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昨年の春分の日に始まりました、このアストロラーベのホームページです。
今日は、春分の日。
無事に1周年を迎えることができました。
何にも無いところからの。
記事を書き、動画を撮り、キャンペーンをやり、
写真を撮ったり、コンテンツを考えたり、
いろんなことをやってきたなあと思います。
なんか、感慨深いです・・。
なんとか続けてこられたのは、
ブログの読者の皆さんがいてくださってこそでした。
ホームページを楽しみにしてくださっている方たちがいるんだと
感じられることが、かなり、自分の励みになっていました。
最近は、インスタも始めました。
(電話占い アストロラーベ で検索できます。
ホームページのネタをコピーしているのが主なので、特に目新しい情報もあまりないかとは思いますが・・)
相当の機械音痴の私が、それでも、なんとかかんとか、投稿出来ているのが
自分でも、よくもまあできるようになったなあと思います。
本当に、いろいろな意味で、試行錯誤の1年間でした。
インスタでつながっているみなさんからは、コメントを頂いたり、
相手の方のお顔が見えるときもあって、こういう方が見て下さっているんだなあと思います。
多少なり、メッセージのやり取りなどできると、人間らしい繋がりを感じます(^^☆
そこからまた、次のブログのネタを思いついたりして。
人とのつながりに、力をいただいていく蟹座です。私。
そういう訳で、ホームページの方も、このたび一周年を機に
コメント欄を開放することにしました。
どうぞ、お気軽に何か書いていってくださいね☆
お返事は、短いかもしれませんが、できる限りお返しして参ります。
アストロラーベ1周年シリーズ、思うところなど、
また少しずつお伝えして行きたいと思います。
どうぞこれからも、よろしくお願いいたします!!
「卒業ディズニー」って、ありますよね。
高校生とかが、卒業の記念に、友達と一緒にいくアレ。
中学生って、どうなんでしょう?
小学生で、「卒業ディズニー」って、どう思います?
・・「ないわ~」と思われた方、すみません。
うちの子、小学校を昨日、卒業しまして、「卒業ディズニー」に行くんです。
自慢でも何でもありません。愚痴でもありません。
最後まで読んでいただくと、私のお伝えしたいことが伝わるかと思います。
タイトルにもしましたが、「卒業ディスニー」っていう「アレ」に、みんなそれぞれに、勝手なイメージをつけているんだと思うんですよね。
例えば、めっちゃキラキラしてて、お金かけて遊んでくるアレね、とか。
場合によっては、お金持ちの学生がいくアレね、とか。
正直にお伝えしますと、うちの経済状態は、決して良いほうではありません(笑)。
ああ、言ってしまった(笑)・・。
当然、そんな中で育った娘ですから、ある意味、親以上に金銭感覚はしっかりしています。多少まとまった金額であげられるのは、お年玉くらいで。あとは、すずめの涙のようなおこづかいしかあげていません。
そんな彼女が、今まで無駄遣いもあまりせず、貯めてきた自分のお小遣いで、「行きたいんだけど」と言ってきた。
だから、私は確認で「お昼代位しか出さないよ?それでもいいの?」って聞いたら、
「いい!わかってる、大丈夫。」って言う。
うちからは、電車で一時間くらいかな?
そんなに遠くはない場所です。
治安的には問題がない場所だと思います。
しっかり者の友達も付いてます。
・・そしたら、それを、もう止める理由って、ない気がするんですよね。
って、ここまで読んでいただいて、どうだったでしょうか。
最初の時に、人によっては感じられたかもしれない、
「小学生でアレ(卒業ディズニー)って、どうかねえ?」と思う感じ、
ちょっと変化がありませんでしたか?
これはひとつの例ですけれど、私たちは気付かずに、
「○○」っていうアレね~
と、ひとまとめにして、その印象を決めてしまってはいないでしょうか。
良くも悪くも。
例えば、
「アレね~」の、アレには、いろんなものが入ります
離婚ってね~
不登校ってね~
フリーターってね~
体罰ってね~
虐待ってね~
これは良くも悪くも、です。
例えば、
私は不登校支援をしていましたし、
うちの子もややそうでしたから、
理解はあるほうだと思いますが、
理解があるからこその、良い方に寄りがちかなと思います。
不登校ってね~
学校って、大変だよね
人間関係とか、いじめとかあるし、勉強も大変だし
学校も本当は行きたいのに、苦しいよね~
って、なりがち。
たぶん、本当にそういうことも多いかと思いますが
(大半かもしれませんが)
実際に聞いた例として、
「夏休み明けにただ、単純に、学校に行くのが面倒になって、そのまま何年も休んだ」
と言っていた人の話を聞いたこともあります。
いろいろあるんですよね。
例えば、今は先生による「体罰」、
親による「虐待」、
と称されて、手を上げたりすることって、
厳しく止められてるじゃないですか。
まあ、基本的にはその方向で良いとは思います。
でも、全てそのくくりに入れてしまうのはどうなんだろう、とも思うわけです。
ああ、虐待ね~
って、ひとくくりにしちゃって良いのか?
ただ親がイライラしていて、その憂さ晴らしに子供に手を上げたのか?
それとも、そのことで何か伝えたいことがあって、必要だと思ってやったのか?
私はうちの子どもを、叩いたり殴ったりしたことはありませんが、
それでも人から見たら、もしかしたら体罰に見えることをしていたかもしれないと思います。
それは、次男に関してです。
次男は、自閉傾向の子で、知的にも遅れがあり、小さい頃は特に、人の気持ちを汲み取るのが苦手な子でした。
小さい時には、怒られているのがわからずに、笑ったりしてました。
だから、自分が相手にイヤなこと、悪いことをしたときにも、それがいまいち分かっていない感じで。
そういう時には、・・例えば、兄弟をつねって泣かせたりしていた時には、本人にも同じようにして、「こういう風に痛いんだよ、わかるでしょう、いやでしょう?」と言って教えていました。
(別に、これを人にお薦めするわけではないですが)
まあ、客観的に見たら、体罰に見えますよね、って話です。
当然、同じようなことが学校であったとして、
兄弟が友達になっただけ、お母さんが先生になっただけの話です。
先生が次男をつねっても、多少叩いても、「どうぞよろしくお願いします」って感じです。
(ちなみに、そうやって育てた次男ですが、今は彼なりに、とても人の気持ちを考えてくれる、非常に優しい子に育ちました)
だから、簡単に、ひとつのシーンだけを取り上げて、
「あ~、体罰ね~」
「あ~、虐待ね~」
って、「アレね~」って言ってしまうことの怖さを思うのです。
ある種の状態に、わかりやすく「レッテル(ラベル)」を貼る。
その「ラベル」のイメージが、良くなったり、悪くなったり、流行ったり、廃れたりすることで、みんなの心って、結構、左右されてしまうのではないかと思うのです。
「バツイチ」や「イクメン」などの言葉が広がると、そういうことが当たり前になって、それが増えていく
(その状況が増えているから、そういう言葉が生まれるのだと思いますが、その言葉が生まれるとさらにその状況に拍車がかかる、というのはあると思います)
「体罰」や「虐待」という言葉がフォーカスされると、それが過剰に意識されて減る
でも、「バツイチ」「イクメン」「体罰」「虐待」・・なんでもそうですけど、ラベルは一つだけでも、その中身の状況は、千差万別なわけで。
それこそ、実は簡単に、良いとか悪いとか言えないこともあるんじゃないかと思います。
ラベルだけ見たのでは分からない、個別に、その中身、状況を見る姿勢を忘れずに、というお話でした。
私もそういう姿勢で、ご相談に乗れればと思っています。
何か参考になりましたら、幸いです^^☆
よかったら昨日の、「カウンセリングと占いの違い。1」の方から読んでいただくと
話がわかりやすいかもしれません。
相談するということは同じでも。
どこか似ているようで、やはり違う、占いとカウンセリング。
どんなところが違うのか、というお話でした。
これは、カウンセリングでも、占いでも、
両方にあるパターンだと思うのですが、
例えば、相談の内容が割と表面的なことであったとしても、
実際は、問題の本質はそこじゃないんだよな・・とか
感じるようなパターンです。
例えば、不登校を例にとってみましょう。
(全ての不登校がこうだというわけではありません。
例えば、こういうパターンもある、という例です)
不登校の原因って、ひとつではなくて、
いくつかの要素が混じりあっている時もあります。
そして、しまいには、一体原因がなんだったのか、
本人にもよくわからなくなってしまうようなこともあります。
我が家もそうでした。
例えば、その原因が、担任の先生の資質と、家庭内の不和という問題の二つだったとしましょう。
学年が変わって、クラス担任も変わって、その子は学校に行き始めました。
相談者は、お母さん。
学校に行くようになったので、喜んでいます。
そして、「担任の先生が変わったからだわ!よかった!」と思っている。
けれど、もう一つの、家庭内の不和っていうところには目が向いていない。
そのお母さんの相談を受けたカウンセラー(もしくは占い師)は、
そのこと全体に気が付いている。
この問題は、もう一つの問題も片付けないことには、
根本的には解決しないと気が付いています。
そんな時に、どうするか。
「やっぱり、担任が変わると違いますよね~、よかった!」と
素直に単純に、喜んでいるお母さんに、
カウンセラーの先生は、もしかしたら、宿題を出すかもしれません。
帰り際に、ちょこっと、「まあでも、昔から諸行無常って、何も変わらない状態が続くって事はないですからね」とか言って。
お母さん、きっと、(なんだろう?)って思いますよね。
せっかく学校に行くようになって喜んでるのに、それがまた、この状態から変わっちゃう?どういうこと?また行かなくなるってこと?なんで?
モヤッとしますよね。
次のカウンセリングまでの間、時々このモヤッとが気になって、
なんだろうな、と考える。
カウンセラーさんは、モヤモヤを渡すことで、宿題を出したんですね。
でも、これは、次回の予約があるカウンセラーさんだからこそ、できることですよね、と、博史先生にお話しました。
電話占い師って、基本的に次の約束ってないので。
約束がないのに、モヤモヤを渡すのって、ちょっとどうかなと思ったりするんですよね。
次回の答え合わせができない可能性があるから。
答えあわせができると思うから、宿題って渡せるんだと思うんですよね。
やっぱり、今回限りになるかもしれない「占い」っていうスタイルの中では、
スッキリして帰りたい(帰したい)じゃないですか。
そこらへん、「占い」ってどうなんですか?と、博史先生に聞いてみました。
そうすると、「『時限爆弾』っていうやり方がありますね」と。
例えば、上記の不登校の話だったら、
「じゃあ、5月以降の感じを観てみましょうか」と言って、観てみる。
そこで、もし「月」のカードとか出てきてたら、
「なんだか、本人、不安になってくる感じがありますね。そうなってきたら、また他の原因や、どうすればいいかなど、一緒に考えられればと思うので、よかったらまたご相談くださいね。」とか言っておく。
そうすると、それが「時限爆弾」になっているわけです。
(相談者の方が、今、言っても伝わるという感じなら、先に「家庭不和」の件も伝えておいても良いと思います)
占いって、当たるとか当たらないとか、ある意味、エンタメ的な要素も有りますしね。
好きな方も多いと思います。
このサイトにきてくださる方は、やはりどちらかといえば、好きという方が多いのではないかと思います。
でも、中には好きじゃないという方もいらっしゃるかもしれません。
「未来のこととか、人の気持ちとかのぞくのは好きじゃない」とかね。
その気持ちも何となく分かります。
だから、占いはあってもなくてもいいです。
占い師と心理カウンセラーのどっち寄りがいいか、ご希望をお伝えいただければ
それに沿って、お話させていただきます。
初回5000円引きなので、ご相談の場合、占いありでも、なしでも、50分まで無料でお話できます。
どうそお気軽に使ってみてください^^☆
最近、カウンセリングの本を読んでいる時に、
占いと一般的なカウンセリングの違いって、なんなんだろうなと思います。
まず、前にもこれは書いたことがあるかもしれないのですが、
カウンセリングが、短くて数ヶ月、長くて数年かかるのに対し、
占い師が良心的に取り組んだ場合は、もっと早いだろうということです。
(良心的、とあえて書いたのは、長引かせて、何度もリピートしてもらうことで
利益を得ようとする占い師もいるからです)
カウンセリングが、主に理論でやっているのに対して、
占いは魔術的な要素が入ってきます。
カウンセリングの先生に、「~だと思いますよ」と言われるより、
「あなたの星はこういう星ですよ」
「カードには、こう出ていますよ」
と言われた方が、刻まれるんですよね、心に。
カウンセリングの先生に言われるより、占い師に言われた方が、心にひっかかる。
それは、占い師の、神秘性というか、魔術的な部分というか、
カウンセリングの先生よりも未来が見える感じがあるからでしょうね。
だから、良い占い師の先生に当たって、上手に導いてもらうと、
カウンセリングよりも回復とか、解決が早いはずです。
本人の無意識に、深く食い込んできますからね。
ただ、カウンセリングも占い師も、お互いに人格が良ければ、というのが前提の話です。当たり前かもしれませんが、大事なことです。
あと、相性が合うか、っていうことも大事です。
先日、占い師をプロデュースしている占い師の先生二人が、対談をしている動画を見ました。そこでも、「占い師に一番大切なこと」の条件に、まず「人柄が良いこと」というのがあがっていました。
意外かもしれませんが、「当たる!」というのは、まあどっちでもいいんだと。
「99パーセント当てる!」とかじゃなくて、全然いいんですよ、と。
例えば、「私、毎回、付き合った人に振られるんです。今回3人目で、もう1ヶ月連絡が取れないんですけど・・どうなるんでしょうか?」というご相談だったら、「ああ、ダメですね」という答えで95パーセントは当たるんだそうです。
でも、それで、当たって。当たったからって満足でしょうか?
問題はそこからですよね。
どう、上手に、その人が幸せに近づいていくための問いを立てていくか。
そこへ、導いていくか。
そっちの方が大切なんじゃないでしょうか。
「当てる占い師」、じゃなくて「幸せに導いてくれる占い師」。
どうでしょう?
例えば、「立て続けにいつも振られる」として。
その原因は、どこにあると、自分で思っているのか。
はたして、それは合っているのか。
もしかしたら、今、全然自分が想像していないような理由ではないのか。
その原因が分かったとして、それをどう解決するのか。
そうやって、深堀りをして、一緒に人生を歩んでいく、作っていくお手伝いをする、
そんな占い師になれたらいいなと、アストロラーベの占い師二人は思っています。
占いとカウンセリングの違いについて、まだお話したいことはありますが、
長くなりますので、続きは次回に。
ちょっと、このタイトル自体に説明が要ります。
月山羊、というのは、月星座が山羊座、という意味です。
それって、どういうことかというと。
例えば、一般的に、「私は蟹座です」というのは、
「私が生まれた瞬間に、太陽が蟹座の位置にありました」ということなんです。
そして、「月が山羊座」というのは、
「私が生まれた瞬間に、月が山羊座の位置にありました」ということです。
これって、私の場合で言えば、人生の目的、向かっていく方向は「蟹座」っぽい感じになるわけです。
関わった人を大切にする。その人達に愛を渡していく。居心地のいい場所をつくってあげる。
そういうことが蟹座っぽいことで、そういうことを目指していく魂だということですね。
対して、月は、素のままの自分、自然体で発揮される感じ、あとは、安心感や癒しの源とかを表していると言われます。
この、「山羊座の月」の安心感、というのが、どうもいまひとつ、自分でよく分からない(笑)。
博史先生は、月が牡牛座なので、割とわかりやすいんです。
牡牛座は、五感が優れているといわれているので、おいしいもの、身体に良いものを食べることや、好きな音楽を聴くと癒されるようです。
例えば、山羊座の月、って調べると、
「ルール・秩序があると安定」なんて書いてあるんですけど、
そんなでもないんですよね~、正直。
ルーティン的にいつものことをこなすと落ち着くって言うのはありますけど、
それもラジオ体操とか、簡単な筋トレとか、お祈りとか、
なんかこれら、わかりやすく「癒されるわ~」っていうのとちがくないですか(笑)。
神社仏閣に行くと癒される、とか書いてあったりもしますけど、
そこまででもないんだよな~。
山羊座って、かなりストイックなところがある気がしています。
それが、月、っていうのは、もう自然体で、無意識で、ストイックというか
気が付くと働いてしまうというか、どうも休みにくい。
タイトルに、「月山羊の日曜日」って書きましたけど、
「日曜日」っていうのは、実際の日曜日ではなく、
この場合は、「お休み」ってことの象徴なんですね。
みなさんは、日曜だから、・・何をしますか?
日頃干せない布団を干そう、とか。
日曜だから、海に行こうとか、山に行こうとか。
お休みだからこそ、何かしよう、みたいなの、あるじゃないですか。
「ああ、疲れた。もう休もう。」って思う時に、
「お休み」→「日曜日」→「なんかしなくちゃ」みたいな流れになっていってしまう(笑)。
ああ、疲れているのにこれではいかん、と。
じゃあ、全力で休もう、今日は何もしない!と、心に決めてみる。
そうすると、
「ああ、何日か居間に掃除機かけてなかったな・・」
「ああ~、トイレも汚れてるよなあ・・」と
逆に、「なにもしない!」と決めたことがストレスになる(笑)。
じゃあ、ストレスになるくらいなら、さくっとやったほうがいいよな、って、やる。
ブログも、あと少しの書きかけのがあったから、それだけ書こう、って、書く。
で、結局、「今日はお休みなのだ」と決めたおとといの私の過ごし方、
いつもと違うところといえば、「2時間くらいお昼寝した」ということだけでした(笑)。
働くのにはいいんですよー、この性質。
でも、どうやって休んだらいいのか、ちょっとよくわからない(笑)。
月山羊の安心感とか、癒しとか、どこにあるんでしょう。
誰か教えて下さい・・。
できれば、月山羊の方、実感をお聞かせ下さい。
私の中で、納得できる答えとしては、既存の答えの中から見つけたものとしては、
「全体の構造が見えると安心する」
(非常に地味ですが・・)
自分の感じてるものとしては、
「プロジェクトXとか、プロフェッショナル~仕事の流儀~とか、
仕事に関する番組とか、本などを読んでいると楽しい」とか
「一人で読書する時間」とか
そんなところに癒しがあるような気がしています。
気軽にコメントいただけると嬉しいです^^☆