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それでは、アストロラーベの理念、最後の項目になります。
4つめ。
・利用者の方に、気づきや癒しなどをはじめとする、
「幸せのきっかけ」を提供する
です。
まず、最初の単語を「お客様」ではなく、「利用者の方」にしたのは。
「お客様」って、普通、買って下さる方のことをいいますよね。
だから、有料のサービスを買ってくださる方、ということになりますね。
でも、ブログは無料で皆さんに見ていただいています。
ここに来て読んでいってくださる方も、立派な「利用者」ですよね。
利用者さんにも、ぜひ、無料であっても、そういうものを受け取っていただきたい。
私自身もそうして、様々な先生から、知恵や癒しや技術等を教わってきたからです。
そういう「恩送り」みたいな意味もありますし、無料でたくさんお役に立つことで信頼を頂けるのではと思っています。
そうして、私達の思いや考えに共鳴してくださる、相性の合う方から、ご相談を頂くことができたら、とても嬉しいなと思っています。
「幸せのきっかけ」という表現をしたのは。
「幸せ」っていうのは、基本的に、誰かにしてもらうものではなく、自分で気がつくことであり、掴んでいくものだと思うからです。
私たちが、何を発信しても、お話や占いの中で伝えたとしても、それをどう受けるとか、というのは、その受け取った方次第だからです。
同じ発信や言葉一つ取っても、「あの情報で、あの言葉で、本当に救われた、助かった」と思う方もいらっしゃるでしょうし、別に何も感じないという方もいらっしゃるでしょうし、場合によっては「ムカついた」なんて人もいるかもしれません。
だから、私たちがあなたを幸せにしてあげます、なんて、おこがましいことは言えませんが、「きっかけ」=種、位は提供できると思ってるんですね。
だから、それを、上手に受け取って、それぞれの心の中で、「幸せの芽→木」として育てて頂けたら嬉しいなって思います。
そして、時々、栄養や水を外から足してもらいたいと思ったときには、またいらしていただけたらいいなと思っています。
そんな感じで、これからもやっていきますので、よろしくお願いいたします!
昨日の記事では、アストロラーベの理念から、ちょっと脱線してしまいましたが。
元に戻りましょう(笑)。
アストロラーベの理念、その3。
・お互いの自然体を活かし、じゃまをしない
これは、理念を二人で考えている時に、初めて出てきたことがあって。
私が、「理念に『楽しんで仕事をしよう』っていうのはどうでしょう?」
と言い出した時に、博史先生が、
「それは、僕はちょっと違うんですよね」と言い出したんですね。
私は、中学の時からの親友からの影響で、「楽しんでやろう!」っていうのが
口癖みたいになっているのですが、博史先生は、「僕はそういう感じではないです」と。
「頑張るとか、楽しむとか、そうやってテンションを上げていく、とかじゃなくて、ただもう自然体で、っていうのがいいんですよね」って。
ああ、そうかー。って。
アストロラーベの活動を1年以上やってきましたけど、改めてこうやって言語化してもらって、そうかー、と思いました。
わかっているようで、ちゃんと改めて言葉にしないと気づかないことってあるんだなと。
ちなみに、この言葉の、具体的なイメージとしては、
例えば、私側でいうと、
私が自然体で、あれやこれやと動きまくってやっていることを、博史先生は「もっと落ち着いてください」などと言って、じゃまをしないで、っていうことかなと思うし、
博史先生側で言うと、
あんまり動いてないように見えても、じっくり考えたりもしてるし、あまり急かしたりしないで、自分のペースでやらせてほしい、っていうことかなと思います。
私、『ほぼ日刊イトイ新聞』って言うサイトが好きで、よく見ているのですが、
そこの代表の、(昔コピーライターだった)糸井重里さんが、よく言うんですよ。
「じゃまをしないって、大事だよね」って。
「自分が家人(奥様)にしてもらったことで一番大きなことって、じゃまをされなかった、っていうことかもしれない」って。
確かに、子育てのこととか考えてみても、何かの遊びとか、ものづくりに熱中している子どもに、見境なく、何のタイミングも考えず、「早く宿題しなさい!」っていうのって、大切なものを失わせている気がするんですよね。
私たちは違う人間なので、当然、「え?なんで?」ということや、「それか?」と思うようなこともお互いにあるとは思いますが、特に被害がないならお互いに多めにみて、「じゃまをしない」。
これって、地味に大切なことなのではと感じています。
かなり友達関係や夫婦関係にも当てはまるのではないかと思います。
参考までに^^☆
前回の記事に書いた、西條剛央さんって人が、やったことが凄いので、それについて少し書かせていただきます。
西條さんって、「構造構成主義」っていう学問を研究している学者さんです。
そして、特にボランティアをしたこともなければ、事業を立ち上げたとか、プロジェクトをまとめたとかの経験があるわけでもないのに、実は、東日本大震災の時の「ふんばろう東日本支援プロジェクト」という、超巨大なチームをまとめあげた人です。
どうしてそんなことができたのかというと、彼の持っている「構造構成主義」っていう理論を使うことで、できたのだそうです。
「構造構成主義」って、難しそうですが、私が一番心に残ったのは、
「状況×目的→方法」っていう方程式ですね。
状況とか、目的が変わると、方法も変わるよ、ってことですね。
これについて話し始めると長くなるので、この方程式については、また別の項目を取ってお伝えすることにします。
で、話を戻しましょう。
「理念」っていう話でした。
この「理念」っていうものは、どうやら、「てにをは」(助詞)の一つも大切に考え、充分で、かつ、余計な言葉は入れない。本音で書く。ということがポイントのようです。
参考として、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」さんの場合を引用させて頂きます。
ここでは、理念ではなく「目的」という表現をされていますが、ほぼここでは同じ意味に取って良いのではないかと思います。
目的
「被災された方々が自立した生活を取り戻すサポートをすること」
最終目的
「この組織がなくなること」
というように決めたそうです。
で。
たとえば、似て非なる言葉として、目的を「被災者支援」という風にしてもいいんじゃないか、と思われるかもしれません。
でも、「支援すること」が目的だと、過保護な支援をしてしまったり、場合によっては被災者の自立を妨げてしまったりすることもあるかもしれません。
この、
「被災された方々が自立した生活を取り戻すサポートをすること」
ということを、はっきりと定めておくことで、いろいろな問題が持ち上がった時の判断を、全てここに照らして決めることが出来たのだそうです。
たとえば、大きな寄付などが入った時に、それを分けて、信頼できる他のボランティア団体に使ってもらうとか。ここに掲げている目的のために使ってくれるなら良いよね、という考えです。
他には、「被災された方々」っていう枠なので。
赤十字から家具の配布があったそうなのですが、それは「仮設住宅に付随させる形で、家具のセット」という形だったそうです・・。
被災された方々、って、自宅の人も含みますよね?自宅で、家具がやられてる方もたくさんいました。そこも対象にちゃんと入ってくるわけです。
「自立した生活」という文言が入っているので、早い段階から、頂いた寄付などのお金で、被災地の方々に、重機の免許などをとってもらって、地元で働けるようにしたり、作業所を作って、そこでものづくりをしたり、ということをしていったそうです。
まさしく、何かあった時にはここに照らして決めればいい、という羅針盤のようなものですね。
そして、最終目的として、「なくなること」というのを掲げていたおかげでよかったこと。
ここは、「チームの力」本文から引用させていただきます。
「そして、「ふんばろう」自体も、3年半以上が経過し、各団体が独立できる体制が整ってきた状況をもって、数十のプロジェクトをたばねる大きなチームとしての役割を終えたと判断し、発展的に解消させた。
さらに資金的にも、活動を継続する独立団体を2年はサポートできることから、1000名以上のサポーターから毎月定額の寄付が入ってくる仕組みも必要なくなったと考え、停止させた。ふつうであれば「せっかく自動的に資金が入ってくるのにもったいない」と考えるだろうから、こうした意思決定をする組織は極めて稀であろう。むしろ、多くの場合、一度利権を得た組織は、それを維持すること自体が目的となってしまう。」
なんかね、美しいなと思いました。
この美しさに惹かれて、「ふんばろう」の活動に賛同した方もいたようです。
なんか、アストロラーベの理念の話から脱線してしまいましたが、長くなったので、続きは、また次回にさせて頂きます☆
アストロラーベの理念、3つめの
・お互いの自然体を生かし、じゃまをしない
についてです。
この項目は、「アストロラーベの理念」について、
二人で考えている中で出てきたものです。
私は、牡羊座に星が多めに入っていることもあり、
そしてADHD傾向強めなので、
思い立ったら、とにかくやっちゃうよ!という方なので、
たまたま「理念」に関する本を2冊読んだので、
直感的に「理念を作りましょう!」と言って、
作ることになったのですが。
博史先生は、「そもそも、それって必要なんでしょうか」
って。
「どうして必要なんでしょうか」って。
・・まあ、なんとなく?
そんな本を丁度2冊読んだところだし、あった方が良いのかなと思って?
そんな、直感的な、てきとーな理由で、作ることになったのですが。
でも、不登校支援の団体を立ち上げる時、力を貸してくださった先輩に、
「理念って、大事だからね。細かいところまでよーく話し合って。
そして、時々、また、それについて話し合うこと。
ここがずれると、みんなの心がばらばらになって、
だいたいそれが理由で、会はダメになるものだから。」
と言われたのです。
表現は違うけれども、
このたび読んだ、「チームの力 西條剛央 ちくま新書」
という本の中にも、似たようなことが書いてありました。
少し、上記の本から引用させていただきます。
理念の本質(1)
「理念」とは、組織が大切にする価値観を表明したものだ。根本的な価値観が違う夫婦がうまくやっていくことができないように、価値観の違う組織と人はうまくやっていくことはできない。これは合うか合わないかの問題であり、どちらが正しいということではない。したがって、いかに立派なものであっても、本当に思ってもいないことを理念にしても、意味はないどころか、チーム離れ(離婚)を招くだけになる。(中略)
チームを作る際の理想のイメージは、“根本的な価値観が同じでうまくいっている夫婦”と言える。心の底から大事にしている価値観を表明し、それに共感するメンバーを集めることで、それぞれの長所を持ち寄り、短所を補い合う機能的なチームを作っていくことができる。
理念の本質(2)
「理念」とは、組織が目指すべき方向性や足並みを揃えるための“組織のコンパス”というべきものである。したがって、そのコンパスの精度が悪ければ(理念が不明瞭であれば)、足並みが揃うことはない。極端な話、真逆の方向を指すコンパス(価値観)を持っている人は、歩けば歩くほどどんどん離れていってしまう。同じ方向を指す精度の高いコンパスを組織の全員が持つことによって、それぞれが自立的に行動しながらも、同じ目的に向かって、足並みを揃えることが可能になるのだ。
理念の本質(3)
「理念」とは、それが失われたら存在している意味がない、というほどに最も堅持すべきものであり、それに照らして意思決定をすべき“組織の憲法”でもある。人間は言葉よりも行動の方を信じる。組織の理念に反する意思決定をしていたら、やはり理念に共感して集まってきた人の気持ちは離れていくだろう。
以上の(1)~(3)から、「理念」とは、“組織を導く本質”と言える。そのように理念の本質を捉えたならば、理念を言語化し、それに沿ってチームを運営することが、いかに本質的に重要なことがわかるだろう。
長くなりましたので、次回に続きます。
月が欠けてゆく時期を使って、消したいことや、切りたいこと(関係性など)を念じ、祈願します。
毎月行っているものなので、いつでも掲示板に投稿してください。
同じ願い事であっても、何度も投稿して構いません。
一回だけでも良いです。
小室博史