしている例もあるので、


私は、彼女に聞きました。


「ぼっちは、いやなの?」って。


すると、


「別に嫌じゃないです。


学校は勉強しに行くところだと思っているから」


その後も、いろいろと話を聴いていると、


問題は、「授業が楽しいと思えない」ということのように


感じました。


まあ、授業って、本人が知りたいこと、学びたいことでは


なかったりするから、仕方ない部分もあるんですけどね・・。


でも、「技術」で、釘とかなづちで作業!とか楽しいようなので、


彼女なりに、何か別の教科の中にも、


そういう楽しみを見つけられたら良いのかなと感じました。


もしくは、授業じゃなくても、友達とのお喋りじゃなくても、


それ以外の、何か、楽しみ。


ちなみに私は、小学校の時のやすらぎの場は、


用務員さんとのおしゃべり。


高校のときは、倫理の先生とのおしゃべり、


警備員室、もしくは保健室。


そういうのでも、良いとおもうんですよね。


人間観察でも良いでしょうし、


先生とのおしゃべりでも良いでしょうし。


博史先生なんかは、学生時代は、


休み時間はひたすら本を読み倒していたそうですよ。



教育の話は深くて、話し始めるときりも果てもないのですが、


とりあえず、今日の話を一言でまとめちゃうと、


「ぼっち」が悪い(悲しい)こととも限らないんじゃない?


ってことと、


そういう思い込みで、そっち側へ導くような話し方をしないように


ちゃんと本人の、そのままの気持ちを確認することが大事


ってことでした。



何か、活用して頂ければ嬉しいです^^☆






hirameki



毎週水曜日あたりに更新しています、強み診断。


今回は、都合により火曜日になりましたが。


今回は、「ひらめき」です。




特徴


・自分はひらめきやアイディアの人である


・関係なさそうな2つの物事が、頭の中でバチッとつながることがある


・皆がなかなか解決できずにいる日常的な問題に対して、新しい見方をする


・そのひらめきには、深い意味があり、斬新で、わかりやすいものである


 


行動アイディア


・マーケティングや広告、ジャーナリズム、デザイン、

新商品の開発など、あなたのアイディアが功績になり、

それで対価を得る仕事をしましょう


・あなたはおそらく飽きっぽいので、

職場や家で小さな変化を起こしましょう。

実験したり、頭脳ゲームをすると、良い刺激になります


・アイディアは頭の中でまとめてから、

誰かに伝えましょう。

着想の低い人は、アイディアの一部だけを聞かされても、

全体が掴めないので、拒絶されてしまうかもしれません


・あなたのアイディアが全て現実的、

または実用的なわけではありません。

アイディアを編集することを学びましょう。

また、あなたのアイディアを「検証」して、

落とし穴がないかどうか探ってくれる、

信頼できる人を見つけましょう

(戦略性や分析思考の人がいいかもしれません)


・どんな時アイディアが生まれるか知っておきましょう。

読書している時?

人の話を聞いたり観察している時?

あなたが最高のアイディアを生み出せる環境を書き留めておき、

それを再現しましょう。


・読書をしましょう。

他の人達のアイディアや経験は、

あなたの新しい発想のもとになります。

考えることはあなたを活性化させるので、

そのための時間を取りましょう。

収集心、コミニケーション、学習欲、

原点思考、思索、分析思考の人たちなど、

新しいアイディアの種をもたらしてくれそうです


・調査や開発といった仕事向きです。

夢やビジョンを持つ人の考えがよくわかるはずです。

想像力に富んだ仲間とおしゃべりや議論をしましょう。

未来志向の人と話すと盛り上がりそうです



・分析思考の高いパートナーと組むと良いです。

質問を投げかけてくれ、アイディアを強化してくれます。


・あなたの(抽象的で概念的な)考えに付いてこられない人たちのために、

図にしたり、例え話を用いたり、

順を追って分かりやすく説明したりして、

アイディアを具体的に伝えましょう


・知識を集めて着想の糧にしましょう。

自分の専門とは異なる分野も学びましょう。

新しいものを生み出すために、

外部から得たアイディアを使ったり、

様々なアイディアを結びつけたりしましょう


 


私も、博史先生も、かなり、「ひらめき」の人です。


ちなみに私は、友人から「打ち出の小槌」というあだなをもらってます(笑)。


ちょっと振ると、なんかアイディアが出てくるっていう(笑)。



いい機会なので、どうしてこんな風に、


いっぱいアイディアが出てくるんだろうと、


改めて考えてみました。



それはたぶん・・あんまり、既成概念にとらわれてないから。



例えば、ここにきゅうりがあって、


それを食べよう、ということを考えます。


一般的な思考回路の人の場合は、


包丁で切ろう」と思うと、「包丁」を必死で探します。


切れないと、研いでみたりします。


(あくまでもたとえ話です。


きゅうりが切れない包丁って、なかなかないと思うので・・(笑))


それでもダメだと、果物ナイフなどを探します。


どこにしまったっけ~、たまにしか使わないからな~、と


必死で棚の奥まで探し始める。



でも、私だったら、「切りたい」んだったら、


別のものでも切れるんじゃない?


って考える。


洗って使えば、カッターでも、はさみでも、いいんじゃない?


っていうか、まな板の上に置いて、スプーンとか、


お好み焼きのへらとかで、グサッってやったら切れないかな?


っていうか、「切る」じゃなくて「細かくする」なら、


ビニールに入れて、すりこぎ棒で叩けばいいんじゃない?


っていうか、もはや、「栄養をとる」ってことでいえば、


そのままかじれば良くない?


・・わかりやすいので、きゅうりにしましたが、


あらゆることが、そういう思考回路。



不登校とか教育問題についても、いろいろ考えてきましたが、


結局、この考え方が基本です。



「大人になって、自分でご飯を食べられて、


社会と繋がって暮らすことができる」


これに、全て集約されてると思っています。



だから、そういう風になってこないようなら、


学校にいっている意味ってあまりないような気がしますし、


逆に、そうなるならば、


学校以外の場でも、全く構わないと思っています。


でも、設備とか、先生がいるとか、友達がいるとか、


人間関係があるとか、部活とか、


やっぱり家では用意できないもの、


他の場所でも簡単には用意できないものもあるから、


可能であれば、学校にいけたらいいのかなとは思います。



ちなみに、上の考え方でいくと、


難しい漢字を正確に書ける必要とか全く無くて。


(っていうか、ほとんど、電子メールとかで、


変換するので、実際、自分で書けなくても良いですよね?


困った時には、スマホで見ながら書けば良いし!)


ほんと、正直言うと、漢字練習を沢山させてる暇があったら、


もっと別のことを教えたほうが、実用としては良いと思ってます。


読むことに特化するとか、もしくは、


漢字の成り立ちとか勉強しても面白いかも。



そんなわけで、


「ゴール」が見えていること


(結局それはどこがゴールで、そのために何をすればいいのか)


それと


本質的にどういうことなのか


(きゅうりの話だったら、本質は「包丁」ではなくて


「切る」もしくは「細かくする」、なんなら「栄養をとる」)



この二つを抑えていることで、


アイディアのひらめき方がぜんぜん違いますし、


考え方や選択肢の幅も、凄く広がる気がします。


(なんか書いてて、有料級な情報な気がしてきました・・(笑))



まあ、こういう私たちなんで、


「そもそも、なにがなんだかよくわかんなくなっちゃいました・・」


みたいなご相談、


きっと、本質(一番大事な部分)は、ここじゃないですか?


というものを、一緒にさがすことは、


他の占い師さんやカウンセラーさんより、得意かなと思います^^☆



初回50分、無料ですので、お気軽にご連絡くださいね☆




博史先生の語り。

2024年06月03日



kousha



時々、博史先生と、教育の問題について話します。


今日もそんなことを話してまして、


博史先生がこんなことを言いました。



「僕の中のインナーチャイルド(インナー中学生)が、


もし、先生に、こういう風に言ってもらえたら、


中学校の理不尽さも納得いったのに、という台詞があります。


(先生に、正直に、こういう風に言ってほしかった、ということ)」



私も、そうそう!と思うのですが、なかなか言葉になりきらなかった。


それを、博史先生が、上手に言語化してくださいました。


めっちゃ、正直すぎる先生が、


本音で、生徒に語りかけるイメージですね。



「世の中はそもそも理不尽の塊なんだ。


学校生活の中でいろいろな理不尽を目にする事があると思うけれど、


それは学校というものが、この社会の一部である以上、


仕方の無い事でもあるんだ。


君たちが勉強していることは、


教科書の内容を読んだり書いたりすることだけではなくて、


この社会のゆがみやひずみ、理不尽さというものを、


それと同時に感じ取り、学べる環境でもあると思うんだ。


だから、学校生活で感じた世の中の理不尽さというものを、


社会に出た時に、おそらくさらに目にする事になって


苦しむ場面もあると思うけれど、


その時、僕たちが生きているこの社会を、


どうしていったらいいのだろう、とか、


私にはなにができるのだろう、


ということを考えられる人になって欲しい。」



「学校で教わることの多くは、おそらくあまり役には立たない。


実際に役に立つのは、そのうちのほんの数パーセントだと思います。


人間はとても価値があると感じていることを学ぶことは楽しい。


価値があるのかどうかがあやふやであったり、


無知ながらにも、


これはおそらく役に立たないとわかっていることを学ぶことは、


誰にとっても苦痛を感じさせるものなのだ。


それはそうなんだけれども、学校で今、できる体制としては


こういう形しか難しいんだよな。ごめんな。」



と、このくらい言ってくれたら、


中学校で、なんだが引っかかっていた違和感とかも、


和らぎましたよねえ~、と。


二人で話していました。



これに限らず、


私はあらゆることに、微妙に引っかかって、


疑問を持つ人なんですけど、


どんな事を聞いても、大概、95%くらい


博史先生は答えてくれます。


それだけ、いつも日常を観察して、分析して、


自分の中で答えを蓄えています。



博史先生は、私に訊かれて、


初めて自分の中にその答えを持っていたと気づくことも


結構あるようです。



何か、


モヤッとしているあのことについて訊いてみたい方、


上手に言語化してくれる、


仙人のような、森のふくろうのような、


博史先生に、気軽にお電話いただければと思います!







books3



このシリーズの最終回になります。



「ごはん」の本、「おやつ」の本、という


カテゴリについては、前回でお伝えしました。



で、これを、いつどういう風に読むか、ということがあります。



まず、みなさんにお聞きしたいんですが、


もしかして、


(本って、読み始めたら、それをまず、

最後まで一冊、読みきらないといけない)


みたいな思い込みって、持ってないでしょうか?



この考え方をブレイクスルーできるのが、


この「ごはん」と「おやつ」の本、


という考え方なんですね。



一日のうちに、「ごはん」も食べるし、


「おやつ」も食べるじゃないですか。



そういう感じで、本を読んでいくんですね。


いわゆる「並行読み」ってやつです。



生活の中の、どの時間に、


「ごはん」の本、「おやつ」の本を


持ってくるかは、その人の生活スタイルによって変わります。



とにかく、イメージとしては、



「ごはん」の本は、集中力が高く、少しまとまった時間が取れる時に。


「おやつ」の本は、2~3分の隙間時間でもOK!


そういう感じです。



ちなみに、実際に私がどんな風にしているかというと、


一年くらい前までは、


朝、5時半におきて、そこから30分間、


「ごはん」の本を読んでいました。


朝は、雑音もなければ、話しかけられることも、


電話もメールも来ないので、一番良い時間です!!



しかし、次男が高校生になって、「お弁当作り」が発生したため、


このゴールデンタイムがなくなってしまいました。


ちなみに、その代わりの時間、というのは確保できていません。



なので、現在は、主に、「電車に乗るとき」というのを、


「ごはん」の本、の時間にしています。


遠くに行く時には2冊(場合によっては3冊とか)持っていきます。


疲れ具合とか、電車の込み具合とかで、読める本が変わってくるので、


「ごはん」と「おやつ」を両方持って行ったりすることもあります。



あと、実際には今、「おやつ」の本の時間、っていうのは


安定的には確保できていないのですが、


まあ、イメージで言えば、


一休みしたいな~、でも眠るほどじゃないんだよな~


という時に、ごろごろ寝っころがりながら読むとか、


お風呂の順番待ちの間に、ちょっと読むとか、


そんな感じでしょうか。


(まあ、実際には私の現状の生活では


なかなかそんな時間もないですが・・


家事をこなすのがゆっくりな人なので・・^^;)



だから、実際には、「おやつ」の本は、


あまり読めないまま返してしまうことも結構あるのですが、


それでも、返す間際に、目次だけ、さ~っとみて、


気になった項目だけ、ちょっと見る、なんていう読み方もあります。



本ってね、全部読まなくても良いんですよ。


本にも、縁ってあるから。


ぱっと開いた、そのページに、何か求めていることが


書いてあるかもしれないから。



一冊読んで、それを全て覚えているなんてありえなくて。



ある本を読んで、その中でひとつだけでも、


自分の中に根付くものがあったら、


それは凄いことだと思うんです。



先々月くらいに借りた本で、Daigoさんの「すっごい呪文」


っていうタイトルの本だったかな、「おやつ」として借りた本で。


ほとんど忘れてしまったのですが、


「人間は、続けている何かを、3日サボると、


そのまま辞めてしまう。


2日だったら大丈夫。」


という言葉、なんだか妙に印象に残り、


自分の中に根付いています。


何かが続いていく、原動力になってくれた気がします。



まあ、そんなわけで。


活字離れが進んでいると言われますが、


やっぱり本って、とっても素敵なので、


絵本でも難しくてもなんでもいいから、


もはや最後まで読めなくてもいいから、


あちこち読みかけでも構わないから、


読んでみて頂くと、


きっと世界が広がってくると思います!



だんだんと梅雨の季節になってきます。


読書にはもってこいの季節ですので、


どうぞ、お試しあれ^^☆




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