カウンセリングや相談というと、


(友達や知り合いとの会話もそうですが)


ついつい、「言葉」というところに


意識がいきがちですが、


実は、言葉になっていない「非言語」の部分から


人間はかなりの情報を受け取っています。



・・というか実は、逆に「言葉」によるものって


7パーセントしかないとも言われています。


じゃあ、他には何で、


情報とか印象を受け取っているかというと、


話し手の見た目、態度、仕草、表情とか、


あとは、声の質、大きさ、話しかたなど、


これが90%以上を占めているそうですよ。



今日は、この中から、ほんの少しですが、


知ってると役に立ちそうなことをお伝えします☆



例えば、態度でいうと、


相手が「腕を組んでいる」という場合がありますね。


これは、「心を開いていない」というサインだそうです。


心を開いている相手であっても、


特定の話しずらい話とか、緊張する場面では、


腕を組むということもあるかと思います。


ある種の、無意識の防衛反応なんでしょうね。


だから、だんだんと打ち解けてくると、


腕を組むのをほどいてくるはずです。


机の上で組ませているのも同様の意味でしょう。


これを逆に言うと、自分がそうしている場合、


あえて腕を開いてみることによって、


相手に心を開いているよ、というサインを


無意識レベルで送ることができるでしょう。



視線をそらす、時計を見る、トイレに立つなども


「あなたとは話したくない」というサインになります。


だから、自分が、相手と話している時に


そういう行動を取ることは、


「話したくないのかな」と相手に思わせるので、


注意が必要です。


時計を見るな、トイレに行くなということではないのですが、


話の流れ等も考えつつ、


少しタイミングを考えたほうが良いときもあります。



逆に、そろそろ話を終わりにしたい、おいとましたい、


という時などには、


時計を見る、トイレにいく等は、


話を終らせるための良いきっかけになります。




最後に一つ。


顔の左右の印象が違う人がいますが、


その人の感情は、左側に出るそうです。


それは、右脳と、左目がつながっているからだそうです。



人の本心を見たいときには、


左目を見るといいとも言われます。



政治家でも、左右の印象が違う人が時々いますが、


そんな時には左側を見てみてください。


その人の本性が出ているのではないかと思います。



何か参考になれば幸いです^^☆



22857064_s





小室博史です。


わたしは園芸が好きで、薔薇やたばこの花を育てています。


メルカリやヤフオクで園芸家の人たちから種を購入すると、


大抵、封筒にメッセージカードや可愛いシールがついていたりします。


そういうのを貰うたびに、「自分にはそういうセンスが無いからできないなあ・・・」と感じていました。


でも、今年から自家採取した植物の種子を販売してみようと思い、そのついでに梱包という苦手分野を克服したいと思いました。


それで先ずやったことは、封筒に鉛筆で横線を引いて、郵便番号や住所をまっすぐ書き、お名前をバランスよく配置して書く練習です。


清書したら消しゴムで線を消せば、綺麗にできあがります。


理想の封筒がないときには、茶色い紙を折って、のりとはさみを使って、自家製の封筒を作りました。


封筒って意外と簡単にDIYできるものなんですね。


種子を買って下さった方に、おまけの種子をプレゼントするのも、お互いに楽しいと思い、そういう工夫もして、ファンを増やして行こうと思いました。


のりで封印するだけだとちょっと殺風景なので、和香葉先生が良く使っているマスキングテープを買ってきて、いつも小さなハサミや定規などを携帯し、それでテープをカットして封筒に封印します。


植物の種子を送るときは、赤ペンで「第四種植物種子」と記入して、封筒に小さな小窓を開けて窓口に出しますが、その作業にも慣れました。


最近では、ゆうパケットポストminiなる、発送方法も使っています。


そんなことを2ヶ月くらいやっていたら、封筒に何かを入れて郵送することが凄く苦手だと思っていたのに、楽しみながら出来るようになっていました。


メッセージカードに一言お礼を書いたりするのも、気楽にできるようになりました。


かつては、「もっと綺麗な文字を書かないと」とか、「自分はなぜ、こんな子供っぽい字しか書けないんだろう。」と考え過ぎて、何度もやり直していたのですが、最近ではちょっとぐらいワイルドな字になっても気にしません。


他のところで綺麗に梱包してあるので、全体として、受け取った方に喜んでもらえる自信があるからかもしれません。


苦手なことが、得意な趣味に変りました。


何のおちもない記事と云うか、近況報告です(笑)。



電話占い小室博史1

(宛名書きが苦手ではなくなった)


小室博史占い師

(以前は簡単な梱包さえ苦手と感じていた)


電話占い小室博史2

(道具箱)


小室博史電話占い師

(収穫できた大量の植物の種)




悩め、苦しめ。

2024年09月09日



25578970



今日、娘は学校に行けませんでした。


行かなくちゃ!という気は、満々なのに、


なぜか、行けない。


かなり苦しい葛藤をしておりました。



なんてダメなんだ!


自分が嫌いだ!


死ね死ね!(たぶん自分に対して)


などと言って、泣いていました。



久しぶりに、あんなに激しい葛藤を見た気がしました。



「私はみーが好きだよ。


学校に行かなくても好きだよ。」と言ってはみたものの。


いっぱいいっぱいすぎて、届かなかったかもしれない。



登校時間に間に合うように、友達が寄ってくれたのに、


一緒に出られなくて。


でも、泣き顔でも、ちゃんと会って、応対できたのはえらい。



10時ごろ、私が出る用事があったので、


その時に、一緒に出られたら出ようか、と。


でも、やっぱりダメでした。



じゃあ、いよいよ


「たけのこすくーる(私の脳内学校)」(8/23のブログ参照)だな


ということで、そろばんを教えることに。


私、そろばんを小学校の3年間くらい習って、


ほんっとに嫌いだったし、


ほぼ意味なかったと思ってるんですけど、


唯一、2桁の足し引きの暗算ができるようになったことだけは


人生上、有意義だった気がしてるので、それを教えようかなと。



でも、そろばんをやるにも、泣きながらで


なんかもう無理な空気になって、途中でやめて・・。



午後は、ユーチューブを見てます。


本当は私的にはアウトなんですが、今日は見逃してます。



葛藤が強い時って、それだけで疲れて消耗するんですよね。



そんなに苦しまないで、さっとあきらめて


「今日は家でやろ~」とか思えたらラクなのに。


行かなきゃとか、(体育祭も近いし)行きたいとか、


思うんでしょうね。



でも、苦しむのを、こっちが先回りして止める必要もないかなと


思ったりもするんです。


ちょっと変な表現かもしれませんが、


悩む権利も、苦しむ権利もあると思うんですよね。


悩みたいだけ悩んで、苦しみたいだけ苦しめばいい、っていうか。


(自分自身がちょっとそういうところがあるんですよね)



どんどん落ちて落ちて、かなりヤバイところまで行ったとしても、


目の前で見てたら、なんだか可哀相な気もするけれど、


それも人生の貴重な経験かなと。



自分も、博史先生も、ある意味そうなんですけど


生きるか死ぬか、みたいなところまでいった人間は、


ある部分、強いですよ。


もうあんまり怖いものがなくなるんですよね。


あの時を思えば、怖いものってあまりないな、っていう。



逆に言えば、そういう経験って、


したくてするものでもなければ


誰しもが出来るものでもない、というものでもあり。



私の希望としてはですが、


心理職と宗教家。(占い師も)


あと、できれば医者とか弁護士も。


人が、生きるか死ぬかみたいな


重大な事態に立ち会うような職業の人には


そういう経験をしておいてもらいたいと


思ってしまいます。


(望んで出来るものでもないんですけどね)



直接、その経験が、職業に繋がるかどうかはまた別としても、


さんざん、悩んだり、苦しんだりしたことが、


きっと自分を見つめさせてくれたり、


なにか自分を成長させてくれたり、


人の痛みをわかることになると思うので、


きっと器の大きな人になると思います。



だから、君がそうしたいなら


(そうしたくはないのかもしれないが、


そこから抜け出すことができないのなら)


それはそれでいい。


悩め、苦しめ。


それを落着いて見ていられる


自分の器でありたいと思います。




何のために


何をするために


人は生まれてくるのでしょう。



それは、よくある問いですが


実は、「人は何のために生まれてくるのか」


っていう、「人間」っていう大きなくくりではなく。



私は、あなたは、あの人は


何をするために生まれてきたのか


っていう


それぞれの人に固有の


目的や物語があるのではないかと思います。



働くために生まれてきた


という人もいます。



遊ぶため、楽しむために生まれてきた


という人もいます。



いろいろな人と出会うために生まれてきた


という人もいるでしょうし、


たった一人の誰かに会うために生まれてきたような人も


いるかもしれません。


学ぶためにうまれてきた、研究するために生まれた


なんて人もいるかもしれませんね。



働くために生まれてきた人の中でも


とにかく「稼ぐんだ!」というタイプの人もいるでしょう。


誰かの望みや欠乏に対して、手を伸べるような


「働くとは、はたの人をラクにすること」なんて


言葉もありますが、


そういう奉仕的な「はたらく」もあるでしょう。


何らかの使命を果たしていくような「働く」もあります。


「働く」というと、稼ぐこととイコールみたいな


イメージもありますが、下の二つに関しては


お金にならないこともありますよね。


働くために生まれてきた、と言っても、


その中だけでも、いろいろなタイプがあるんですよね。



実は、それらは、ホロスコープの中に現れています。




占星術で電話占い鑑定




私は、働くために生まれてきたような人です。


それも、使命を果たすため、という感じ。


昨日、改めて、いろいろと昔のことから考えていて


本当にそうだなと思ったんですよ。


働くといっても、お金になるならないは関係なく、


地位とか名誉を狙うとかでもなく、


もはや、「好きだから」ということにも収まらないもの。


嫌いでこそなくても、そんなに好きというわけでもなくても。


やっぱり「使命」「使命感」というものですね、


動かされてきたのは。


これは、私がやるしかないんだろうな、っていう。


この与えられたコミニティ(など)の中で、


これが出来るのは私しかいないんだろうな、っていう。



それは、ホロスコープ上で、私の太陽(人生の目的)が


MC(人生における使命)と、きっちり重なっているのが


まさしくそれ表しているんだろうと思います。



でも


「使命のために生きる」というのは


こういうホロスコープを持っている私、の価値観なんですよね。


だから、それを誰にでも当てはめたら


おかしなことになってしまう。



例えば、うちの息子なんかは、


5ハウス(趣味、恋愛、子供などの部屋)に星が沢山入っていて。


博史先生も、


5ハウスに重要な星が入っていて。


今回のこの人生を


「遊んだり、楽しんだりすること」というのを


とても大切に、生まれてきたんだろうなと思います。



その辺、どうしてそうなるのかはわからないですが、


前世も関係あるのではという気がしています。



私だったら、おそらく


前世で、やりのこした、心残りだった仕事があり


それを今世でやり遂げるためではないかと思っています。



博史先生は、


なかなか前世が苦労の多かったような感じがあるそうで、


だから、「今世はちょっとゆっくりしよー」というような


感じがあるようです。



だから、「私の生まれてきた目的」と


「あの人の生まれてきた目的」と


違うかもしれないので


なんで働いてばかりいるの?!とか


なんでそんなに遊んでばっかりなの?!


とか思わないで、


お互いに話や想いを聴いたりして、


理解し合うことって大事だと思います、




いろいろな本の人が、


いろいろなスピ系の人が


いろんなことを言ってますけど、


何をするためにうまれてきたか、


それはおそらく、


みんなそれぞれに違うと思います。



ホロスコープを見ると、大方、その感じがわかります。


ホロスコープ読みも、初回50分引き、


使えますので、お気軽にどうぞ!


できれば出生場所、出生時間がわかると


かなり情報としては詳しく出ますので!!




価値観の相違。

2024年09月07日


価値観の相違電話占い



離婚の原因の一つとして、


よく、「価値観の相違」というのが挙げられます。



でも、よーく考えてみると


「価値観の完全なる一致」というのは


ないんじゃないかと思います。



例えば、


海外が大好きな人が3人いるとします。


どこでもいいけど、話の都合上、同じ国がいいかな。


フランスあたりにしますか。


この3人、大のフランス好きで、めっちゃ話が合う!


かと思いきや・・


こういうことってあると思うんですね。



よくよく掘り下げてみると、みんな方向性が違う。



1、フランスの風景が好きで、写真をいっぱい撮りたい人


2、フランスのモノが好きで、そこで良いものを買ってきて売りたい人


3、フランスの歴史が好きで、歴史を調べたり史跡を研究したい人


みたいにね。



例えば、1の女性と、3の男性がつきあったとしますね。


一緒にフランスに旅行に行きました。


二人ともフランス大好きなんだけど、ここにはズレがありますよね。


1の彼女は、たぶん、次々とお城の写真などを撮って、


次のお城に行こ~!ってなりそうです。


でも、3の歴史男子は、きっと、


お城の入り口とかに書いてある説明とかをゆっくり読んだり、


お城の中の、あれこれの品を見ては、


(これはあの事件の時のあれか~!)とか


(あの有名な姫が使ったあれか!)とか


いちいち感動してそうな気がします。


そして、それを見て、彼女が(早くしてよ~)みたいな(笑)。



離婚の原因とか、


おそらくそれ以前にカップルが別れてしまう原因でも


「価値観の違い」っていうのがあると思います。



でも、こうやってつきつめていっちゃうと、


「価値観の完全なる一致」って無理なんだと思います。


根本的にどうしようもなく違う場合は


それは避けたほうが良いですが


そうではなくて、


細かい部分で合わなくなってきたという場合は、


調整が必要になってきます。


お互いに話し合って、折れ合うというか。


お互いにあんまり無理せず、


ちょうどいいところを、


ちょうどいい方法を見つけるっていうか。



例えば、さっきのフランス好きの二人だったら、


お城からなかなか出てこない間、


彼女は、近くのお店で素敵なお土産を探すとか。



彼も、彼女が嫌いじゃなかったら、


彼女にも楽しめるように、


わかりやすく歴史を話してあげるとか。


この壁の模様、凄く綺麗で珍しいんだよ、とか


裏庭のバラはこの地方で一番なんだよ、とか


写真の好きな彼女にも楽しめる持っていきかたをするとか。



たとえ、自分があんまり写真は好きじゃなかったとしても。


たとえ、自分がそんなに歴史は好きじゃなかったとしても。


そこは無理に好きになる必要もないけど、


相手は好きなんだね、って理解してあげる。


そして、そのことを、大切に思ってあげる。



「理解という名の愛がほしい」


これは、私の好きな作家、山田ズーニーさんという方が


書かれた本の名前ですが、


私の好きな言葉です。



愛だの恋だのって


深みにはまると


なんだかつかみどころが無くて


よくわからない感じになってきちゃうのですが。



理解。


っていうと、もっと具体的に


手に取れるような感覚になれるのではと思います。



そして、「理解という名の愛」


恋人やパートナーに限らず


子供にも、親にも、友達にも


通りすがりの人にも使えるものです。



愛とか、恋とか、やさしさとか、思いやりとか


なんだかつかみどころが無くて


わかりにくくなってしまった時には


一度、「理解」という言葉に


還ってきてもらうと良いと思います。




前のページ
次のページ